「花巻」はなぜ「花巻」なのか?
「ああ、やっぱり旨いな、このつゆ。完全に蕎麦が負けてるけど」
「かまぼこ蕎麦」を注文した昭は、ベンチに腰掛けてズズっと啜っていた。
つゆを提供してくれたのは、学校から離れた「三櫂」という店だった。ちなみに提供してくれたのは、所謂「かえし」だけであり、出汁に関しては「和風だしの素」を使っている。
つまり「かえし」のポテンシャルを出し切っているわけでは無いのだが、それでも十分満足できる味に仕上がっていた。
長年に渡って熟成させた「かえし」の力は計り知れない。
横に座って「とろろ昆布蕎麦」を啜っていたサヒフォンも、頷きながら味わっていた。上に乗せる具材にサヒフォンがとろろ昆布を選択したのは全くの偶然であったが、この蕎麦の弱点をいい感じに補っているのかもしれない。
「何だか『崖由』という店の醤油ラーメンを思い出す味です。あれは……ラーメンというカテゴリだったはずなのですが」
「最近多いんだよ。和風とか言って、結局蕎麦になってる奴。旨けりゃなんでも良いわけだが……お前のそれも『花巻』にしちゃえば良かったかもな」
「花巻?」
「そういう名前のメニューがあるんだよ。焼きのりをさっと散らした奴な」
サヒフォンの箸が止まる。
「それで何故『花巻』っていう名称なんですか?」
「知らねぇよ。調べれば良いだろ」
言い捨てて、昭は一気に蕎麦を呷った。使い捨てのどんぶりなので、ぺこん、と情けない音がする。
サヒフォンは実際に調べたのだろう。上を向いてブツブツ呟いていたが、結局「花巻」という名称に納得出来なかったようだ。
「わからないなぁ」
と言いながら、こちらも蕎麦を啜る。
「旨けりゃいいんだって。俺もう一杯貰ってくるわ」
説明するまでもなく、二人が食べている蕎麦は女バスの屋台で手に入れたものだ。二人が腰を下ろしているベンチは屋台が集まっている通りからは少し離れてはいるが、全体の様子がよく見えた。
女バスの屋台は荻野の狙い通り、篁を中心にして盛況のようだ。次から次へと蕎麦が売れている。
その流れに乗って、昭はもう一杯注文した。何も具材を載せていない、葱だけのかけ蕎麦である。
「やっぱこうじゃないとな。蕎麦はシンプルが一番いい。で、何かわかったか? 来た時とは様子が違ってるぞ、お前」
「その自覚はあります。そこでお願いなのですが」
サヒフォンもまたそこでつゆを飲み干した。ただしおかわりはしないらしい。
「うん? 何だ?」
「文化祭というものに興味が出てきました。お付き合い願えますか?」
「ああ」
昭は即答する。
「俺も今日は学校から離れるつもりはなかったしな。いいぜ」
~・~
そこで二人は、生徒会が準備していた案内プリントを改めて手に入れた。学内でどういう出し物や企画が行われているのかまとめたものだ。
「とりあえず、屋台はもういいでしょう」
「だな。蕎麦が無い」
「ラーメンもありません」
ただし、クラス別の企画では定番の「メイド喫茶」が軒を並べているので、校舎に入れば何か変わったメニューを出している「メイド喫茶」もあるだろう。
他には「お化け屋敷」「大迷宮」「謎解きゲーム」などが企画されているようだった。
ちなみに昭のクラスはグラウンドを借りての「クイズ大会」を企画しているようだが、もちろん昭には関係のない話だ。むしろ関係していたら問題が発生していた可能性もある。
昭の持つプレッシャーは、そういう類のものだ。
昭もそれを自覚しているので、自分のクラスには近づかない事をサヒフォンに宣言した。サヒフォンもまたそれを了承する。
元々全部を見て回ろうとは考えていなかったようだ。
その代わり体育館で行われる演劇部のオリジナル劇「掌の上の終末論」は是非鑑賞したいと主張している。題名に何か思うところがあったようだ。
昭は題名だけでげんなりとしてしまったが、子供には付き合わざるを得ない、と割り切ったらしい。
開演は午後三時と予定されており。体育館での企画の大トリらしいので、何かしらの期待値が高いのだろう。
とりあえず予定はそれぐらいしか思いつかなかったので、当面やることは無いことになる。しかも、まだ午前中でもあるわけで。
昭もそれを弁えて、改めてサヒフォンに声を掛けた。
「で、何か行きたいところあったか?」
「せっかくですから校舎内を歩いてみたいですね。変身されているのでしょう?」
「……そうなんだろな。俺もよくは知らないが」
とりあえず、これで方針は固まった。やたらに目立つ二人が校舎内を練り歩き、自然とその周りから人が少なくなってゆく。
それを気にする二人では無かったが、幸いなことにサヒフォンは、クラスの企画にはあまり興味を惹かれなかったようだ。
むしろ廊下を行き交う「非日常」を体現しているような生徒たちの姿に興味を覚えたようだ。あちこちの企画からはみ出した混沌を味わうとなれば、むしろこのやり方の方が適しているかもしれない。
サヒフォンは時々上を見上げながら、それでも午前中いっぱい文化祭を味わうことになった。
そして昭は、居心地悪そうにサヒフォンについて回ったのである。
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