短編練習場

チャヅケ=ディアベア

竜の専門医

「安全に食われて治療し無事出てくる。それだけの事だ」


 爽やかににこやかに、そう言ったフォリアは、綺麗なハンズアップを決めながら竜に頭から丸呑みにされた。

 

 ※


 轟く咆哮に、窓は全て吹き飛び建物にヒビが入る。

 たまたま窓の外を歩いて居た災難な人は、何が起きたか理解する前に失神してしまった。


「うっっっせぇな! ちっちゃくても竜なら、これくらいで泣くな! 治療費に修理費も足して請求するからな!」


 特製耳栓をスポッと外したフォリアは、泣きじゃくる竜の鼻っ面を景気よく引っぱたき、治療を再開する。

 

『痛い! このヤブ医者め! 麻酔しろよ!』

「逆剥けの治療で麻酔する竜がどこにいんだよ!」

『人間と違って、竜の逆剥けは大怪我なんだ! ギャー痛いー!』


 特製ペンチで逆剥けを根元からパッチンと切る。吹き飛んだ逆剥けが壁に刺さり、パラパラと壁が剥がれ落ちた。

 

「逆剥けと言いつつ、爪回りの鱗の変形なんだよな。どちらかと言えば外反母趾と言うか……。でもなぁ、この間の定期検診では問題なかったはず。……おい、何した」

『……グルルゥ』

「なんで人語分かんねぇフリした? おん?」


 他の逆剥けをパチリと切ると『いたーい!』と悲鳴を上げる。


『狙ってる子が細い指が好みって言ってたのを小耳にはさんだので、指にぐるぐる鉄板巻いて補正出来ないかなってやっちまいましたゴメンナサイ!』

「ダーッハハハハハハ! ばっかじゃねぇの!?」


 容赦なく薬を塗りたくり、変形した鱗に矯正器具をつけ固定する。

 両手をさすりメソメソ泣く竜の鼻っ面に、領収書を叩きつけ、器具の洗浄を始める。


「ちょっとだけど、お前の血が染み込んだガーゼどうする? 持って帰るか?」

『それ、治療費修理費の一部に充てられない……?』

「……おつりでーす」


 フォリアは手元にあった小さな金庫を持ち上げると、丁寧に竜の手の中に置いた。

 竜の中でも稀少な竜で価値があるとは言え、ちょっとの血だけで治療費と半壊した建物の修理費になってしまったのが後ろめたいのか、竜は背中を丸め、器具の洗浄を手伝い始める。

 このやりとりは、もうほぼ毎回やっている為、竜も加減して魔力で水を出すのもお手の物。


『ねぇ、なんで竜の専門医なんてやってるの?』

「あぁん? 俺の故郷の天気は『晴れ』『曇り』『雨』『竜』って言われるくらい、弱った竜がよく落ちてくんだよ。大体のやつはそれにトドメを刺して金にして暮らしてんだが、そんな事ばっかりやってっと、人の体より竜の体の方が詳しくなっちまうんだよ」

『じゃあ冒険者とか、討伐隊とかの方が向いてるじゃん』

「嫌だよ。元気な竜なんておっかねぇ」


 竜が水に手を入れようとするのをそっと止めながら、フォリアは『おっかねぇおっかねぇ』と、大袈裟に顔をしかめてみせる。

 

『じゃあ、フォリアの前ではあんまり怪我しないようにするよ』

「おう、商売あがったりだな」


 そんな軽口を叩きながら洗浄を終えた二人は、そのまま仲良く部屋の片付けを開始した。



 外の騒がしさに目を覚ましたフォリアは、寝ぼけながら時計をたぐり寄せる。

 深夜二時。

 こんな時間だと言うのに、外の騒がしさは増していく一方だ。

 ただ事じゃ無いと眼鏡をかけ、寝間着のまま窓を開け放つ。

 すると、街の外に巨大な竜が暴れ回っているのが見えた。

 建物より街を囲む壁より大きなその体は、地を転がり空を飛んだかと思えば山に体当たりし、完全に正気のそれではない。


『フォリア! 良かったフォリア、早く行くよ!』


 風が巻き起こったと思えば、頭上から良く知った声が降ってきた。


「なぁ、あれって裏山の寝ぼすけ古竜じゃないか? 何があったんだ?」

『分かんないよ! いきなり吠えたと思ったら暴れ出して。ここはまだ大丈夫だけど、街の入り口あたりはもう瓦礫の山だよ。竜騎士達が手分けして避難させてるけど、古竜がその気になったら街なんて一息で火の海だからね!』


 竜は早口にそう捲し立てると、思いきりフォリアを鷲掴みにし夜空へ舞い上がる。

 

「お前、折角速度特化の飛竜なんだから、騎士乗せて他の人助けに行けよ! 俺はこれから――」

『古竜のとこに行くんでしょ! 少しだけだよ! 少しだけだからね! その気になれば、僕の翼なら古竜から逃げられるけど、少しだけだよ!』

「お前がその気になって飛んだら、俺千切れるけど!?」


 逃げ惑う人々の頭上を一息に通り過ぎ、一直線に古竜の元へ。

 竜が言っていた通り、古竜の回りは瓦礫の山だった。

 至る所から火の手が上がり、夜中だというのに人の顔がはっきり見えるほど辺りは明るい。

 幸いにも、逃げ遅れた人はいないみたいだが、古竜がのたうち回る度に、建物が一つまた一つと崩れ落ちていく。

 常にポケットに入れている特製耳栓を片耳につけたフォリアは、咆哮に顔をしかめながら竜の耳元へ顔を近付ける。


「あの寝ぼすけ、何て叫んでるか分かるか?」

『ほぼ悲鳴と言うか、うなり声と言うか。でもたまに『痛い』ってはっきり言ってる。あの古竜がのたうち回るような外傷は無さそうだから……』

「体内か……」


 どちらとも無くため息をつく。

 

「できる限り近くを飛んでくれ。黄疸とか何か、何かヒントになるものが無いか見たい。怪我させない程度に攻撃しても良いぞ」

『馬鹿にしないで? 全力でやったって傷一つ付けられませんけど?』


 竜は軽口を叩くと、翼をぎゅっと折り畳み急降下する。

 猛烈な風で、フォリアの頬がぶよぶよと引きつり、嫌でも歯がむき出しになる。

 その速度を維持したまま、時には尾を避け炎を避け、何度も古竜の回りをぐるぐると回る。


『どう?』

「早すぎてわっかんねー。降ろしてくれー」

『うーわヤブ医者ー』


 完全に竜酔いしたフォリアは竜から降りるなり、よたよたどしんと尻餅をつく。

 いつでもフォリアを抱え飛べるように構えている竜だが、這いつくばって気持ち悪そうにしているフォリアの姿に、緊張感が削がれる。


「うーん、狂いすぎてて分かんねぇな。イチかバチか中に入るか。暴れるかも知れないから、出来る限り街を守りつつ、ヤバそうだったら逃げろよ。はい、下がって下がって」

『イチかバチか中に入るか? ……え? なに?』


 よっこらしょと立ち上がったフォリアのその言葉に、竜は思考が停止する。

 言われたまま後ずさりすれば、フォリアは満足そうに笑った。

 そのままフォリアは、服についた砂埃をパンパンとはたき落とすと、向かってくる古竜に向かって両手を上げる。


「食べられるときは頭から! つるんとちゅるんと引っかかりませんように!」

『フォリアー!?』


 慌てた竜の絶叫を背に受けながら、フォリアは頭からつるんとちゅるんと綺麗に飲み込まれた。


 ※


 長い食道を通り抜けながら、異常が無いか高速目視。

 うっとりする程綺麗な体内に、古竜とは名ばかりでまだまだ現役で長生きしそうだなと、暢気な感想を抱く。

 暗くなってきた所で、小さな明かりの魔法を使う。ぼんやりとした明かりに、更に体内が見えやすくなった。

 そんな事をしていると、ようやく食道の旅を終え、噴門に到着。すんなりと口を開け胃に招き入れた噴門も、胃液で荒れたりすることも無く見本のような美しさだった。

 さて、胃の中はと、フォリアが一歩踏み出すと、すぐに異常が分かった。

 いつからあるか分からない、装飾なんかは全て消化され、刀身しか残っていない古い古い剣。

 それが幽門を塞ぐように、深く突き刺さっていたのだ。

 

「こんなもん飲み込んだまま、グースカ暢気に寝てたのか。抜いちまえば竜だし後は勝手に治るとは思うが……どうしたもんか」


 古竜が暴れる度に、天地も無く揺さぶられる体内で、どうやって剣を引き抜くか。

 抜く以前に、自分が剣にぶつかり怪我をしてもおかしくない状況だ。

 しかし時間は掛けられない。フォリアの自慢の寝間着の裾が、胃液でじわっと脆くなり始めていた。


 ※


 目の前でフォリアが食われたのを見てしまった竜は、半狂乱で古竜に体当たりを繰り返す。

 しかし、小型の竜と巨大な古竜の力の差は埋められず、古竜の鱗に傷の一つもつかない。

 そうこうしているうちに、古竜は街の方へと転がってしまった。


『ちょっと大人しくしてろよー!』


 水柱を何本も作り、古竜を挟み込む。

 火の古竜だからか水には弱いらしく、相変わらず理性は戻っていないが動きは鈍くなった。

 街の方から竜騎士達が飛んでくるのが見える。

 竜騎士達はきっと、水柱で動きが鈍くなった今、古竜を討伐しようとするだろう。

 そうなると中のフォリアは――

 竜は更に水柱で古竜を押さえ込むと同時に、街との間に巨大な水の壁を作る。

 竜騎士とは言え、簡単には壁を突破できないだろう。


『フォリア~フォリア~早くー!』


 ※


 溶け始めた寝間着が気持ち悪く、千切ってまくり上げるが、今度は足がピリピリと痛い。

 しかし、古竜は悲鳴と共に動きが鈍くなった。

 

「やるじゃん、あいつ」


 外で奮闘しているであろう竜の顔を思い出しながら、フォリアは一歩また一歩と剣に向かっていく。

 暴れる度に噴き出した血が胃に溜まり、この世で一番高価なプールを作り出している。

 治療費は寝間着に染み込んだ血だな、などと独りごちたフォリアは、両手でぐっと剣を握りしめる。


「固っ! 抜けたら勇者サマってか、こんちくしょうめー!」


 思いきり胃壁を蹴りつけながら、剣を左右に揺らし引き抜こうとする。

 しかし、傷口が広がる痛みに、古竜がまた暴れ出す。


「うぉおおおぉ! 耐えてくれー!」


 ゴボリゴボリとせり上がっていく血だまりに、足が滑る。

 もう一度と、大きく剣を揺らすと、古竜が跳ね上がる。

 その反動ですぽっと剣が抜けたが、支えを無くしたフォリアの体は、天地もめちゃくちゃに真っ逆さまに胃の中を転がり落ちていく。

 そして、ゴボリゴボリと湧き上がっていた血溜まりを吐き出そうと、古竜が大きく嘔吐く。

 噴門が何度か開くと、三度目の嘔吐きで勢いよく胃の中身が逆流していく。

 フォリアは、剣がどこにも刺さらないよう、刀身にしがみ付いたまま血と共に押し流されていった。


 古竜が暴れながら大量の血を吐き、倒れ込んだ。

 竜騎士達を押し返していた竜は、脇目も振らず、古竜の口元へと急ぐ。


「ゴホッ! ゲホッゴホッ……血なまぐせー!」

『フォリアー!』


 フォリアの姿を見付けた竜は、素早くフォリアを抱え込み、古竜から距離を取ったところで、水の魔法で血を洗い流してやる。


「あー最高。お前の水最高。あーー最高ー!」

『何で喰われたのに無事なの!? 無傷!? なにその剣! なんなの早く説明早く!』


 いろいろな感情が爆発する竜に、フォリアは豪快に笑いながら説明する。


「胃にトゲが刺さってたんだよ。トゲっつーか小骨っつーか、この剣っつーか」


 そう言って掲げた剣をまじまじと眺めた竜は、露骨に引いた顔をした。


『これ知ってる。神代の剣だ。何物も貫く神の剣』

「あー……成る程。そりゃ痛くてのたうち回るよな……」


 竜騎士達が古竜とフォリア達に駆け寄る中、二人は頭を抱え考えるのを止めた。



 しばらくすれば古竜も目覚めるだろうと説明し、帰ろうとすると、竜騎士団長が竜の尻尾にしがみ付いてきた。


「医師殿、この竜を竜騎士団にくれないか?」

「は? お前竜騎士んとこの竜じゃなかったのか?」

『野良でーす。しつこく誘われてるけど、誰も乗せたい人がいないんだもん。行きたくない』

「じゃあ無理だな。丁重にお断りしよう」


 話は終わったとばかりに竜によじ登ったフォリアを、竜騎士団長が慌てて止める。


「では、ではせめてこの竜の名前だけでも教えてくれ! 時間をかけてでも口説き落とす!」


 熱烈なアプローチに、フォリアは冗談めかして竜の顔をつつくが、竜はつんとそっぽを向いたまま動かない。

 普段ニコニコひょうきんな竜が、何をむくれているのか。

 フォリアは不思議そうに竜の顔を覗き込んでから、今更ながらに気付いた。


「そう言えば、名前なんていうんだ?」

『ないよ。フォリアが決めて』


 丁寧にフォリアを地面に降ろした竜は、口調に反して真剣な表情。

 竜騎士団長の小さな「えっ」を聞き逃したフォリアは、「そうか、じゃあ~……」と、アゴをさすりながら思案する。


紫苑色しおんいろの鱗が見事だから、シオンで」

『ふふっ……ふふ、あはははは! やったー! 今日からフォリアのバディだー!』


 突然大声を上げて舞い上がった竜――シオンは、喜びを抑えきれないと言わんばかりに飛び回り高らかに笑う。

 何が何だかと、ポカンとシオンを見上げていたフォリアの肩を、竜騎士団長がポンポンとたたく。


「竜は気難しくて、気に入った人間しか乗せないし会話もしない。魔法も飛行速度も素晴らしいから、てっきり何処かで名前を貰ったことがある個体だと思っていたが……」

「名前が、なに?」


 気まずそうにぎこちなく笑う竜騎士団長の隣に、ニコニコのシオンが降りてきた。


『竜との契約は、名前を贈ること! 契約した人間が生きている限り、竜は他の人は乗せないし従わない。名実共に、僕はフォリアのバディだ! わざと怪我して通って通って、ずっと狙ってたんだ!』

「貴殿のシオンが欲しければ、先に貴殿を手に入れなくてはならなくなった、と言うことだ」


 ニコニコのシオンと竜騎士団長に、フォリアはじわじわと現実を理解し始めた。

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