第2話 柴田勝家軍に救援命令書が届く

 越前国、北ノ庄城。

 城主である柴田勝家は頭を抱えていた。


「親父殿、御屋形様からどの様な文を?」


 勝家の事を父と呼び慕う若武者、前田利家が訊いた。彼は勝家の正面に座ると腰だめよりぶら下げていた瓢箪の口を咥えると喉を鳴らして飲む。勝家はその姿を見て、そんなみっともない飲み方をするもんじゃないと小言を漏らす。利家はへいへいと言うと瓢箪に栓をした。


「あぁ。能登の七尾城救援に向かえと」


「ですが親父殿。ようやく越前の仕置きが一段落したところでまだ加賀の仕置きが終わってません。まさか仕置きを無視して能登へ向かわれるのですか?」


「たわけ。そんな事、出来る訳がなかろうから頭を抱えてるのよ」



 北ノ庄城から能登へ向かうのなら北陸街道を北上し、津幡あたりで能登街道を北上すれば行けるだろう。しかし通り道である加賀国は一向宗徒たちが跋扈し、進軍さえ許してくれない。ただでさえ勝家は去年より北ノ庄城が与えられ、越前以北の北陸方面の仕置きを命令されたばかりであるのに。ただ、越前の仕置きはようやく目途がついたのだ。かなり荒っぽい方法だったがいくつもの血が流れ、いくつもの村を焼いてしまったのだが。



 北陸、特に加賀国は一向宗と呼ばれる宗教団体が一帯を治めている。というか彼らは宗教団体というより武装集団と呼んだほうがいいかもしれない。何せ長享二年には加賀国守護の富樫政親が一向一揆に攻め立てられ、自害し果てたのだ。その事件をもって『百姓の持ちたる国』と言われるようにもなる、そんな歴史まで持つ地だ。(1488・長享一揆)


 その為、通過地点である加賀国は織田家に取って不俱戴天の仇となる一向宗徒の巣窟だ、何事もなく通れる訳もない。そして今後はこんな地をどう侵攻し、統治しなきゃいけないのか。勝家が頭を抱えてるそばから信長から届いたのが命令書。それこそ七尾城救援なんてかなりの無茶ぶりと言えるだろう。



「で、では親父殿。三国湊より船を漕ぎ出て輪島湊まで行き、そこから……」


「兵糧や船の手配はどうするんじゃ。それこそ知恵者の猿に頼むにも無理があろう」


「いや、あの筑前殿サルなら何か儂らより良い知恵を───」


「なぁ犬千代よ、お前はもう少し考えろよ。仮に船や兵糧が準備出来て、漕ぎだして行っても時期に台風の季節だろう。しかも船で行っても追手が来ないって保証は無い。しかも湊の連中らは海賊みたいなもんだからあまり信用しない方がいい」


 勝家は利家の肩にそっと手を置くと一つ頷いて立ち上がった。うーんと唸りながら両手を天井に向かって伸ばす、勝家の肩腰あたりからぽきぽきと音が鳴った。


「とりあえず評定を始める。皆に出頭の指示をかけてくれ」


 勝家はそういうと、のしのしと足音を立てながら部屋を出て行った。




     * * *




「半兵衛殿、一つ質問いいっすか? あぁ、あと酒も取ってくだせぇ」


「あ、はい。どうしました小六殿」


 竹中重治は蜂須賀正勝に酒瓶を渡すとそちらを向いた。今まで読んでた書物を閉じ、床に置く。音を立てないよう置いたつもりだったが、近くで酔いつぶれて寝ていた羽柴秀吉がぴくりと肩を動かす。



「いやぁ、儂は頭が悪くてよぉ判らんのですがー、今回の畠山家救援、どうしてこんな命令が出たと思いやす?」


 正勝はそう言うと、受け取った酒瓶を傾けて酒盃に注ぐと一気に飲み干した。そしてまた傾けて注ぎ、また一気に飲む。


「あぁその件ですか。───小六殿、質問を質問で返す無礼をお許し願いたいが、どうしてこんな命令が出たと思ってます?」


「それが判らんのですよ。ほら、畠山家って確か幕府管領を務める家柄ってのは判るんですが、言っちゃなんですが能登畠山ってぇのは分家筋でしょう? そこまで無理してでも救援しなきゃって程の家でも無いと思うんでさ」


「あぁなるほど、確かに小六殿の考えは正鵠を射てますね。ではもう一つ質問をさせてください。───救援するために戦わなきゃいけない相手は誰ですか?」


「えっと、───確か上杉謙信だな。って事は半兵衛殿が考えるに謙信に理由があるんだろうな……うーん」


 正勝は酒盃を見つめながら唸り声を上げる。しかし答えが浮かばないのか酒瓶を傾けて注ぐとドンと床に置いた。横で寝てる秀吉が再びびくりと身体を浮かせる。



「小六殿はご存じじゃないかもですが、当家と上杉家は今も同盟関係なんですよ」


「え、そうなんすね。ですが、それとどう関係が? ってか同盟関係なんにそんなことして良いんすか!?」


「つまり、大殿が考えるに同盟破棄の原因はそちらですよねって言う大義名分ですよ、きっと」


 確かに織田家と上杉家は元亀3年(1572年)11月20日 に軍事同盟が成立している、もちろん締結理由は武田信玄の西上作戦に対するものだ。しかし当時と今では状況が随分と変わっている。


 何せその武田信玄、三河国へ侵攻したと思えば突然甲斐国へ引き返していったのだ。しかも風の噂で進軍中に死亡したとも聞こえるのだから。そしてその信玄の四男・勝頼が家督を継いで当主となったと聞こえるや急な拡大政策を取るようになった。きっと勝頼自身が武田家と敵対関係であった諏訪家出身というのも本人の中の葛藤であったのだろう。もたもたしてたら前の御屋形様ならと陰口を叩かれるだろうし。しかし急激な拡大政策は元々信玄に仕えていた譜代の家臣達にとってかなり軽率に見えたのだろう。


 そんな中、一昨年あった長篠の戦い(1575年)が大きな転換点だった。織田・徳川連合軍とぶつかった武田軍は譜代家老の山県昌景や内藤昌秀、馬場信春などをはじめ有力家臣たちを大勢失い、再起まで多大な時間がかかる程の大敗を喫したのである。この譜代家老たちの死も、ただやみくもに当たれと言うばかりの勝頼へ諫めるための死だったとも聞く。



「───であるからにして東からの脅威も薄れ、しかも当家とがっぷりぶつかりあってる本願寺に近づきつつある上杉家と同盟関係は終え……ってあれ?」



 重治としては判りやすく説明してたつもりだったが、その説明する自身の姿に酔っていたのだろうか。聞いていたはずの正勝は酒瓶を抱えたまま大いびきをかいていたのだ。



「やれやれ。皆さま風邪を召しますよ、寝るなら自室ですよ」


 そういうと重治は立ち上がった、しかし視界が少し歪みふらついたので片膝立ちになる。


「私も少し飲みすぎたみたいですね───って小一郎殿、起きてたんですね」


 相当酔ってしまったのだろうか、片膝立ちになってもふらつきが止まらなかった。このまま倒れるかもと思ってたその時、重治の肩を掴んでくれた人が居たので倒れずに済んだのだ。重治が振り返るとそこに羽柴秀吉の弟・秀長が笑顔で立っていた。



「半兵衛殿、大丈夫ですか?」


「えぇ大丈夫です。ふふ、少し酔いが回ったんでしょうね」


「先ほど井戸から汲んできた水です、良かったら飲んでくだせぇ。───あと、良かったらあっしにもう少し詳しい話を教えてほしいんです、先ほどの話を」


 秀長は瓢箪を傾けると酒盃に水を注いでくれた。重治はそっと口に含む、歯が沁みるほど冷えた水だった。


「ふふ、良いですよ。ところで小一郎殿は素面なんですね?」


「あぁ、あっしが酔うと兄者が酔っぱらった時の制止役がおらんでしょ? ですんで極力飲まんようしてるんでさ。───ささ、半兵衛殿、ご教授願えますか? ほら、兄者も起きて! さぁさぁ!」


 秀長にぴしゃりと額を叩かれた秀吉はふがっと言いつつ寝ぼけ眼をこすり座りなおす。


 ふふ、この兄弟は面白い。世の中兄弟同士でも殺しあう世の中なのに、なんて仲睦まじいのやら。そう思いながら重治は座りなおすと織田・上杉の濃越同盟について話始めるのだった。

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