第95話 予兆2


 ドリファ軍団の執務室にやって来たユーリとシロを、アウレリウスは少し不思議そうな目で迎えた。

 二人は最近、プライベートの多くの時間を一緒に過ごしている。仕事の話もそのときにするのが増えて、こうしてユーリが訪ねてくるのは減ったのだ。


「どうした。緊急の用事か?」


「いえ。そういうわけではないのですが」


 ユーリの表情と口調が固い。

 彼女は書類を取り出して、魔物の出現位置が変わりつつある話を説明した。

 アウレリウスは最初グラフの分かりやすさに感嘆して、次に厳しい目つきになった。


「……報告を感謝する」


「何か、分かりましたか」


 アウレリウスは答えない。

 けれど彼の胸のうちに大きな疑念が渦巻いていた。


「まだ確信がない。今はこの情報を元に行動をするとだけ言っておく」


 アウレリウスは一瞬だけ迷いをにじませた後、何も伝えないことを選んだ。

 不安そうなユーリに隠し事をするのは気が引けたが、確信がないのは本当だった。

 であれば、今の段階で余計な心配はかけたくない。彼はそう考える。


 執務室を辞したユーリを見送って、彼は深く息を吐いた。

 脳裏に浮かぶのは、八年前のあの日。父と伯父が死んだ日。

 ドリファ軍団を半壊させた強大な魔物・魔王竜は、数多の魔物を引き連れて現れた。

 最初は弱い魔物が飛び出すように魔の森を出て、ウルピウスの防壁に押し寄せた。

 次に中級や上級の魔物がやって来て、軍団と激しい戦闘を繰り広げた。

 そして最後に魔王竜本体が近づいて――


(最初に押し寄せた弱い魔物たちは、恐慌状態に陥っているように見えた。魔物は普段であれば、積極的に魔の森から出ようとはしない。しかし追われていたのであればどうか? 命の危険を感じて逃げ惑っていたのであれば、あのような挙動を取ってもおかしくはない)


 ユーリに借りたデータを見る。

 まるで押し出されるように、何かから逃げようとするように。魔の森の外周に集まっている弱い魔物たち。


(中級以上の魔物も正気ではなかったように思う。魔の森を出て正面から、狂ったように戦いを挑んできた。それに……)


 秋に出現した地炎獣。あの強力な魔物でさえ、本来ならば取らない行動を起こした。

 何もかもが八年前と符合する。


 アウレリウスは身震いした。

 それは死闘の恐怖を思い出したためでもあり、遂に仇敵を討つ機会が見えてきたためでもある。


「ペトロニウス!」


 彼は忠実な部下を呼ぶ。

 すぐにやって来たペトロニウスに対して、命令を下した。


「魔の森の監視を強化する。見張り塔の人員を増やし、斥候と工兵を出せ。またBランク以上の冒険者に通達、斥候の補助と調査範囲の拡大命令だ」


「はっ」


 ペトロニウスは何か言いかけて、主の真剣な表情を見て言葉を飲み込んだ。

 ただでさえ危険度の高い魔の森の調査は、本来であれば冬の時期にするものではない。

 あえて行うだけの理由があるのだろうと、彼は黙した。


 アウレリウスは重ねて問う。


「ユリウスは戻っているか?」


「いえ。一昨日に魔の森に出て、相変わらず『無銘』の調整をしているようです。戻っていません」


 ユリウスは新しい刀のこしらえを作ってから、ほとんどを魔の森にこもって過ごしていた。

 日本刀は以前の剣と形も重量も違う。扱いに慣れる必要があった。そのための鍛錬だった。


「戻り次第、呼び出してくれ。奴の力が必要になる」


「承知いたしました」


 ペトロニウスが部屋を出た後、アウレリウスは立ち上がって窓の外を見た。

 雪がちらちらと降る向こうに、整然と立ち並ぶ軍団の宿舎と訓練に励む兵士たちの姿が見える。

 今年の彼らは流行り病や食中毒が少なく、健康だった。石けんでの手洗いと風呂を徹底したおかげだろう。

 ユーリのカレーやその他の食事指導のおかげで体の調子がよくて、寒い中での訓練もいとわずにやっている。


 ――八年。


 かつて半分以上の兵士が死んで、軍団の体をなさないほどに混乱していた時期が嘘のようだ。


(今度こそ、必ず……)


 彼はこのカムロドゥヌムの町の守護者。その名に恥じない成果を。

 アウレリウスの瞳の奥で、決意が確固たる輝きを放っていた。







 同じ頃。

 魔の森の一角に赤い血しぶきが飛ぶ。悲鳴を上げる間もなく地に伏したのは、オーガ族の王。


「ま、こんなもんか」


 ユリウスは無銘の血を払って鞘に収めた。

 彼の周囲には数え切れないほどの死体がある。全てがオーガ族のもので、戦士や魔法使い、精霊使いのものもある。

 魔の森での鍛錬の途中、オーガ族の集落を見つけたので潰したのだ。


「ユリウスー。逃げた奴の掃討も終わったよ」


 ロビンとヴィーが近づいてきた。


「うん、ありがとう」


 ユリウスは一瞬だけ微笑んで、すぐに表情を引き締めた。


「無銘の扱いもだいぶ慣れたよ。ただ、やっぱりおかしいよね。こんな浅い場所にこの規模の集落ができているなんて」


「魔力が乱れているせいかも」


 と、ヴィーが言う。魔力感知を走らせながら、辺りをうかがっている。


「とても広い範囲で乱れている。ちょっと普段じゃ考えられないくらい」


「そのせいか、森が騒がしいよ。魔物たちも妙に殺気立ってるし」


 ヴィーの言葉をロビンが受けた。


「一度、カムロドゥヌムに戻ろうか」


 ユリウスが言った。ロビンは彼を見る。


「いいの? まだ町を出て三日目だけど」


「うん。この状況、アウレリウスに伝えよう。彼なら何か分かるかも」


 雪が徐々に降る勢いを増している。

 ユリウスたちはその場を去った。

 降りしきる雪はやがてオーガの死体を包みこんで、何事もなかったかのように静寂を守っていた。


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