第73話 余計なこと
彼らの後ろでロビンとヴィーが、小さな声でひそひそと話している。
「ユリウス、明らかにおかしいよな」
「うん。あんな彼、初めて見た」
「いつもはうまいこと女の懐に転がり込んで、『抱きしめてもらうと柔らかくて安心する』とか言って、あれこれ世話を焼かせるじゃん」
「うん。あれ、見てると割とドン引きする」
「そこまで言わなくても……。どっちにしても、ユリウスがあんなにかいがいしく女に尽くすなんて、前代未聞だよ」
(聞こえているよ)
仲間たちの内緒話を背に受けながら、ユリウスは内心で笑った。
(自分でも驚いている。――ユーリはすごい人だよ。か弱い女性の身で前に進む気概を持ち続けて、いつだって新しい挑戦をしている。彼女にはなんでもしてあげたいし、望みをかなえてあげたい。守ってあげたいんだ。その気持はだんだん強くなっていくばかりだった。問題は……)
目線を上げると、街道の向こうに小さくカムロドゥヌムの町が見え始めている。
ユリウスは従兄を思う。あの町で一人、長い間戦ってきた彼を。昔から尊敬してやまないアウレリウス。
(アウレリウスと争うなんて、したくない。けど……)
その先の答えは、まだ出てこない。
ユリウスは腕の中のユーリの感触を確かめながら、終着地へ向かって足を早めた。
「ユリウス。アウレリウス様には、絶対に余計なことを言わないでね!?」
カムロドゥヌムのほど近くまで来た場所で、一行は少しの休憩を取った。ユーリの状態を慮ってのことだ。
街道横の手頃な石に腰を下ろしてもらったユーリは、そんなことを言う。
「余計なこと?」
ユリウスがわざとらしく首をかしげれば、ユーリは顔を真赤にした。
「あなたのおかしな態度とか、恋愛感情がどうとかいう話よ。今回はあくまで石けんの材料調達と視察で、他にはなにもなかった。いいわね?」
「別にいいけど。どうしてそれをアウレリウスに言いたくないわけ?」
「そ、それは……」
ユーリは言葉に詰まった。なぜだろう、と自問する。
「それは……」
言いながらユーリは胸を押さえる。
ユピテル帝国に来てからの、アウレリウスの記憶が蘇る。
異世界転移をしてしまったユーリが仕事をすると宣言して、カムロドゥヌムまで連れてきてくれたこと。
問題だらけの冒険者ギルドに放り込まれて大変だったけど、何かと助けてくれたこと。
特にたった一人で倉庫にこもっていた頃、紫色の魔道具が彼女の心を照らしてくれた。
カレー事業を立ち上げて、相談しながら進めた。ユーリの発想だけでは抜けのある部分を、アウレリウスは補ってくれた。
町の人々の未来を思う仕事はやりがいがあって、彼と一緒に取り組むのは楽しかった。
高価な素材を使って、ユーリに感謝の証を作ってくれると言われて。とても嬉しかった。
(……そうか。私、アウレリウス様が好きなんだ)
二十七歳にもなって、まるで中学生のような鈍さと初々しさである。
けれどユーリは思った。
過剰なほどに好意を表すユリウスに対し、アウレリウスにその様子はない。彼がユーリに付き合ってくれるのは、あくまでカムロドゥヌムの責任者としてであって、それ以上の好意はないのだろう。
「…………」
気付きと納得と……諦めと。いろんな想いが彼女の胸を締め付けた。
そんなユーリの表情を眺めて、ユリウスは内心でため息をついた。彼女の心中はおおむね予想できた。
ただ、思ったよりも諦めの色が濃いのを意外に感じた。
「さあ、そろそろ行こうか。町はもうすぐそこだ」
「……うん」
ユーリは大人しくユリウスの腕におさまる。彼女の切なく伏せられた睫毛が、ユリウスの心を揺らす。
「ユーリ、あなたの言う『余計なこと』だけど」
揺れる心を押し殺し、いつもの調子を装ってユリウスは言った。
「アウレリウスには言わないよ。僕たちの秘密にしておこう」
「……ずるい言い方をするのね」
その声は低く、今までのユーリのどんな声音とも違っていた。
ユリウスは思わず腕に力を入れる。ユーリの体の輪郭がはっきりと感じられて、心の揺れを押し止められなくなった。
彼女を手に入れたい。でも、傷つけたくない。
尊敬する従兄と争いたくない。でも、いっそ奪ってしまえば。
相反する感情がぐるぐると渦を巻く。ここまで心を乱されたのは、八年前の事件以来だった。
目の前にはもう町がある。今の帰るべき場所。彼にとっての故郷。
あの町が見えていて良かった、とユリウスは思った。
そうでなければ彼女を連れて、どこか遠い場所に行ってしまったかもしれないので。
カムロドゥヌムに戻ってきたユーリは、早速石けん作りを再開した。
西海岸から持ち帰った海藻に加えて、魔の森の植物たちも届き始めている。
ユーリはこれらの植物を燃やして灰にして、それぞれラベルを付けた木箱に入れた。
それから獣脂を煮込んで取り出した脂の塊を湯せんして溶かして、植物の種類ごとの灰を分けて混ぜていった。
結果、やはり海藻の灰が一番石けんに適していた。
薪の灰ではドロドロのままだった石けんは、翌日には軽く固まっていて、数日経てばきちんと固形になっていたのである。
他にも魔の森の植物で、アイビーに似たツル性の植物の灰がなかなかよかった。アイビーもどきはちょっとスパイシーないい匂いもする。
獣脂ベースの石けんは匂いは獣臭くて、色は黄色っぽい。ユーリはいずれ、香り付けを工夫してみようと思った。
「海藻とアイビー。この二つであれば、石けんの完成まで持っていけそう」
苦労して取ってきた海藻が思った通りの効果を発揮して、ユーリは満足である。
乾燥途中の石けんを持って、アウレリウスの執務室まで行った。
「石けん、上手く作れそうです」
ユーリは小さく切った固形石けんを取り出してみせた。水筒の水で泡立てれば、よく泡立つ。
アウレリウスは興味深そうに石けんを手に取った。
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