8:隠密の作戦決行の朝

「ビュー様、時間ですよ」


 バルタサルの声で目を開ける。まだ部屋は暗く、ランプの明かりが灯されている。


「ごきげんよう」


 目をこすろうとするが、そんな悠長なことをしている場合ではない。我に返って眠気を覚ます。


「妹はまだいますか」

「部屋は静かなので、まだ寝ていると思われます」

「よかった」


 身支度はしっかり整えなければならないので、着替え、髪を巻いてもらい、その間にバターロールパンを二個ほおばる。

 お嬢様らしからぬ所作だが仕方がない。


 化粧も済ませ、支度は整った。


「バルタサル、参りましょう」


 父や母を起こさないように、そーっと忍び足で廊下を歩き、静かに玄関のドアを開く。


 カチャ


 少し音は鳴ってしまったが、これくらいなら大丈夫だろう。


 敷地の外に出ると、私は変装ならぬ変化をする。

 架空の人物ではなく、実在する人物に変化した。私がよく妖術で腰痛の治療をしている貴族の娘・ルフィナだ。


 貴族の密なコミュニティから考えると、その方が適切だろう。


 ランプの明かりと記憶を頼りに、王城に静かに歩みを進める。一見私一人でいるように見えるが、後ろからバルタサルに尾行してもらっている。


 王城が見える位置までたどり着くと、突然よろいを来た人に声をかけられた。


「あなた様が、王子殿下の婚約候補という方でございましょうか」

「左様でございますわ」

「王子殿下があちらでお待ちでございます」

「承知いたしました」


 どうやら護衛のようだ。


 護衛はちらっと私の後ろに視線を飛ばし、うなずいた。それにつられて私が後ろを振り向くと、陰に隠れながら私の後を追っているバルタサルがいた。

 この一瞬で意思疎通をしたということだ。さすが、要人の保護になれている。


 ここでバルタサルとは別れた。


 王城の門まで来ると、扉が片方だけ開いて、シル王子が姿を現した。


「おはようございます」

「ごきげんよう」


 スカートを両手でつまみ、軽くおじぎをする。国王のいる応接間までは、今変化へんげしている『彼女』になりきらなければならない。


 無事、怪しまれずに王城の敷地内に入ることができた。


「父上様のところまでご案内いたしますね」


 シル王子は私に手を差し出してきた。


 はっ、これは。


 思い返せば、今までシル王子と家の外はおろか私の部屋以外で会ったことがなかった。一緒にこのようにして歩くこともなかった。

 だいぶ打ち解けてきたというのに、まだ手をつないだことがないのだ。


 新鮮な面持ちで、優しく手を重ねる。


「お願いいたします」


 シル王子はどこか満足そうな微笑みをした。


 ここからは私語厳禁だ。

 早朝のしんとした空気に、私たちの足音だけがザッザッと響いている。


 道行くたびに会う護衛に会釈をしながら、ついに王城の中へと足を踏み入れる。


 歩きながら、「少しでもバネッサさんの記憶が残っていればよかったのに」と思う私。

 王太子の婚約候補だったのならば、王城には何回も出入りしていただろう。このように案内されなくとも、自力で応接間にたどり着けたはずだ。


 その王太子に見つからないように迂回うかいして向かっているそうだが、いつ着くのか見当もつかない。


 二階上り、ぐるっとまわり、一階下りた先がこの事件の目的地だった。






 コンコンコン


「父上様、失礼いたします」


 大きく重そうな扉をノックするも、中から返事はない。代わりに聞こえてきたのは、「な、なんだと……⁉」と怒気に満ちた中年男性の声であった。


 ただならぬ気配を察したシル王子が、扉を開けて応接間に突入する。手を繋がれていた私も、つられるように中に入った。


「…………え?」


 その姿を見たとたん、私の足は硬直した。


「あら、王子殿下に……ルフィナ様。ご無沙汰しておりますわ」

「シルビオ、何の用だ」


 なぜかアグスティナと王太子がいるのだ。


「それはこちらのセリフでございます、兄上様。昨日、この時間に父上様とお話しする約束をしましたので」

「こちらはそれどころの話ではない。アグスティナが私に婚約破棄を告げた。この私にだ」


 一歩、間に合わなかった。作戦失敗だ。

 アグスティナの部屋が静かだったのは、寝ていたからではなく、部屋にいなかったからということだったのだ。


 しかし、私はこれだけで諦めるような妖怪ではない。


変化へんげ解除」


 元々ここでビュートリナの姿に戻る予定だった。混乱させるにはちょうどいい。


「うわっ、ルフィナがバネッサ――あの畜生に変わったぞ!」

「ど、どうしてお姉様が⁉」

「バネッサもどきを捕らえろ!」

「待て、カルロス。なにか伝えたいことがあるのだろう」


 さすがは国王だ。状況がわかっている。

 促されたので、あの王太子とアグスティナのいる前で言ってやる。


「結論から申し上げますと、今 妹がした婚約破棄は、このフェンダルタ王国が侵略されることに繋がる恐れがございます」


 ポカンとするアグスティナ、「は?」と眉をひそめる王太子、かたや「確かに混乱しているから侵略しやすい状況ではあるが……」と冷静な国王。


 その時。


 バンッッッッ‼


 鼓膜が破れそうなほどの破壊音が耳をつんざく。振り返ると、廊下側の壁に大穴が空いていた。

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