Unfulfilled Desires 2
地面に着地すると、すぐさま女に絡み付く毛羽毛現の触手にも似た毛を鷲掴みにする。そして女に衝撃が伝わらないように毛を余してから踏みつけると、未だに路地の闇に隠れている本体を引きずり出すために、背負い投げの要領で毛を引いた。
アシクレイファ粘菌によって強化された筋力はいとも簡単に毛羽毛現を引きずり出す。それこそ、羽を放るかの如く容易い動きだった。
空に舞った毛羽毛現は抵抗を示す間もなく反対側のビルの壁に叩きつけられてずり落ちた。落ちたところは、近所の飲食店のゴミの収集場所になっていようで、そこだけを切り取ってみれば捨てられたカーペットのような有様だ。怯んだ毛羽毛現の体毛はスルスルと緩み、掃除機のコードよろしく本体の方へと引っ込んで行った。
女の安全が確保されたのを見届けてから、裕也は彼女に手を差しのべながら尋ねた。
「Are you OK?」
ところが返ってきたのは、裕也の意にはそぐわない甲高い悲鳴だけだった。
「きゃああああ!?」
再び女は必死の様相で人混みの中に駆けていった。群衆の関心は女の悲鳴を皮切りに裕也の方へと向いていた。
「なんだ!?」
「『のっぺらぼう』だ」
「妖怪と妖怪が戦ってるぞ!」
そのざわめきを聞いて、裕也はしまったと思った。
確かに傍目には自分だって妖怪と何ら変わらない。それが人を助けたりしたのなら、興味はそちらに募るに決まっている。
裕也はそれでも女を助けられたのだから良かったと結論付けた。
するとその時、怯みから回復した毛羽毛現が腹いせをするかのように攻撃を仕掛けてきた。無数の体毛で絡み付いたり、通りにあった自転車や看板を手当たり次第に投げつけてくる。
まさしく猛攻と言うべき応酬であったが、今の裕也にとってはまるで取るに足らない攻撃に思えて仕方がない。避けるも受けるも何の苦も感じない。その上、裕也は一足で間合いを詰め、正拳突きを一発見舞うことすらできた。
目に見えて毛羽毛現の動きが鈍る。
本来妖怪への干渉は霊力によって扱われる退魔術か、さもなくば兵器レベルの破壊力を持つ物理攻撃しか有効ではない。つまりは今の裕也は素手の状態で重火器並みの攻撃力を有していることの何よりの証明となっていた。
「お前、妖怪じゃないな・・・」
突如として毛羽毛現が口を聞いてきた。
妖怪がコンタクトを取ってくるのはこれが初めてのことだったので裕也は驚いたものの、なんとか平静を保って返事をした。
「あ、やっぱり妖怪には分かるのか?」
「妖気が感じられん。だが、人間の動きとも思えん、一体何者だ?」
「一応、Mr.Facelessって名前があるから、そう呼んでくれると嬉しいな」
「ミスターフェイスレス?」
「Yes」
「…」
数秒の沈黙の後、毛羽毛現の放つ気配が一段と濃くなった。周囲の気温が下がったような錯覚を起こし、思わず身震いをした。
毛羽毛現はぐねぐねとした気味の悪い動きを見せると、急に飛びかかってきた。体毛が前後左右上下の方向に伸び、一回り大きくなっている。問題なのは伸び代が一定でないので、微妙に毛羽毛現本体の場所が直感的につかめない点だ。先程とは違い、全身全霊を以て襲ってくる体毛にからめとられるのは得策ではない。
二手、三手は防戦に回っていた裕也だったが、妙案が浮かんだ。アシクレイファ粘菌の粘着性を利用して毛羽毛現の動きを制限できないかというものだ。
突飛な発想をすぐに実現できる行動力が今の自分には備わっていることを改めて実感すると、裕也は妖怪と戦うことに恐怖よりも楽しさを見いだしていた。
裕也は早速それを試してみた。
大通りに面してるビルの壁を縦横無尽に飛び回り毛羽毛現を翻弄すると、指先から粘菌を抽出し、カウボーイの投げ輪の如く振ってから投げつけた。毛羽毛現は咄嗟にそれを払い除けたが、それが狙いだから問題ない。粘菌は接着剤のように体毛にこびりつき、ひとつの束にしてしまう。それを取ろうともがく内に、とうとう毛羽毛現の体のほとんどが粘菌によってまとめられてしまった。
しかし同時に危機感も覚えていた。
裕也の保持する粘菌も無尽蔵に湧いて出てくるわけではない。毛羽毛現を束縛する粘菌の質量が増えるほど、裕也の体の中からはそれが失われていく。生命活動の一切をアシクレイファ粘菌に頼っている以上、度を越した無茶はできない。
思いきった裕也は毛羽毛現をからめとったまま、アシクレイファ粘菌を体の中に引き戻した。それにつれられて毛羽毛現も引き寄せられる。体毛のほとんどを封じているせいで、本体の場所が丸分かりだ。
一気に勝負をつける。裕也はそう決意した。
引き寄せる勢いを利用して、渾身の一撃を叩き込む。今まで経験したことのないような感触が左手から全身に伝わった。
毛羽毛現は溺れるような息づかいと、くぐもった声を漏らすと全身が白く偏食していき、とうとう灰になって崩れ落ちてしまう。それはビル風に煽られて何処かへと消えていった。
通りにいた人達は、正体や家庭はどうであれ自分達に危害を加えることはなく、妖怪を退治してくれたということを理解したようで、徐々に拍手や喝采で裕也を讃えてくれ始めた。だが、それも束の間。人だかりを押し退けるように黒装束の集団が列挙して押し寄せてきた。神邊の一門だ。
「Are you serious?」
裕也はそんな気さくなあいさつをした。妖怪退治を見事に達成した自分の中では、すでに神邊一門は同輩のつもりになっていたのだ。だが、当然ながら相手から返ってきたのは、嫌疑の眼差しと態度だった。
「てめえ、何者だ?」
「さっきも聞かれたけど、Mr.Facelessって名前があるから、そう呼んでくれると嬉しい」
飄々とした様子に門徒たちはざわめいた。
「何だコイツ?」
「のっぺらぼう…じゃないのか?」
「こいつからは妖気が全く出ていない。妖怪じゃない」
「人間でもないだろ」
そういうと一人の門徒が前に歩みだした。
この男は本家で見たことがある。言ってしまえば一門の師範代的存在で、操が不在の時は彼がまとめ約にされることが多い。とは言っても裕也は彼の名前を知らない。お互いに面識はあるくせに、あらゆる方面からないがしろにされていた裕也はあいさつをする機会すら与えられていなかったのだから。
「お前を拘束する。動くな」
男は持っていた錫杖を構えた。
乱暴な申し出に裕也は慌てた。少なくとも拘束されるような謂れはない。
「ちょっと待ってくれ。今の戦いは見ていただろう?」
「ああ、遠巻きにな」
「僕は妖怪を退治した。敵対するつもりはないんだ、言ってしまえば君たちの味方だ」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。けどそれを判断するのは俺達じゃない」
「なるほどね」
そう言われてしまうとそうなのかもしれないと思ってしまった。
だが捕まるのはごめんだ。恐らくは操のもとに引き渡すつもりだろうが、そんな惨めな出会い方はしたくない。こんな素晴らしい力を手に入れたのだ。劇的な演出は望まないにしても、今までの自分のイメージを払拭してみんなに認めてもらいたい。
思うが早いか、裕也は真上に垂直跳びをした。二、三階の高さまで飛び上がると腕を伸ばして、隣のビルの壁に張り付く。
まさかの行動に、一門の連中は驚く以外の反応が見せられなかった。
「なっ!?」
「待て!」
そんな声を背中に受けたが、当然止まることもなく裕也の姿は瞬く間にビルの向こうへと消えていった。
◇
来たときと同じようにビルからビルへと飛び移りながら帰路についていた。毛羽毛現との戦いはそれほどのことではなかったが、一門の連中に迫られたことが思いの外、心に来ていた。
「見た目が見た目だものな」
裕也は自問自答する。
妖気がないお陰で妖怪でないことの証明はできるようだが、それでも不信感を完全に取り除くことはできないだろう。裕也がどれほど協力すると言っても、神邊家は受け入れはしない。
かと言って正体を明かしたとして、うまく事が運ぶビジョンが見えない。裕也も家での自分の立場が最下層であることは重々承知している。操だけに打ち明けるという考えもあるが、彼女の性格から言って今すぐに止めるように促される未来しか想像できない。
そこで裕也は思い至る。
(だったら先に実績を作ればいいんじゃないか?)
神邊家と共同戦線を張らなくても自力で妖怪を退治することはできる。妖怪を的確に対処して、町を守っていれば味方であるとアピールもできる。
荒唐無稽なアイデアばかりが頭の中を駆けていることに、裕也は気づいていない。それほどまでに手にいれた力と毛羽毛現を退治した余韻に支配されていた。粘菌に包まれた口元は広角が上がり、無意識に微笑んでいる。
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