第16話 不意にお風呂ムードフローズン
その日の夜。
太陽はすっかり西の地平線に沈み切り、煌々とした月が、闇夜に染まった街を仄かに白く照らしている。
そんな深夜の出来事である。
我々エコー勧誘隊は、エコーの眠る公園の丘を観察していた。
理由は特に無い。
訳では無い。
すやすやと丘の斜面で眠るエコーから、少し離れた草むらに隠れ、俺達は観察を敢行していた。
「なぁ、こんな事に意味は無いと思うのだが? そもそも、何故に観察?」
「現代ならストーカー規制法とかで余裕の逮捕だけど、理由はある。少しふざけている様だけど、エコーっていつ入浴しているんだ?」
「デリカシー死んでるのか?」
アルカディアの軽蔑と侮蔑の目線を軽く受け流し、俺は続ける。
「詰まる所、エコーに入浴をしていない事による健康被害が確認されていない時点で、逆説的にどこかのタイミングで入浴している事になる。早朝から、日の入りの時点ではないのは確定として、後は深夜くらいだろ。そこにエコーの秘密がある気がする。これは直感な」
「キモイ」
「ド直球!」
本気で軽蔑されていそうな気配を見せるアルカディアを宥めつつ、観察を続行していると、変化が起こる。
眠っていたエコーがゆっくりと起き上がり、周りを見渡してから立ち上がり、どこかへ歩き出す。
「よし、何故か変化が訪れたぞ」
「え、本当に何かあるのか? イツキの妄言ではなく?」
「ほら、ぼやいてないで、行くぜ」
「えー、イツキの勘が当たった何て」
何かをぶつぶつと呟くアルカディアを連れて、エコーを尾行する。
煌々とした月が明るく照らす街路を抜け、人気の無い路地裏を通り、到着したのは、
「ギルドか? 何でここに?」
「知らん。とにかく、追ってみよう」
俺の疑問の言葉に、アルカディアの凛とした声音の言葉が応答する。
ギルドに入ったエコーを追う為、ギルドの扉の前に立つ。
ギルドの扉をゆっくりと開け放ち、ギィィと言う扉が軋む様な音を置き去りにしてギルド内に入り、辺りを見渡す。
暗闇に染まったギルド内は薄明りを放つ照明が明るく照らし、差し込まれた夜の色を塗りつぶす様な光は、幻想的な雰囲気を醸し出している。
そこに在るのは、泥酔した冒険者、未だに晩酌をして騒いでいる冒険者達だ。
これこそ健全な冒険者の姿だな。
その喧騒の中、目を凝らすと、エコーが地下の階段を下っているのを視認した。
「アルカディア、あそこの階段って大浴場だよな」
「その通り。信じ難いが、イツキの勘が当たったらしい」
そのまま、大浴場に繋がる階段に近付いて行き、俺は立ち止まって、
「アルカディア、俺はここまでだ。流石に手助け出来ない」
「当然だろう」
「茶化すな! ――コホン。アルカディア、エコーの情報を掴んで来てくれ。まぁ、多分、誰も風呂に入らない様な時間に入るのは、ただ恥ずかしがり屋なんだと思うけどな。裸の付き合い的な感じで頑張れ、仲良くなって来い」
「何かキモイ」
「シバくぞ」
「冗談だ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
そう言って、本日二度目の入浴に向かうアルカディアに手を振って見送る。
俺は地下階段に背を向け、テキトウに空いている酒場の席に深く座り、アルカディアの帰りを待つ事にする。
俺は少し目線を俯かせながら、
「はぁ、本当に合っていたかなぁ」
意外と人生は後悔ばかりだ。その後悔は些細な事でも心を蝕む。
さて、どうなる事やら。
地下階段を足早に下り、地下に辿り着く。
そこは広大に広がった銭湯の受付の様な場所だ。
机を囲む大きいソファーや、備え付けてある魔力式冷蔵庫からは飲み物が有料で手に入る。
「ポーションは無いか? ……無いか」
ゆったりと落ち着ける様にする為か、柔らかい照明の光が温かくこの部屋全体を照らしている。
すっと吸い込まれる柔らかい絨毯を踏み締め、女風呂に繋がる赤い暖簾を潜り抜ける。
眼前に映し出される光景は、特筆すべき事は何も無い、普遍的な脱衣所だ。
普遍的な脱衣所よりも幾らか広いその空間には、脱衣された服が殆どなく、あるのは白いローブなどのエコーが身に着けている物のみ。
「本当にこの時間帯は人が居ないな。まぁ、酒に酔って風呂に入るのは良くないらしいし、私は飲まないから知らないが」
そんな考察をしながら、脱いだ服を置く為に設置されている収納棚に近付く。
銭湯に設置されているこの棚だが、正式名称とかはあるのだろうか。
私はサッサと服を脱ぎ散らかし、一糸纏わぬ姿に早変わりだ。
脱いだ服を棚に入れ、タオルを手に持って浴場の扉の前に立ち、その扉を開け放つ。
むわりとした湯気が開け放った扉の隙間から漏れ出す。
茹だる様な、それでいて何処か心地良い蒸気を受けながら、浴場に入り込む。
浴場の床一面に薄く張られた水面の感覚を足裏に感じ、肌に纏わり付く水分の感覚を直に感じる。
熱気を孕んだ湯気を吸い込み、肺に満ちる微細な水分を感じながら、
「エコー、居るかぁ!」
「ピョェェェ! あ、アルカディアちゃん!? どうしてここに!?」
私の呼び掛けに、シャワーで体を洗っていたエコーは驚きで体をビクッと硬直させ、立ち上がる。
そこに居たのは一糸纏わぬエコーであった。
頭にタオルを巻き付けている以外は一切の着衣が無い状態。その透き通る様な肌は水の光沢により金剛石の如く輝き、柔らかな肢体は女性的な膨らみに富んだ物であり、とても扇情的で――、
って、そんな事を考えている場合では無かった。
「いや、深夜に入浴するのも一興かと」
「クッ、まさかこんな所にまで……! 変態! ストーカー!」
「私に言われても困る。文句ならあの変態に言ってくれ」
「後で張り倒そー」
そんなこんなしながら、私とエコーは体を洗い始める。
魔力式灌水浴装置、分かりやすく言うならば、シャワーで体をゴシゴシと体を洗い、体に付着した垢や汚れを落として行く。
シャワーの前に設置された風呂の椅子に座りながら、
「なぁ、何故にこんな遅くの時間に入浴するのだ? ただ単に、『ペナルティ』の影響で深夜に起きてしまうからなのか?」
そう隣で髪を洗うエコーに疑問を投げ掛ける。
その質問に、エコーは目を逸らしながら、
「特に理由は無いよ。皆と一緒に入るのが苦手でさ」
「そうか、やはりゴーレムは何かと硬いよな」
「何の話!? 私の話全く聞いてないじゃん!」
「フッ、そう思うか」
「話が噛み合ってない!」
「冗談だ」
「冗談へたくそだなぁ」
幾らか言葉を交わした後、シャワーの水を止め、湯船に向かって歩き出す。
水を張った地面をチャプチャプと鳴らし、歩みを進める火照った体は、熱により紅潮するのが感じられる。
「髪は短い方が良いよな。私は長くて困る」
「なら、髪切っちゃえば? 冒険者をするならその方が――」
「いや、私のアイデンティティを保つ何かが壊れそうだから、遠慮する」
「どう言う事?」
中身の無い談笑を繰り広げ、広大な湯船にゆっくりとその身を沈める。
湯船の水面に身を沈めた瞬間、凪の様に穏やかな水面はぼうっと乱れ、水面に波紋を広げて行く。
柔らかく包み込む程良い湯水が、肌から体の中心へと熱を伝え、体が火照る感覚と共に、
肩までその温泉に身を浸した後、
「フゥ、生き返るなぁ」
「だねぇ、今日も一日疲れたぁ」
「いや、エコーは十二時間も睡眠しているのだから、問題ないだろう?」
「想像で語らないで!? 凄いのんびりしてる動物みたいになってるから! 意外と起きてますから!」
「そうか? 意外だな」
「心外! 私ってそう思われてたんだ!」
湯船に身を沈めながら談笑し、長い時間笑い合った後、
「では、そろそろ風呂から上がるか」
「そうしようかぁ。眠くなって来たし」
そう言って、湯船から立ち上がり、水飛沫を上げながら湯船から出る。
エコーを先頭に、大浴場から出ようと歩みを進める。
「全く、イツキには困らされた物だ。もう寝る時間なのに、急にこんな事をさせるとは」
「そうだよね、眠いよねぇ」
浴場に声が木霊し、響いたかと思うと空気に溶けてなくなる。
床の一面に張られた水面は波紋を広げ、私の足を絡め取った。
――詰まる所、床の水の所為で滑ったのだ。
「マズイ!」
「え?」
そのまま前のめりに転倒し、先頭に居るエコーも巻き込まれる。
「プギャァ!」
情けない声を発するエコーと共に前へ倒れ込み、散る水飛沫と共に地面に叩き付けられる。
倒れ込んだ姿勢から起き上がり、頭を押さえながらエコーに声を掛ける。
「クッ、すまないエコー……」
「問題ないよ……うぁぁぁぁ!? やらかしちゃった!」
互いに起き上がり、顔を見詰め合わせた所で、エコーが焦った様に声を上げる。
その原因は、
「グゥ、タオルがぁ! 私の生命線が!」
頭に巻いていたタオルの様だ。
私が前のめりになって倒れた時、前へ突き出した手が引っ掛かったらしい。
彼女の美しい短髪がハッキリと露わになるが、それ以上に納得した事がある。
「そう言う事か、頑なにパーティーに入らなかった訳が理解出来た。道理で諦めている訳だ」
「そうだね……バレたら仕方ないよね。私をパーティーには入れたくなくなったでしょ? 私ももう関わらない――」
「待て、それを決めるのは私とイツキだ。パーティーに入れるか否か、それはお前にとっての人生の岐路だ。行くぞ」
私は真剣さを孕んだ口調でそう言葉を紡ぎ、立ち上がる。
すると、エコーは私を見上げながら焦った様に、
「無理だよ! 受け入れられる訳ない!」
「それを決めるのはエコーじゃない、エコーの周りの人間だ」
私はそう言って、悠然と歩き出す。
その背後をエコーがとぼとぼと着いて来るが、以前の様な気迫を感じられない。
「さて、イツキ。頼むぞ」
「ペェェェ、なげぇよぉ。暇過ぎて頭おがじぐなるぅぅ!」
正直、悠久の時間を体感しているのかと錯覚する程に、俺にとっては耐え難い時間だ。
ただ待っているのがこんなにも辛いとは、知らなかった。
暇を持て余し、俺が咄嗟に取った行動は、まずは立ち上がる事。
そして、
「『我の詠唱に世界が応じれば、氷塊に喰われた血潮が蠢き、裂けた氷壁の狭間より氾濫し、辺りを朱に染めるだろう。我は爆炎の渦中より出でし使徒なり、怨嗟を纏う亡霊なり、我は不俱戴天の仇を斃す咎人なり。バーニングインフェルノ』! ……とかカッコよくね? 結構イケてるよな。ヒマヒマぁ! もうやる事ないって!」
「今やる事は生まれたぞ。イツキ、私達が帰って来たのだからな」
「アァァァァァァ! 聞かれたぁぁあぁ! シヌゥゥゥゥ!」
詠唱の途中から傍らに居たのだろうか、アルカディアとエコーが既に当然の如く帰還していたのだ。
死にたい。
「でも、ウィザードも詠唱時間とかで威力とかが変わるんだろうし、俺のこれも滑稽じゃない筈……」
「フム、イツキ。今回は真面目な方だぞ、エコーから話があるのだ」
「マジか、遂に実を結んだんだな……!」
「確かに、パーティー加入の重要な場面だな。取り敢えず、外に出るぞ」
「了解。てか、中じゃダメか? エコーもさっきから喋らねぇし」
「行くぞ」
そう言って、アルカディアとエコーはサッサと外に出てしまう。
あれは相当大事な要件だな。
第六感を使わなくても分かる。何なら、鈍い奴でも理解出来る。
状況が動いたか。
夜闇に染まり切った漆黒の天空に、溜息を吐く程に美しく輝いた月が、煌々とした月光を放ちながら空に懸かっている。
ギルドから外に出て、その外周をぐるりと周り、ギルドの裏手に辿り着く。
正面よりは照明の数が少ないのであろう、薄明りに照らされている裏手は、白光を放つ
そこで待ち受けるエコーとアルカディア、アルカディアは俺の姿を確認したと思うと、ギルドの壁面に背中を預け、エコーと俺の一対一を作り出す。
真正面、顔を伏せながらエコーは立ち尽くし、申し訳なさそうに口を開く。
「私ね、言わなきゃならない事があるの」
「おう、どんと来い」
正しく、人生の岐路に立たされている様な、息が詰まる程の圧迫感を感じる。
真実を語る身を切る様な痛みの色、期待はしていない様だ。
諦め、喪失感、諦観、その中にある幾らかの願い。
そんな所か。
「流石にアルカディアちゃんにバレちゃったら仕方ないし、自ら告白した方が心構え出来るし。多分、これを聞いたら私の勧誘を諦めちゃうよ」
「そうだな、聞いてから考えるわ。御託は良いから来い、覚悟は出来たぜ」
「うん、私は――」
覚悟と共に、鉛の様に重い口を緩慢に開くエコー。
正直、どんな情報が来るのかさっぱり分からない。
実は男でした、とか?
実は裏切り者の魔王軍の密偵です、とか?
仲良くなった人間を片端から殺す呪いを掛けられたキラーマシンです、とか?
まさかまさかの、お前を殺す、とか?
エコーのこの情報は恐らく、過去のトラウマの起因なのだろう。
何だ、何なのだ。
真剣さを孕んだ眼差しでエコーを射抜き、鋭い呼吸が覚悟を相手にも伝わらせるだろう。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「――エルフなの……」
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