1-05b 旅立ち

 辞典魔法の熟練者になれば、いちいちホログラムに言葉を入れなくても口頭で魔法を発動させることもできるが、一般人には難易度が高く、たいてい失敗する。物語の中ではそう説明されていて、主人公のチェカも新入生の間はめったに口頭発動させなかった。

 そういうわけで、狙った魔法を100%確実に発動させるには、やはりホログラムに一つ一つ言葉を当ててゆくのが無難だ。

 そして辞典魔法を使う際には、発動者の辞典力と気力体力エネルギーが必要になる。その点は、何も問題ない。今の霧は、かつてないほどエネルギーに満ち満ちている。辞典力についてはよくわからないが、多分あるだろう――霧はそう思った。なんといっても、物語の夢を見ているんだから、と。


「よおっしゃー! 行っくぞー!」


 霧の雄叫びに、後ろで様子を覗いていたリールが頷きながら、言った。


「準備ができたようね。下に着いたら、まずリューエストを見つけなさい。特例措置で同じ班になるよう、手配しておきましたからね。困ったことがあったら遠慮なくお兄ちゃんに相談するんですよ。リューは必ずあなたを守ってくれるわ」


 霧は複雑な気持ちでリールに向かって頷いた。


(リューエスト、やっぱりあたしの兄という設定なんだ。ということは、あたしが今36だから、それより上ってことかな? う~ん、何歳なんだろ、リューエスト。この夢、何巻あたりだ? リール叔母さんは見たとこ50代って感じだから、最近の巻だよなぁ)


 『ククリコ・アーキペラゴ~空飛ぶ古城学園と魔法士たち~』、略して『クク・アキ』は、出たばかりの新刊を含めて8巻まである。

 1巻は主人公チェカが15歳で魔法士学園に入学し、入学旅行に旅立つところから始まる。以降4巻まで、チェカの学園生活が生き生きと描かれ、5巻からは正魔法士となったチェカのお話しになる。

 チェカとリューエストは叔父と甥という間柄だが、二人は同い年だ。なぜならリューエストの父親とチェカは、22歳も年の離れた兄弟だから。

 霧はまだ最新刊の8巻を買ったばかりで読んでいないが、7巻のチェカの年齢は、確か32歳だったはず。ということは、7巻ではリューエストもまた、32歳ということになる。


(ということは、この夢、7巻じゃないなぁ……)


 リューエストが32歳の場合、霧の兄という設定は無理がある。なぜなら霧は現在、36歳だからだ。この夢の設定は、霧がまだ知らない8巻より後の世界、なのかもしれない。


(まあ、夢なんだし、何でもありだよなー、うん。しっかし……それにしては、無茶苦茶過ぎないか? あの、リューエストが、あたしの兄ってな~……)


 リューエストは、さらさらのプラチナブロンドに白磁のような肌、エメラルドのような瞳を持つ、西洋人風の超美形だ。物語の中では子供時代から32歳まで推移するが、彼の外見はどれほど年齢を重ねても若く中性的に見えると表現されている。そのため、32歳という設定の7巻挿絵でも、リューエストは20歳前半ぐらいの美青年として描かれていた。

 その神がかりな美貌と、特殊な生い立ち、一風変わった性格から、リューエストは『クク・アキ』の中でもかなり人気の高いキャラだ。女性読者の中には主人公のチェカよりリューエストを推すファンも多い。


 霧は、そんな彼が自分の兄だという設定に、かなり無理を感じた。リューエストに比べてあまりにも、外見に差異があり過ぎる。

 霧の見た目はもろ日本人で、黒髪黒目、その上、切れ長・吊り目の三白眼だ。普通に誰かに視線を投げただけで、「にらんでいる」と誤解される。その上身長180㎝の骨太ほねぶと体型のため、どこか威圧感があるらしく、道行く母子や女性から思いっきり避けられることすらある。


(やっぱり、おかしい。かなりおかしい。もしかして血の繋がりがない兄妹、という設定なのかな?)


 そんな疑念が頭をよぎったが、霧はすぐさま、「ま、いいか!」と肩の力を抜いた。そして夢なんだからどうでもいいや! と思いながら、背後で心配そうにしているリールに、にっこり笑いかけて旅立ちの挨拶をする。


「じゃ、リール叔母さん、行ってきます!」


「ええ、行ってらっしゃい、キリ。良い入学旅行を!」


 キリは頷いて、ホログラムの左上部に鎮座している「実行」の文字をタッチしながら、勢いで「実行!」と声にも出す。その途端、パアッと辞典が明るく光り輝いた。魔法が展開され、不思議な浮遊感が体中に訪れる。


(おおおおお、すっごい! 我ながら言葉のチョイス、完璧じゃね?!)


 霧は心の中で雄叫びを上げた。

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