第28話 衝突
翌日、出勤すると既に朝の担当者が集まっていた。
この日の担当は、坂崎、池田、木村の三名。
戸川は木村を呼び止めると岡部を紹介した。
木村は、年齢は大野と同じくらいだろうか。
背は少し低めで細身、少し猫背である。
目尻の吊り上がった細目が印象的で、かなり気の強そうな印象を受ける。
これで全員だろうかという戸川に、池田は、勤務順からして荒木がまだかもと言った。
「昨日来とったんやけどな。まあ明日来るから、それで紹介は終いやな」
「紹介されんくても、もう知ってるとは思いますけどね。落竜騒ぎで」
戸川と池田が笑い合いながら二人で岡部を見た。
何かしら反応を求められているようだが、苦笑いするしかなかった。
その間木村は、岡部と目を合わそうとすらしなかった。
挙句に、もう仕事に入ってもいいですかと言って竜房に行ってしまった。
その日は池田に監督されながら『サケホウセイ』の世話をした。
池田は岡部を監督しながら『サケホウシン』の世話を行っている。
池田の説明によると『ホウセイ』は『皇都優駿』で最終予選まで残ったのだが、そこからずっと連敗中なのだそうだ。
『上巳賞』では最終予選前に体調を崩してしまったのだとか。
現在は秋の『皇后賞』を目指している。
寝藁を片付けながら、『皇后杯』が中距離の競走だったことを確認すると、岡部は『ホウセイ』を引き運動しながら、短い方が良さそうなのにと感想を漏らした。
池田は岡部のその言葉を不思議に感じた。
牧場で働いた経験も無いのに、来て数日で竜の距離適性なんてわかるわけがないのに。
どうせ適当な事を言っているのだろうと思いながらも、どうしてそう思うのかと問いただした。
「『ホウシン』『ショウリ』『ジクウ』の次走を聞いてるんですけど、その三頭に比べて『ホウセイ』は明らかに筋量が多いんですよね。多分肉が付きやすい体質なんだと思うんです」
岡部の説明に池田は驚いた顔をした。
坂崎も隣で聞いていて、ほうと感嘆の声を漏らした。
翌朝の担当は、池田、荒木、木村の三人。
戸川は荒木を呼び岡部を紹介した。
荒木は池田よりは若いが、木村、大野よりは年上といった感じだった。
細面の顔で眉が細く、黒い髪を後ろにすき上げており、一見すると大昔の不良のようにも見える。
池田は、先日の『ホウセイ』の件で岡部に非常に興味を持っており、『サケショウリ』を担当させ、これはどう思うかと尋ねた。
「『ショウリ』は『ホウセイ』とは反対で、筋量が少し寂しいのですが、胴も脚も短いので中距離しかないように思いますね。ただ、もっと筋量が増えないと色々と厳しいでしょうね」
岡部の見立てに、池田はなるほどと唸っている。
「今も中距離で頑張ってるんやけどね。そうすると、この辺が限界いう事なんかなあ」
「今の成長がどの程度かわからないので、そこは何とも」
池田は岡部の見立てを面白いと言ったのだが、荒木と木村は、昨日今日始めた素人に何がわかると笑い合った。
次の日、出勤すると厩舎に吉川が来ていた。
松田調教助手が病欠してしまったから、岡部を貸して欲しいと言ってきた。
岡部は自分で大丈夫かと躊躇したのだが、調整だけだからと有無を言わさず連れて行かれてしまった。
吉川は厩舎に行く途中、うちの松田は疲労が溜まりやすい体質で、よく体調を壊して困ると言いだした。
今までも何度もこういう事があったのだそうだ。
松田元明調教助手は、吉川調教師の専属騎手として共に競竜学校で学んだ。
その頃は若かったので、特に休むといった事は無かったらしい。
だが年齢を重ねるにつれ、体調不良で調教を休む事が増えた。
調教だけならまだしも、本騎乗を休む事も度々発生した。
結局、体力的に騎手の継続は困難と判断したようで、引退して調教助手になった。
だが調教助手になったからと言って状況が変わるわけではなく、調教を休むようになっただけだった。
騎乗の腕が良いだけに非常に惜しいと吉川は言った。
「これまでは近隣の厩舎に頼み込んでたんやが、これからは戸川のとこで済みそうやな」
そう言うと吉川は笑い出した。
吉川厩舎は比較的始動が早い厩舎で、既に二頭の竜が引き運動を終え準備されていた。
吉川は、調整だからどっちも小回りで『なり』で追ってくれたら良いと依頼した。
調教の強さは基本的に三段階。
弱い方から『なり』『強め』『一杯』。
『なり』は人間で言えばジョギング程度であろうか。
調教場につくと吉川厩舎の厩務員から、あんまり緊張すると竜も緊張して怪我するよと、尻を叩かれ笑われた。
輪乗りをし気合が乗ってきたのを感じてから調教場に竜を持ち出す。
徐々に速度を上げ曲線をそこそこの速度で曲がると、そのまま奥の直線を走り曲線前で徐々に速度を落とした。
帰ってきたらもう一頭の竜に乗り換え、また同じように輪乗りをしてから調教場を走らせる。
二頭の調教を終えると吉川厩舎の厩務員は、見習いとは思えないと褒めてくれた。
厩舎に戻ると吉川は、十分一人前にやれてると言って肩を叩いて感謝した。
戸川厩舎に戻ると長井が待っていた。
「他所の竜は緊張するやろ?」
そう言って労うように岡部の肩を叩く。
「怪我させたらと思うと、冷や冷やしますね」
「そうなんよ。そやから俺も手伝いは嫌いなんよな」
後ろで岡部と長井のやり取りを聞いていた戸川が咳払いした。
「だからって、吉川見て隠れるいうんはどうなんやろうな」
戸川に指摘され、長井は岡部から顔を背けた。
結局、翌日も松田調教助手は休みだったらしく、岡部が吉川厩舎の竜の調教をつける事になった。
その日は長井も隠れずにいたのだが、吉川は、調整だけだから岡部で良いと言って岡部を引っ張っていった。
長井とは輪乗り場で出会い、岡部を冷やかしの顔で見ていた。
ふと岡部は、輪乗り中に竜の歩様の異常を感じた。
竜を降りそれを厩務員に伝えると、厩務員は竜の脚元を確認。
厩務員は岡部の手を取り、よく気が付いたねと驚いた。
どうやら調教場に来る間に尖った石を踏んだらしく、小さな怪我をしていたらしい。
怪我をした竜は急遽調教を中止し、もう一頭の竜だけ調教する事になった。
もう一頭の竜の調教を終え吉川厩舎に戻ると、吉川は事情を聴き少し考え込んだ。
「岡部。今日で三頭追ったんやけど、どの竜が良え気配やった?」
「昨日の二頭目でしょうか。走ってて体に伸びがあって、走りが力強い感じでした」
厩務員は『サキモリ』ですねと小声で吉川に言った。
吉川は、良い感性をしてると微笑んだ。
翌日、担当は荒木、木村、大野の三人だった。
竜房に入ると明らかに竜が騒めいているのを感じる。
竜を落ち着かせようと首をさすっていると、木村が絡んできた。
「他所の厩舎に応援とか、何様なんやお前! 厩務員なら厩務だけやっとけや!」
木村は岡部の肩を強く突いた。
すると荒木も岡部に近づいてきた。
「なんや、お前、うちの先生の調教方針にも、文句言うてたらしいな!」
荒木は下から覗き込むように顔を傾け、岡部を睨みつけた。
大野は顔を向けようともしない。
「先生の指示に従ってるだけですよ」
岡部は、そう言って冷静に通常の作業を始めようとする。
だが木村がさらに絡んできた。
「どこの先生や? 吉川先生か? 相良先生か? どこや? あん? 言うてみいや!」
木村の怒声に竜が一斉に騒ぎ出した。
その鳴き声に戸川と長井が驚いて竜房に駆けつけた。
戸川は、何があったと四人に問いただした。
木村たち三人は何事も無かったかのように、黙ったまま黙々と手を動かしている。
戸川は岡部に何があったのか聞いた。
岡部が報告しようとすると、横から大野が先に報告をした、
「こいつが、やってられへんとか言うて、竜をはたいたから、竜が驚いて騒ぎ出したんですわ」
岡部は驚いて、そんな事してないと言ったが、今度は木村が岡部を見てニヤリとした。
「なんやさっき、こんな先生の下で働いたら命がいくつあっても足らへん言うてたやんけ。なあ、荒木?」
木村が荒木の方を向くと、荒木も口元をニヤつかせている。
「作り話もいい加減にしろよ!」
岡部が怒鳴ると竜たちはさらに大騒ぎした。
長井は無言で岡部を竜房から手荒につまみ出した。
「感情剥き出しにしたら、竜に悪い事くらいわかるやろ!」
長井は、これまで見た事もない厳しい顔で怒り出した。
戸川は全員の顔を見て黙っている。
「緊急会議や。朝飼終わったら全員事務室に来てくれ。長井、今日の調教は中止や。綱一郎君と一緒に先に事務室へ行っとってくれ」
岡部は事務室で、すみませんでしたと、ぼそっと呟いた。
だが長井は無視した。
長井は黙って岡部に背を向け、外の様子を見ている。
暫くして戸川と厩務員三人が事務室に入って来た。
戸川は全員を座らせると、残念そうな顔をして話し始めた。
「綱一郎君、色々僕に言いたい事が溜まってるんやろうけど、竜の前でそれをさらけ出されたら困るな」
岡部は身に覚えのない事に拳を握り震えている。
「吉川先生に褒められて天狗になっとるんと違うか? 僕の調教にも文句言うてたそうやし」
長井は岡部をチラリと見て冷たく言い放った。
戸川は岡部を見て黙っている。
岡部は唇を噛み口惜しさに震えている。
「先生の方針が気に入らへんのやったら、さっさと辞めたら良えやろ。まだ来たとこなんやから。辞めるなら早い方が良えぞ。他に合う厩舎があるかもしれへんしな。吉川先生んとことかな」
荒木がダメ押しで言った。
「新入りの癖に調教方針に文句たれるとか、何様やねん」
大野も畳みかけた。
「何でこいつ黙ってんねん。違うんやったら違うって言うてみたら良えのに。さっきの威勢はどうしたんや? あん?」
木村は薄ら笑いを浮かべた。
戸川はまだ黙っている。
岡部もずっと押し黙ったままである。
戸川がやっと重い口を開いた。
「とりあえず綱一郎君は謹慎やな。良え言うまで出てこんで良えわ」
岡部はまだ俯いたままである。
「長井。綱一郎君をこのまま家連れてくから、後頼むな」
そう言うと戸川は岡部を事務室から無理やり引っ張りだし、引きずるように厩舎を後にした。
帰りの車で戸川は、先ほどまでの厳格な調教師の顔からいつもの緩い父親の顔に戻って岡部に声をかけた。
「ずいぶん派手にいびられてたな。あいつらのあれ全部嘘やろ?」
岡部はやっと重い口を開いた。
「どうしてそう思うんですか?」
「僕、調教師やで? いろいろ観察して、その情報を元に運営するんが仕事や。あいつらが適当言うてる事くらいわかるよ」
そう言うと戸川は微笑んだ。
先ほどは奴らの裏がわからないから公平と見える態度を演じただけらしい。
「でも長井さんの言う通り、天狗になってたのは間違いないと思います」
「長井は単純やから、ああやって簡単に騙されんねや」
戸川は岡部を慰めるようにそう言って笑った。
「それと申し訳ないのですが、方針に文句言ったのも事実です」
「それやそれ! 後でそこをじっくり聞かせて欲しいねん!」
戸川は運転しながら岡部の方をちらりと見て言った。
二人を乗せた車は、戸川宅に向かって川沿の道を走って行った。
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