第5話 拠り所
泣いてばかりの恋だった。
吾妻先輩を思い出すたびに、泣いている自分に出会うから、胸の奥がキュッと痛くなる。
追いかけることも考えた。
待つことも考えた。
だけど、あてのない人を待って、立ち止まってはいられない。
もう二度と会うことはないとわかっている。
好きだよって伝えてもらって、好きですって私も伝えて。
たくさん泣いたけれど、膝を抱えてうずくまることなく、真っ直ぐに向かい合う想いをくれた。
未来につながるモノは何もなかったけれど、それだけでよかった。
ずるいキープの仕方はたくさんあるし、いくらでも耳触りのいい嘘もつけたのに、前を見て歩く勇気をくれた。
遠距離になるからって潔く去って行った先輩の気持ちを無下にはしたくなかった。
私は、先輩のいない「今の私」を生きていく。
それが私にできる、精一杯の想いの返し方だった。
側にいた高校時代よりも、離れて思い返す今の方がずっと、先輩の輪郭がはっきりしている。
今でも好きって言って、前よりもずっと好きって、先輩の幻影を絵筆でなぞっているようなものなのに。
それでも、ふとした瞬間に、先輩を想うのだ。
好きですって何度でも、夢の中で伝えてしまうほどに。
いつか、先輩ではない人に恋をして、愛を送る日が来るはずだけど、今はまだ。
もう少し。もう少しでいいから。
初めてで幼い煌めくような恋を、抱きしめるようにあたためていたい。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、高校を卒業してからも連絡を取り合っている元美術部員たちは、先輩の動向をそれとなく教えてくれる。
お正月やお盆の頃には地元に帰ってきて食事会をしているとか、大学でも絵を描いているとか、卒業後はインターンで帰郷する予定だとか。
でも、それだけだ。
先輩が地元に帰ってきているらしい時期は、進学していない私の仕事は繁忙期で、元美術部の食事会に一度も参加できてない。
それに私は、先輩にもう会わないって決めている。
バカだねってあきれられても、新幹線のホームで初めてキスをした日に、私の恋は終わったのだ。
先輩がずっと元気でいてくれるなら、それでいい。
痩せ我慢じゃないよ、私の好きな先輩は、今の先輩と同じなのか、わからないでしょう?
そして。
先輩と別れた日から、五度目の春が来た。
地元の大学に進学した私は、叔母の喫茶店でバイトをしながら日々を過ごしていた。
身体の弱い叔母から「このまま正社員としてどうかしら?」なんて打診もされていたので、就職活動もしていない。
「身内に頼らず一度は社会に出ろ、おまえは気まますぎる」と父親には怒られたけれど、叔母の店を手伝っているうちに夢ができていた。
いつか自分のお店を持ちたい。
私はコーヒーの豊かな香りや、ラテアートの繊細さにすっかり魅せられていた。
チェーン店らしい気安さで入れるコーヒーショップが乱立しているし、喫茶業自体が出入りの多い業界なのはわかっている。
だけど、本当に良い物は廃れないと思う。
丁寧な手順でいれたコーヒーを飲むたびに、奥深い飲み物だと思う。
私にできるかどうかはわからない。
覚えることは数限りなくあるし、今は叔母に甘えるだけの身だ。
だけど目の前のことを一生懸命にやっているうちに、出来ることも増えてきた。
相変わらずしゃべるのは苦手だったけれど、バイトをしているうちに声を出すことや、お客様への対応も少しずつ慣れてきた。
笑いながら常連さんと会話もできるようになった。
すごいね、綾ちゃん。
今の私を見たら、吾妻先輩はきっとそう言ってくれる。
ふわっと笑う綺麗な顔立ちを想像してしまい、私は苦笑するしかない。
もう、五年も経ったのだ。
待っている訳でもないし、想いの区切りはついていたけれど。
今もまだ夢で見るくらい、私の中から、先輩が離れてくれなかった。
「そういう人のことを、拠り所、と言うのよ」
私の話を聞いた叔母は、そっと教えてくれた。
迷った時や悩んだ時にそっと支えてくれる、そんな想いをくれる人。
大げさね~子供だったのよと、私は苦笑するしかない。
私も先輩も不器用で、正直すぎたのだと思う。
想いも真っ直ぐだった分、私の胸の奥まで飛び込んできた。
初めての恋も、初めてのキスも、この先もきっと忘れられない。
ひどいと思う瞬間があんなにたくさんあったのに、どうやって嫌いになればいいのか、わからない。
どんなに好きでも、もう会うこともない人なのだ。
暖かな眼差しで包み込むように「本当に好きだったのね」と叔母は微笑んだ。
その慈しむような言葉に、私はうなずくことしかできない。
だから、拠り所という言葉を行く当てのない想いの落としどころにすれば、居心地も良くなって、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。
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