35 先生の正体
昼4の鐘がカンバランドの街から遠く聞こえてきた頃。
ストレ達が歩いている獣道は、左右に続くより太い獣道に合流した。
左右に伸びる獣道は、今登ってきた獣道より、傾斜がずっと緩やかに見える。
「これで稜線上に出たわ。ここからは風走査魔法で音を拾える範囲が広くなるから、注意して聞き分けて。あとここからしばらくは足場がさっきよりましだから、先頭はフランマに交代。2番目がアルカで、イアラは3番目のままで。
ここまでの上りで疲れたとか、足の調子を悪くした人はいない?」
そう言いつつ、実はストレはほっとしている。
以前、国を脱出する為に山道を歩いていた時と違い、体力にだいぶ余裕を感じるからだ。
ここへ来てから毎日、1時間以上歩くようにしていた効果があったたらしい。
「なら、行く……」
ストレがさっと3人の背後を向いて、背後をかばうように両手を低く広げる。
何だと思ったイアラも、次の瞬間、その理由に気づいた。
ストレの前方、獣道を下る方向に、明らかな魔力を感じたからだ。
樹の影がすっと横に伸び、立ち上がる。
次の瞬間に、影は人の姿となっていた。
黒フードに身を包んだ黒髪色黒の細身の少年、年齢は15歳くらいだろうか。
「久しぶりね、アニス」
「こちらこそお久しぶりです、『力の魔女』ストレ様」
ストレの後ろで、3人がはっと息をのむのがわかった。
ストレはあえてそれを無視して、尋ねる。
「いずれ接触してくると思ったけれど、こんな山の中でだとは思わなかったわ。これって、あの駄目な王による王命って奴?」
「その通りです。残念ながら我々は宣誓に縛られる身でありますから、従う以外の選択肢はございません。
ストレ様なら、どのような状況であろうと、そこの3人を連れて逃げる事は可能でしょう。ですのでエリアが、ストレ様が逃げるという選択肢を取れないよう、準備をしております」
ストレはアニスの背後に、何か巨大な魔力の影を感じている。
近接空間に巨大な魔力を隠した時、こういった影を感じることがある。
おそらく『空の中級魔法使い』エリアが、魔物か魔道兵器を魔法で近傍の空間に配置しているのだろう。
「それじゃひと騒動おこる前に、ここでの生徒に状況を説明していいかしら。兄弟子に当たるんだから、それくらいは面倒を見てくれていいわよね」
「残念ながらエリアの方が、あまり長い時間持ちません。ですからそちらの3人への解説と保護は私、アニスとエリアが責任を持って承りましょう」
エリアが近傍空間に配置している何かを、抑えきれなくなっている。
そういう状態とストレは受け取った。
「わかったわ。それじゃひとつだけ確認させて。今は貴方もエリアも、本来の貴方達の思考と身体で動いているのよね」
「あの方の力を借りたのは、この後に出す代物の確保と封じ込めの為だけです。そして現在あの方は『光の魔女』ルクスを抑えるべく動いております。ですからその点についてはご心配なく。
あと、貴方と『生の魔女』マイナ以外については、暗殺命令も拉致命令も出ておりません。情報保全命令も受けておりません」
今抑え込んでいる何かを探し、捕らえる為に『あの方』という存在の力を借りた。
だからマイナが思考を読めなくなった。
しかし今は、自分の思考で動いている。
ルクスを相手にしているなら、『あの方』が何者だろうと、こちらへ手出しする余裕はないだろう。
そして子供達3人については何の命令も出ていないから、心配しなくていいし、何なら保護する。
ストレはそう理解した。
「わかったわ。それじゃアルカ、フランマ、イアラ、そしてアニスとエリア。ここからは特別授業よ。人が魔法で実現できる力というものを、私『力の魔女』ストレが見せてあげる。その気になれば、この程度まではたどり着ける。それを見て実感して」
ストレの髪と瞳の色が、燃えるような赤色へと変化した。
同時に隠蔽魔法で隠されていた魔力が露わになる。
「それじゃエリア、いいわよ」
一帯の空気が揺れる。
膨大な魔力とともに歪む景色。
アニスの背後の空中に、灰色の、小山のような何かが出現した。
それは何かと思った瞬間、イアラは宙に浮くような感覚を感じる。
見ていた景色が、少しだけ薄くなったように彼女は感じた。
何故だろう、そう思った時。
「安全な近傍空間に移動しました。ここなら戦闘の影響を受けません」
黒フードの少年、アニスの隣に、灰色のフードを纏った少女が出現した。
顔はフードに隠れて見えないが、身長と体格から見てイアラ達と外見年齢は同じくらいだろう。
「私の同僚のエリアです」
灰色フードの少女が3人に軽く一礼した。
アニスは小さく頷いて、説明を続ける。
「あの魔物は、神話に出てくる大魔獣のひとつ、空竜アズダルゴスです。飛行可能ですので、放置して逃げた場合はカンバランドの街を襲うでしょう。より多くの人を襲おうとするのは、魔獣の本能ですから。だからストレ様は、逃げません」
アニスは背後を向いた。
そこには巨大な翼を広げて宙に浮いている灰色の巨竜。
「大魔獣13体は千年以上前、地上の半分を焼き尽くしたとされています。その際、『古の魔女』によって滅ぼされたとされていましたが、ストレ様を倒す為、この世界と違う場所から呼び出されました」
おとぎ話として、イアラは聞いた事がある。
世界を支配しようともくろんだ王が悪魔と契約し、大魔獣13体を喚び出した話を。
王は自らも領土も魔獣に焼き尽くされ、世界も滅びようとしたが、神に選ばれた6人の魔女が立ち上がり、大魔獣を滅ぼし世界を救った。
そんな、たわいもない話だ。
そんなおとぎ話の中の存在が、出現してしまった。
そしてストレ先生が、ひとりでそれに対峙している。
一瞬で巨竜の前まで移動したストレが見える。
巨竜の前足の指程度しかないストレの姿は、イアラにはひどく小さく見えた。
だがイアラは、目を離せない。
彼女の耳に、黒いフードの少年の声が聞こえる。
「私達の立場やこうなった事由について等、説明すべき事はいくらでもあるでしょう。ですが今は、ストレ様の戦いに集中してください」
「ストリア先生は、魔女だったのか」
これはアルカの声だ。
「ええ。あの方は『力の魔女』ストレ様。つい半年前までルレセン国の南西にある、ヴィクター王国の魔法騎士団を実質的に率いていた方です。私もエリアもその時の部下であり、教え子となります」
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