彼女はひとり、恋人はふたり以上

海月

ひとりで、ふたり以上。

第1話

五月中旬。もう既に、外は猛暑となりかけつつあり、ちょうど隣では神戸さんがバテながら、アイスを舐めている。その怠け姿を私ではなく、クラスの人に見られでもしたら、築き上げてきた優等生の神戸こうべ あおいとしての像が崩れてしまうのは確かだった。太ももにアイスを垂らして、「ひゃっ!?」と何処となくエッチな声を出してしまうもんだから、時々ふと我に返る。学校での、神戸さんはただのキャラ作りだったんだ…なんて、殆どの人間が人前だとキャラを作ったり、善人ぶるのは当然の事かも知れないけれど。


「ねー 茅夏、アイスまだある?」


私の家のアイス全部食い尽くす気か?コイツ。とも思いながら、「まだ食べるの?」と聞くと、暑いもん〜と、言われてしまう。確かに、五月とは到底思えられない程の気温ではあるけれど、アイスの食べ過ぎにもお腹を下さないかが心配だ。まぁ、神戸さんなら平気だろうけど。


「あるけど、持ってこようか?」

「やったねー チョコ味がいい」


味の指定までしてくるのなんて、かなり図々しい。幾ら、私と神戸さんが恋人だからと言っても、遠慮ぐらいは出来ないものだろうか。私は渋々といった感じで体を起こし上げ、冷凍庫まで歩く。あっ・・と思い、チョコ味のアイスが無くなっている事に気が付いた。というか、別に指定された味ではなくても問題はないはずだ。普通なら神戸さんが遠慮する立場なわけで、何も私が合わせる必要はない。なら、まだ残っていたバニラ…と、抹茶のどちらかを持っていこうと思ったけれど、神戸さんの好みの味が今ひとつ、分からない。


(どっちにしよう…)


別にどうでもいいけれど、抹茶を持っていくとバニラが良かったなどと駄々をこねられても面倒臭いし、その逆も有り得る。LINEで聞こうにも、携帯は部屋に置いたきり、戻ったところで、もう一度取りに来るのは二度手間になる。


(んー)


神戸さんがバニラのカップアイスを食べていたのをふと思い出す。それなら、バニラは好きなのだろう。そもそも、抹茶を食べているのを見た事がないし。


「遅すぎなーい?」


苛立ちのあまり、強くバニラアイスを机に叩き置いた。びくっと神戸さんは体を跳ねらせ、びっくりした〜と言う。…誰のせいで遅くなったと思ってんだ アホ。とは言えなかったけれど、強く置いたことで神戸さんも少し怖かったらしい。動揺をしながら、前に置かれたアイスを手に取って、袋を破り開ける。


「茅夏〜」


私は完全に無視を決め込んだ。神戸さんの言葉には対応せず、スマホのWebサイトを見ていた。


「おーい 茅夏〜?」

「 」

「茅夏ちゃん? 茅夏さまー?」

「 … 」

沖本おきもと 茅夏ちなつさーん?」

「なに てか、フルネームで呼ばないで」


しつこい。だから、つい返事をしてしまう。


「この前オススメしてた漫画貸してよ」


私の部屋にはかなりの漫画の数があり、漫画が並べられていた棚を指差しながら、神戸さんは貸してと気さくに言う。


「むり」

「えーーーー なんでよ オススメなのでは?」

「アイス垂れるでしょ」

「アイス無くなったら貸してくれるの?」

「うん」


神戸さんはよくアイスを垂らすし、床にまで垂らすから、私がティッシュで拭き取っている。というか、私が甘いから神戸さんがこんな性格になってしまったのではないか。


「じゃあ、はい」


私は ん? という感じだ。神戸さんはさっきまで舐めていたアイスを私に向け、食べる? と聞いてきた。


「何言ってんの 」

「だってー お腹いっぱいなんだもん」

「はあ?」


にしても、アイスの間接キスだけは普通嫌でしかない。というか、こんなの 神戸さんの唾液の味しかしない。絶対にバニラの味なんて、薄れているに決まっている。だけれど、半分も減っていないアイスを捨てるのも勿体ないと思い、本望ではないけれど、差し出されたアイスを口に含んだ。


「え、ほんとに食った」

「勿体ないし」

「初めてのキスがアイス越しなんてね」

「うるさい」


少しのバニラ味と、かなりの唾液味。ただ、思ったよりもバニラが強く残っているおかげか、不味くはなかった。


「ね、漫画借りていい?」

「いいけど」

「アイス美味しい?」

「クソ不味い」


神戸さんは1巻から順に手元に置いた。どうして私の家にまで遊びに来た神戸さんが、独りで漫画を楽しんでいるのかは知らないが。


「ちょっとトイレ行ってくる」

「一人で出来る?」

「出来ないって言ったらどうすんの」

「出来るでしょ」


なら聞くな。と思いながら動こうとすると、正座をしていたから、足が痺れていて上手く歩けない。壁に支えられながら歩こうと一歩、進んだところで 踏み外してしまい、今にも転びかける。


(あ、やば。手で守れないっ。)


漫画を読んでいたはずの神戸さんの声はせず、どうせ助けを求めた時には私は転んでいるしと思って、声を発しないまま、派手に転……。


「大丈夫?」


声がして目を開けると、神戸さんに腕を強く掴まれ、その勢いでお姫様抱っこをされてしまっている。


「あ、ありがとう」

「怪我なくて良かったよ」


ああ…そうだった。と思い出す様に顔から笑みが浮かんでしまう。今までの非常識な行動の挙句に忘れてしまうけれど、私の恋人はひとりではない。


「立てる?」


神戸 葵は複数の人格がある。時々イケメンになったり、可愛くなったり、ツンデレになったり。


まるで人が入れ替わったかの様に、かっこよくなる。普段の神戸さんでは私が転んだ程度では気にも留めないはずなのに、ちょっと転んだだけで過度な心配もしてくれる。流石、かっこいいだけはあると思う。


「うん、もう大丈夫」

「なら良かった。トイレまで手繋いで行こうか?」

「… うん」


かっこいい系の神戸さんは、私の手を優しく握る。そして、もう転けない様にと ゆっくり私に合わせて、歩いてもくれる。気も遣えるし、どちらかと言えばこっちの神戸さんのままがいいなーと思いながらもトイレが終わり、戸を開けるとなぜか、普段の神戸さんに戻っていた。

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