008:FOR IT’S WORTH…?


 其処は砦というよりも、サナトリウムじみていた。

 迫りくる死に抗う為の場所ではなく、訪れる死を受け入れる場所のように思われた。荒廃し、誰もが自らのか細い生に縋り付こうとするこの世界において、奇特な空間だった。


 その内部は暖かな光に満ちている。


 砦の壁と天井を覆う分厚い蓄光ビニールは名に違わず太陽光を溜め込み、常に定量の陽光を降り注がせている。天井を支えるケーブルには風力発電により生み出された電気が流れ込み、ビニールの光量調節と内部の空調に用いられている。


 地面には、分厚い腐葉土と完璧に調整された堆肥が堆積し、前衛的な造形の岩がランダムに配置されている。岩は苔むし、通路の石畳の隙間には赤蟻が列を成している。


 お膳立てされた環境に繁茂するのは余りにも雑多な植物群。

 コカやキナの木、檳榔樹びんろうじゅの様な亜低木や大麻や木賊麻黄もくぞくまおう、メスカルサボテンといった小低木。それらのみきや根元には合成繊維の被膜が掛けられている。色は統一されておらず、目的も分からない。

 生育域はサナトリウムを横断する二本の石畳によって、四分割され適切な水分量ごとに最適化されている。


 周到に人為性を掻き消しつつ、それでいて完璧に管理された異様な空間。まさに自然と人為が合わさった不夜城だ。


 スペンサーは圧巻の表情を浮かべ、二重戸の前で立ち尽くしていた。


 汚染地帯とはあらゆる意味で隔絶された深緑を前にし、まるで、初めて檻から出された実験動物の様な心境に陥いる。第六複合体にもコーザ=アストラにも同様の施設は存在し得ない無いだろう。企業論理や軍事理念とはまるでかけ離れている。


 熱狂とはまた違う静かな興奮が胸を打っていた。


「やあ、新顔さんかな?」


 エタノールで咽喉をやった様な嗄れ声、良く言えばハスキーな声が聞こえた。

 

 スペンサーは声の方を向く。

 心中はおよそ穏やかではない。兵士としての第六感には何も引っ掛らず、その声の主は檳榔樹の陰から顔を覗かせていたのだから。

 

 初老の男だった。


 完璧な放物線を描く高い鼻、深く細く刻まれた瞳が特徴的だ。その小さな黒目は例え虚空からでも何かを見出そうといった気概が感じられる。

 服装はカーキ色のパラシュートズボンと麻のシャツ。

 その上から草臥れた白衣を羽織っている。場末の闇医者か熱帯雨林のトーチカに籠る軍医のような風体だ。


「ドーナム!」


 ピースが陽気に声を掛ける。圧倒的な上背のスペンサーを脇へと押しやり、ドーナムと呼んだ白衣の男へ手を振った。


 当のドーナムも彼女に手を振り返す。とびきりの微笑みも付属している。


「やあ、ピース。君が友達を連れてくるなんて実に珍しいね。正直、かなり困惑してるよ」


 見た目にそぐった丁寧な言葉遣いで話すドーナム。口調も穏やかだ。


 しかし、それに対してピースは不躾に返答する。


「相変わらず老けてますね。それでいて、壮健そうなのがなんとも憎らしいですよ」


「それはそうだ。君は若々しいが、身体の何処をとってもプラスチックと合金製の紛い物だ。私の顔の皺だって、やっかむのも無理はないさ」


「貴方がこんな身体に替えてしまったんでありましょう、博士?」


 ピースは慇懃に楽し気に言い募る。


「自分に合うパーツを持ってきたのは君だ。私はただ取り付けたに過ぎんよ」


 まるで不毛だと、全身で主張するかのように肩をすくめるドーナム。そして、スペンサーへと視線を戻す。


「どうも、第六複合体の少佐殿。私の名は、ドーラム・ラム。此処の管理をしているしがない植物学者だよ」


 ドーラムは苦笑する。敵意は欠片もないといった表情で、スペンサーの所属と階級を言い当てて見せる。そして、彼女の防護ヘルメットを指さして言った。


「それと、その悪趣味なエンブレムが付いたヘルメットは此処じゃ必要ないな。浄化装置いかんせん、そもそも汚染物質が此処まで飛来しないからね」


 それを耳にしたピースは天を仰いだ。


 完全にエンブレムと階級章の存在を失念していた。自身の不手際と常識との乖離を嘆いた。第五空白地帯の勢力図に何処までも無頓着だった事のツケを払わされている。


 行き過ぎた個人主義の成れの果てだ。


 しかし、苦悩するピースを傍目にスペンサーは軽々と指摘に答える。


「有難う、ピースの主治医さん。全く鬱陶しい被り物だ。重くて敵わない。特にこの無意味なエンブレムなど、特にね」


 スペンサーは防護ヘルメットを気負う事なく脱ぎ去る。赤髪が火花の如く振り散る。


「申し遅れた。私の名はスペンサー・クローヴィス。流れの傭兵だ。第五空白地帯の外からやってきた。七龍城というバラック街を拠点にしているが、耳にしたことは?そこでこの防護服を購入したんだが、第六複合体とかいう連中の正規装備なのか?」


 ドーラムが目を細める。面白いものでも見ているかの様に目尻に皺が寄る。


「僭越ながら、存じ上げません。申し訳ない、何分、此処は隔絶された陸の孤島、毎朝プロパガンダのビラがやって来る訳ではないんですよ。それはそうと、中々珍しい礼儀を弁えた傭兵さんだ。何処ぞの由緒ある将軍様みたいだ」


 不敵に笑い、言い返すスペンサー。


「元、だ。今は違う。自分で撃つ銃弾と上から貰える薄給の勘定が合わないんで止めたよ。少なくとも傭兵は手前の命に自分で値札を張ることが出来るからな」


「つまり、今は風来坊だと?」


 「そんな所だよ。糞野郎共に手前のNAWをぶち壊され、泣く泣くスカベンジャーの少女に拾われた惨めな傭兵だ」


 スペンサーは淡々と嘘と事実を織り交ぜた。


 嘘をつくコツは何時だって普遍だ。一割の虚構と四割の真実。そして、五割の冗句。それらを淡々と粛々と並べ立てる。


 つまり、ただの与太話の如く話せばいい。


 それに対し、ドーラムは表情一つ変えず、ただ一言だけ返答した。


「イイね」


 そして、くるりと踵を返し、彼は砦の奥へ歩を進める。

 ひらひらと後ろ手に手を振っている。二人を招いているようにも厄介払いしているようにも見える。


 何一つとして意図を読めない言動。全てが薬物中毒の副作用染みている。


 スペンサーは少しばかりの戸惑いを覗かせ、顔をしかめる。

 ドーラムの揺れる背を静観する。正直なところ、ドーラムの様な連中とは関わり合いたくない。それが本音だった。


 それに、ピースの話では、太陽の砦は入植地コロニーだったはずだ。

 

 だが、奴以外の人間の気配は無い。


 鬱蒼と茂るアルカロイド植物の他には、生命は感じられない。余りに胡乱だ。


 砦の一部を覗いただけで早計やもしれないが、そう思わせる違和感が確かにある。


 堂々巡りを繰り返す思考を断ち切る様に、スペンサーの右手が後ろに引かれた。


 ピースが上目遣いでスペンサーを見詰めている。


「良く出来た冗句ですね。感服しましたよ」


 そう言って微笑み、ピースはスペンサーの手を握りながらドーラムの方へ導いた。


「彼は随分と偏屈ですからね。あれでも歓迎しているつもりなんですよ。白衣が見えなくなる前に後を追いましょう」


 ピースは目くばせ一つ、少女離れした膂力でスペンサーを引く。


 スペンサーはもんどりを打ち、戸惑いながらもその後を追う。


 砦の向こうに何が待っているか、本当に此処を訪れたことが正解だったのか。そう言った懸念は些細なものと化した。


 少なくとも、ピースがいれば上手くいく。そう思えた。

 

 確証の無い不安は、根拠のない希望に覆われ、やがて霧散した。

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