第7話 夏祭り①
人間、誰しも人生において決心すべき時と場所がある。その決心の度合いは人間によって違うし、その大きさも異なってくる。自分が出来ることで他人が躓いているからといって、何も自分がその他人より優れているということにはならない。
引きこもりが家から出ようとその足を踏み出す決心と、俺たちがコンビニに行くために踏み出す一歩は同じ歩幅であっても意味が全く違う。同様に、たとえ他人が出来て俺が出来ないということがあっても、それは何も恥ずかしいことではないのだといえる。
他人が出来てお前は出来ないから恥ずかしい? なに、お前が出来ないことを俺は出来る自信があるし、俺が出来ない他の事は他人には簡単なのかもしれない。人によってその壁の種類は違うのだ。
何が言いたいのかというと、まあ簡単で、俺に出来ないことがあってもいいではないかという現実逃避である。
大丈夫、俺が出来なくて他人が出来たってどうでもいい。俺は俺が出来ないことが出来る奴が出来ないことを出来る奴なのだ。うん、ややこしい。
「まあ、そんなこと言ったって、劣等感は感じるんだよなぁ……」
すれ違った二人組の男女を横目で見ながら、恨めし気に呟く。その男女の服装はいつもと違い、なにやら煌びやかなもの。カランコロンと鳴り響く下駄の音が耳に心地よい。
俺の手には、一枚の紙きれが握られている。それは、俺が躓いている原因でもあり、俺が決心すべき問題でもあった。
どくんどくんと心臓が鳴り響く。下手をすると破裂するのではないかと疑いたくなる。
到着したのは我が家。目的の人物が俺の部屋にいることを願いつつ、俺は玄関を跨いだ。
◆
「梨乃ー、今暇か?」
「……本読んでるのがわかんないのかしら、鳥なの?」
「ごめんごめん、見てなかったわ」
「ほんっと……鳥みたいな顔ね」
「え見た目の話だったの!? てっきり脳みそとかそこらへんだと思ってたわ俺! ていうかそういうこと言われたら傷つくから気をつけてな!?」
「叫ばないでようるさいわね、で、何の用?」
「あー……いや、な……。まあちょっと、さ……」
「何言い淀んでんの? キモっ」
「……うっせ」
再び暴れ出した心臓を抑えながら、俺は息を大きく吸い込んだ。
人には誰しも、決心しなければいけない時と場所がある。
その大きさと種類は千差万別。誰も他人の躓きの種を嗤うことなどできないはずだ。
そしてここが、俺にとって、決心すべき時なのだ。
「一緒に夏祭り行かないか?」
◆
事の発端は、商店街で配られていたチラシだった。
ファンシーな絵と文字で彩られたそのチラシには、でかでかと『夏祭り!』という文字が描かれていた。
それだけならまだ大したものではない。チラシを握りつつ、梨乃を誘って一緒に行くかなーなんてことを考えていただけだった。
しかし、問題はその後だった。
部活帰りであろう二人の男女がそのチラシを見て、こう言ったのだ。
「夏祭りだって。行く?」
「ええー……なんかあんたから誘われたら浴衣が見たいってだけのためみたいに思っちゃうんですけどー!」
「ひっど! ……まあ、そういう気持ちがないってわけじゃないけれども!」
ぴたりと、俺の脚が止まった。
……うん?
浴衣が見たいために誘う?
女子からすると、男が祭りに誘うのってそういう風に映るんだろうか……。
そう考えるとなんだか不安になってきた。ただでさえ俺は毎日梨乃から変態だの劣情催すマンだのと馬鹿にされている。そんな状態で夏祭りに誘ったらどう思われるのだろうか。
想像しなくてもわかる! 絶対に馬鹿にされる!
だからと言って一人で夏祭りに行くのは悲しい。梨乃がいなくては夏祭りもあまり楽しくないだろう。
だとすれば、どう誘えばいいのだろうか。
俺の躓きの種は、こんな感じで大きくなっていったのだった。
◆
そして場面は今に戻る。
チラシを梨乃に見せ固まった笑みを浮かべる俺は、かなり危ない容姿をしていたのだろう。いつもは澄ました表情が多い梨乃の顔が引き攣っていた。
……あれ、ていうかこんなにガチガチの状態で誘うって、逆に勘違いされそうじゃね?
やばい、非常にやばい。何がヤバいって梨乃の表情がヤバい。引き攣りすぎてなんだか口の端が生き物みたいにぴくぴくしている。
急いで言い訳もとい弁明を始める。
「あ、いや別に浴衣が見たいってわけじゃないんだけどな!? ただチラシもらって面白そうだなーって思っただけで、別に邪な考えとかは全くないからな!?」
「あなたはリアクション芸人なの? 自分から答え合わせしてるようなものじゃない」
「…………」
しまった。墓穴を掘りすぎてブラジルへついてしまった。ブラジルの人が聞こえないなら俺が赴くまで。
「……ま、そこまで行きたいなら行ってあげるわよ。しょうがないから」
「そうだよな、さすがに下心がバレバレ──って、来てくれるのか!?」
「わかりやすい反応するわねあなた……しょうがないからよ。発情したペットは飼い主が躾けないといけないから……」
「おっけー、じゃあ八時からだから、それまでに準備して一緒に行こうぜ」
「あー、その、出発なんだけど……」
「どしたの。なんか言いたそうな顔して」
それまでは冷ややかな表情ながらも頷いていた梨乃が、いきなりもごもごと言い淀み始めた。何か言いたいことでもあるらしい。
「その……できれば、その夏祭りの会場で待ち合わせしない? その方が私としてはいいんだけれど」
「え? 会場で待ち合わせ? ここから一緒に行った方が楽じゃん」
「……うるさいわね、とにかく現地集合で頼むわ」
「いや、まあ梨乃がそうしたいってんなら別に構わないけど……なんで?」
「あなたにはどうでもいいでしょ、気持ち悪いわね」
ぷいとそっぽを向いた梨乃の横顔は心なしか嬉しそうに見えた。
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