売れる小説を書くのか、書きたい小説を書くのか問題

みちのあかり

どっちがいいの?

 よくさ、書籍化したことのない人たちが「書きたい小説を書くべき」「いや、トレンドを解析してランキング上がる小説を書くべき」っていいあいしてるじゃん。書籍化してる人には実は関係のない話でね。だって書籍化してるんだもん!


 結局承認欲求のこじらせた議論なんだけどさ、折り合わない対立構造が面倒くさいから、みちのあかりは考えたんだよね。


 なんでどっちでもいいことを言い合っているんだろうってさ。


 だってさ、自分が好きなように書いていたらいいだけで、他人がどう書こうと関係ないじゃん。それなのにさ「こっちでなければいけない」って言っているのが気持ち悪くない?


 まあ、でも考えてみたよ。なんでそんな議論になるのか。



 まずね、小説家ってどういう人種かっていう理想イメージに隔たりがあるのよ。大きく2つに分けてみるね。


「小説家は芸術家だ」派と、「作家は職人だ」派ね。


 なんだろう、「死後に認められてもいい、最高の芸術として表現するのが小説家の使命だ」とか「そこまで思わなくても、高尚なテーマや自分の思想を物語として紡ぎ出すのが小説家としてのスタンスだ」って思っている人と、「たくさんの人に読まれ、書籍化しプロとして本を売って出版社も自分も幸せになりたい。有名になりたい!」ってスタンスの人ではハナからかみ合わないし、議論にすらならないよね。


 作家という同じ言葉でも、イメージが違うからかみ合わないだけなんですよ。


 売れている人は悩まない。売れているから。悩むのは書籍化すらしていない凡人か、たまたま一冊書籍化したが鳴かず飛ばずの方だけです。


 って思っちまったのよね。暴言はいつものことだね。


 エタる、エタらない問題もここだね。芸術肌の人は完結するまで書くべきと考えるし、PVが可哀そうでも書いていくんだよ。そんなに苦労しているのに、職人気質で「読まれないなら商品価値無し、新作作ろう」って商人的発想の作者にイライラしているの。芸術だと思えば前者が正義だし、職人や商人としては後者が正解。


 考え方が違うから、言い合っても仕方ないんだよね。


 どっちでもいいんだよ。自分のイメージと目指す方を選択するしかないんだから。


 お箸だって、人間国宝が作る塗り箸もあれば、工場で大量生産の箸もあるし、割りばしも必要。小説もいろいろあっていいんじゃないの?


 ただね


 好きなものを芸術として書いて読まれないって闇落ちするのは自由だけど仕方ないって思おうよ。売れている人を呪いのように否定しても読まれないのは変わらないからね。


 読まれる小説を書いて読まれないのもたくさんあるのよ。職人として三流ならそんなものよ。


 テンプレ書いているのに読まれない? 当たり前です。そんなテンプレ作品毎日何十作新作で上がっているんだから。


 たったそれだけの話です。無駄な議論で人を変えようとする前に、やるべきことをやりましょう!


 みちのあかりでした。



みちのあかり暴言創作論はこちら


シンプルなカクヨムの考え方

https://kakuyomu.jp/works/16817139557491317580

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