第三話
賽の目(1)
霊剣再生の儀式から一年後、安倍晴明は天文得業生から陰陽師へと出世を果たした。
そんな晴明の傍らには、いつも布作面の男がいるようになった。その布作面の男の名は、
布作面は顔のやけど痕を隠すためのものであり、道真は決して人に自分の素顔を見せることはなかった。この布作面は陰陽頭である賀茂保憲が使用を認めており、公の場であっても道真は布作面を着けたままを貫いた。
道真は燃え盛る炎の中から自分のことを救い出してくれた晴明に感謝し、慕うようになっていっていた。晴明が『せいめい』と自分の名を呼ばしているように、道真も『みちざね』ではなく『どうま』と人に呼ばせるようにした。そして、晴明の影のように働くようになり、様々な情報を集めてきては晴明の耳に入れるのだった。
この日、道真が持ってきたのは、東の空に現れたという、ひと際輝く星の話だった。
「天文得業生たちが、少し前より騒いでおりまして」
「ほう。そのようなことが」
晴明も陰陽師となる前までは、天文得業生として天文について学んでいた身であったため、星の変化に関しては非常に興味を抱いていた。特に星の輝きというものは、人の生死に関することが絡んでいる場合が多く、注視すべきだと教わってきていた。
「その星について、賀茂保憲様は何と言っておられるのだ」
普段であれば保憲と呼び捨てにしている晴明も、陰陽寮の中ではきちんと賀茂保憲様と呼ぶようにしていた。賀茂保憲は陰陽寮の責任者である陰陽頭であり、位も従五位下と晴明よりも上なのだ。たとえ友人であったとしても、そこは公私混同をするわけにはいかなかった。
「あの星は、帝に関する何かを示している可能性があるのではないかと……」
「帝に関する星とな……。なるほど。それは吉凶のいずれなのだ?」
「それがわからないそうです」
「ほう、それは興味深いな。良い話が聞けた。また何か聞いたら私に教えてくれ」
「もちろんです」
「ああ、そうだ。これを持って行くが良い」
晴明はそう言うと道真に一冊の書を渡した。
「これは……」
「
「ありがとうございます」
道真は晴明に頭を下げると、書庫から去っていった。
誰も居なくなった書庫で晴明は、いくつかの書を手に取るとパラパラとめくった。東の空の輝く星。それは一体なにを意味するのか。書をめくって入るものの、書の内容は頭に入って来てはいなかった。
仕事を終えた晴明が屋敷へ帰るために大内裏を歩いていると、一台の牛車が通りかかった。
牛車は、
「これ、晴明」
すぐ脇に止まった牛車から、晴明は声を掛けられた。牛車の車箱には
「これはこれは、兼家様」
「久しいの、晴明。帰りか?」
牛車の簾を開けて顔を出したのは、
「はい。いま、務めを終えたところでございます」
「ちょうどよい。乗れ」
兼家はそう言うと、晴明に牛車へ乗るように促す。
どういう風の吹き回しだろうか。晴明は素早く頭の中で考えながら、兼家の牛車へと乗り込んだ。
「どうかなさいましたか、兼家様」
「晴明、お前に占ってほしいことがあるのだ」
「ほう。占いにございますか。何か良きことでもありましたかな、兼家様」
「わかるか、晴明」
「もちろん。この安倍晴明は、陰陽師にございますぞ」
そう言って晴明は笑ってみせると、釣られるかのように兼家も声を出して笑った。
実のところ、晴明は兼家に呼び止められた時点で何か良いことがあったなということを理解していた。呼び止められた時の声の高さ、顔を合わせた時の表情、そして口調。そのすべてを瞬時に分析し、兼家の状態を予測したのだ。これは晴明の陰陽師としての素質といってもいいだろう。こういったことは、長い下積みで身につけたものだった。明るい表情の者が声をかけてくれば良いことがあったと察し、暗い表情の者が声をかけてくれば悪いことがあったのだと察する。それを占いの結果と結びつけて助言をするのが陰陽師の仕事でもあるのだ。
陰陽師とは、人を見る職である。神のお告げやあやかし、物怪といった目に見えぬ存在をどうこうするということよりも、現実を見て相手に助言をするのが陰陽師である。晴明はそう考えていた。
「実はな、子が生まれたのだ」
「まことにございますか。おめでとうございます」
「はっはっはっは、さすがの早耳である晴明も知らぬことであったか」
上機嫌に兼家は言う。
晴明はそんな兼家の表情を読みながら、その生まれたばかりの赤子について占えというわけだな、と理解した。
赤子を占うというのは大変難しいことであった。大人やある程度の年齢に達している若者であれば、表情などを読み取って悩み事などを聞き出して、それを解決へと導けるようにすれば良いのだが、赤子となるとそうもいかない。表情などを読み取れるわけもなければ、悩みを聞けるわけでもない。これは困ったことになるかもしれない。晴明は笑顔を兼家に見せながらも、頭の中ではこの窮地をどのようにして脱するべきかを考えていた。
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