姫と近衛とネクロマンサー

音喜多子平

第1話 姫と近衛と

 その国では雲一つない月夜の事を『死霊の世界とつながった』と表現する。


 どういう訳かこの国では死者の世界には雲がないと考えられていたからである。


 死霊という言葉を使う時、他の国では禍々しかったり陰鬱でおぞましいものを連想するが、この国では専ら幽霊や霊魂とさほど意味は違わない。


 そんな死霊の世界とつながった夜のお話。


 城の城郭や城壁が月明かりに照らされて、キラキラと揺蕩う光を放っている。この辺りで取れる石材には、クズのような水晶が多く含まれている。大した価値のないものだが、こういう月夜には神秘的な気持ちにさせられてしまう者が多い。


 城の庭園は生垣や木々の一本一本に至るまで手入れを行き渡っており、城主の品行方正さと国の平和さを物語っている。


 けれども、月明かりに映える城の外観はよく見えても、一度中に入ってしまえばインクよりも濃い暗闇が支配するところとなる。


 王も家来も召し使いたちも、皆一様に寝静まった頃。


 城の北東にある一室の締めきっていない扉から灯りが漏れ、闇の廊下に線を引いていた。


 書庫と見紛うほど大量の本が棚に並べられている部屋の中では、イーデルという名のこの城の騎士が一人、寝間着姿で熱心に本を読んでいた。


 机のすぐ傍らには簡単な造りの木製ベットと、甲冑が置かれている。甲冑には目立った損傷はないが、所々が凹んだり擦り傷がついていた。新米の下級騎士が一、二年を経て、騎士の公務と戦闘訓練に慣れてきた証と言ったところだろうか。


 通常、下級騎士は大部屋に押し込まれるようにして生活する。個室を与えられるのは各隊長クラスだったり、いずれかの闘いで武勲を上げた者やさもなくば王族直属の近衛兵であろうが、この男からはいずれの雰囲気も漂ってこない。そもそも個室とは言え、書庫同然の部屋を宛がわれているのには別の理由があるのかも知れない。


 イーデルの金髪は、蝋燭の暖かな灯火の光を受け赤毛のようになっている。久しく散髪をしていなかったのか、鬱陶しいほど伸びた前髪が目に掛かり、その度に指で払いのけていた。


 その時不意に、閉め切っていない部屋のドアをノックされた。


 まさかこのような時間に訪ねてくる者があるとは思っていなかったのか、イーデルは少し驚いた表情になった。しかしすぐに見当がついたようで、本に栞を挟むと扉を開けて廊下を覗いた。


「どなたですか?」


 その問い掛けに声は帰ってこなかった。それどころか、ノックをしたはずの誰かさえいなかったのだ。ほんの少し先に、夜番で巡回している兵士の持つランプの灯りだけが揺れていた。


 扉が開けられたことに気が付いた見廻りの兵士は、駆け足気味に寄ってきて声を掛けた。


「どうかしたのか?」

「いや、何でもない」

「そうか? それならいいんだ」


 イーデルの同僚と思しき兵士は、一先ず異常事態ではない事を確認して安心したようだった。


「見廻りご苦労さん」

「お前もほどほどにして早く寝ろよ、イーデル」

「ああ。ありがとう」


 兵士の背中を見送ると、もう一度だけ辺りを確認し部屋の中に戻った。今度はしっかりと扉を閉め、鍵も掛けた。机に向かうとせめて区切りのよいところまで読んでしまおうと、本に手を伸ばした。


「行った様じゃの」


 他に誰もいないはずの部屋の中から、澄んだ声が聞こえた。けれどもイーデルは微塵も驚かない。それどころかため息交じりに、声のした方をじっと見つめていった。


「やはりあなた様でしたか」


 誰もいない空に向かってイーデルは畏まった態度で応じる。傍目には本棚に跪く変人に見えるかも知れない。だがイーデルはお構いなしに言葉を続ける。


「恐れ多くも意見を差し上げますが、もうこのようなことはお止めくださいませんか―――チャリス様」


 イーデルがそう言うと、突如何もないところから一人の少女が空気の布を脱ぐかのように現れた。チャリス呼ばれた十歳くらいの少女はイタズラな笑みを見せている。


 チャリスはイーデルと同じく寝間着姿ではあったが、発する気品や身のこなしはそこらの幼子とはまるで違う。そもそも寝間着からして、一流の職人が最上級の布地で仕立てたことが見て取れる。そしてそれほど上等な衣にも決して着られることのない装いを保っている。


「心配するでない。私の隠遁魔法はこの城の中で随一を自負しておる」

「それは重々承知しておりますが…」

「ならばよいではないか」

「よくはありません。王女というご身分のあなた様が、一介の騎士とこのような時間に密会など―――いえ、身分立場を除いても、そもそも男の部屋へやってくること自体が間違いなのです」

「自分の近衛兵に会い、話をするだけだ。私に邪な事は何もない。其方は違うかも知れぬがな」

「お、お戯れを。わたくしにもそのような―――」

「大きな声を出すでない。見張りが戻ってくるであろう」


 イーデルはチャリスの持っていた小冊子のようなもので頭を小突かれた。


「私の日々の疲れを癒すことは、最早職務であるぞ。国に忠誠を誓った騎士であれば己の職務を全うするべきでないか」


 チャリスは胸を張り如何にも偉ぶって言った。そしてイーデルには有無も言わさず、そのまま彼のベッドに腰を掛ける。


「それに、私の好奇心は其方でないと満たすことはできないであろう」


 こうなってしまっては抵抗などするだけ無駄であることをイーデルはよく知っていた。深呼吸とため息を足して割ったような息を一つ漏らすと、自分もさっきまで座っていた椅子に座わった。


「今宵はどのようなお話をご所望ですか?」

「うむ。先日に其方の珍妙な友人に会うと言っておったな」

「ええ。申しました」

「その者から話は聞けたのか?」

「わたくしも初めて聞くような物語を聞いて参りました」

「そうかそうか。では早速その話を聞きたいのう」

「畏まりました」


 先ほどの品格が嘘のように、本来の年齢にふさわしいような羨望の目でチャリスはイーデルが話すのを待った。


 ◇


 姫と騎士の一風変わったこのやり取りは、もう両の手の指では数えられない程の回数を重ねている。


このイーデルという騎士は物心つく頃から各地の伝承や歴史、御伽噺を収集するのがこの上なく好きな性分だった。自然と自国を含め世界各国の歴史や風土にも詳しくなっていき、幼い頃には歴史研究の仕事につくか学者になるのが夢であったほどだ。


 しかし、彼の家は下級とは言え騎士の家系であった。長男でもあったイーデルにそのような我儘は許されず、十五歳になった頃には城の騎士団に入隊することとなる。


 武勲を立てられるほどの実力がないことは自分でも重々承知していた。このまま読書が好きな下級騎士の一人として死んでいくのだろう―――そう思っていた。


 だがイーデルの人生は、ある日突然変わった。


 昨年行われた城内の点検整備の折、図書室の片付けを押し付けられたのだ。そこにも司書の役職にあたる者は当然いたのだが、少数の上いずれも高齢であるので必然的に力仕事を押し付けられることになる。その上数日間、埃と黴の匂いを嗅ぐことになるので、他の下級騎士たちには不人気の場所の一つだった。


 けれども、自他ともに認める程の本と歴史好きだったイーデルは手放しでそこに馳せ参じた。


 貴重な歴史書や文献に囲まれ、司書たちと本格的な歴史や各地の伝承の話をした。幼い頃に夢に見た生活が叶ったかのようであった。


 そうして図書室の片付けをしている時。この国の第一王女たるチャリス姫が現れたのである。


 かねてからチャリス姫は伝承や神話、民話の類に造詣が深く、図書室にも頻繁に顔を出すという噂は聞いてた。しかし整頓作業中にもやってくるとは夢にも思っていなかった。


 この時チャリスは、名前すら聞いたことのない遠国の御伽噺を収集しており、それにまつわる本を探すために足繁く図書室に通い、大司書と相談していたのである。その会話が聞こえてきたイーデルは、過去に読んだ一冊の本を思い出した。


 そして憚られながらも、心当たりの本があることを告げた。


 イーデルが実家から取り寄せて差し出した本は、正しくチャリスの求めていたことに応えてくれるかのような本であった。


 それからというもの。イーデルの学者顔負けの知識の多さに感銘を受けたチャリスは、事ある毎に様々な御伽噺をせがむようになった。とは言え、一介の下級騎士と一国の姫が会話をする時間などは中々持てるものではない。


 そこでチャリスは、直属の近衛騎士団の末席にイーデルを加えることを決めた。武勲功績を上げずに、下級騎士の家の者が近衛騎士なるなど前代未聞のことである。この事はたちまち城内外に広まった。


 今を時めく『御伽噺の騎士』と言えば、それを知らぬ者はこの国にはいないだろう。


 そして騎士としての職務の他に書籍の整理と国の歴史調査の任を任せられることになった。今では図書館の書庫に寝床を移し、夜や休日に時間を見つけては調べ物をする暮らしになっている。


 イーデルを近衛騎士としたことでチャリスは、今まで以上に語らう時間が増えたものの、行儀習いや公務などで忙しく、とうとうイーデルに宛がった書庫の個室に寝る間を惜しんでまでやって来るようになっていた。


 ◆


「如何でしたでしょうか?」


 先日、奇妙な友人から聞いた御伽噺を言い終わると、水を飲んで喉の渇きを潤した。チャリスも満足げに微笑んでいる。


「ふうむ、面白き話であった。冒頭から驚かされた。まさか桃の中に赤ん坊が入っているとは思いもよらなかった」

「どこまで本気なのかは知りませんが、友人は異世界の話だと申しておりました」

「家来も愉快であるな、犬に猿に雉とは。それにキビダンゴなるものは私も食べてみたい」

「お気に召して頂けましたか?」

「うむ」


 チャリスは品を保ちつつも屈託のない笑顔で答えた。公の場では常にきりっとした公人の顔しか晒さないので、こうやって充実した私的な時間を提供できることに、イーデルは喜びを感じている。


「今まで聞いた中では二番目に気に入ったぞ」

「二番目?」

「ああ。私の一番のお気に入りは、其方がいつか話してくれた死者を蘇らせる魔術師の話だ」


 イーデルは「あぁ」と思い出したついでに声を出した。


「ネクロマンサーのお話ですか」

「本当におるのかのう」

「これは御伽噺ですから」

「ふふふ」

「どうなさいました?」


 チャリスは不敵に笑いながら、本棚にあった民話や神話のまとめられた本を取った。パラパラとそれを捲りながら、まるで司祭が信徒に諭すかのようにに語り始める。


「確かに御伽噺かも知れぬ。だが、世の中には理屈と言うモノもある」

「というと?」

「結果には原因というものが存在する。それは私が如何に狭い世界に住んでいようとも分かる事だ」

「仰る通りです」

「無から一は生まれない。それは御伽噺と言えども変わるまい。」

「…」

「さきほどの桃男の話でもネクロマンサーの話であっても、その話が生まれたからには必ず、元になった何かが起こっているはずだ」

「ご聡明なご意見です」

「どこかしらに信じられる要所があるというのは、御伽噺の醍醐味だな」


 たかだか十歳くらいの年齢で、そんな事を考えているチャリスを見ているとイーデルはやはり住む世界が違うのだと思い知らされる。自分がそのくらいの歳の頃には、ただ面白いという理由だけで本を読んでいた。物語が生まれるのに理由なんてない――あの男に秘密を打ち明けられなかったのなら、今でもそう思っていたかもしれない。 


「姫様は…」


 生き返ってほしい人がいるのですか―――とは続けられなかった。自分如きがそこまで踏み込んだことを聞いてはならない気になったのだ。


「ん?」

「いえ、何でもありません」

「むう。気になるな」

「ともかく、今日のお話はこれでお終いです。さ、寝室へお戻りください」

「そろそろ其方を立てておくか」

「光栄でございます」


 いつもはもう少し粘る事が多いので、チャリスの素直な返答に一安心した。


 万が一にもこのような夜更けに姫君と自室で密会していた事を悟られる訳にはいかないので、こうしてチャリスが部屋を出る時に最も神経を使う。チャリスが魔法で姿を消せると知っていても、やはり落ち着かない。


「其方はまだ眠らぬのか」

「姫様が御眠りになるまでは眠れません」

「そうか。では其方の為に早く眠るとしよう」


 その言葉にイーデルはニコリと微笑んでこたえた。


「どうか、お風邪など召されなさいませぬよう」

「うむ。楽しかったぞ」


 扉を開け、姿なきチャリスを見送る。


 しんっと静まり返った夜の城はとても不気味に見える。


 いるはずのないモノ。

 聞こえるはずのないモノ。

 

 今まで読んできた幾千幾万の物語の中に出てきた怪物の影を闇の中に想像したイーデルは、ぶるっと身震いをした。


 少し熱くなる日もあるが秋ももう少しで終わる事だろう。

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