第33話 誘った男
編集長の山中が話題を変えるように口を開く。
「それで先生、寄稿いただく件はご検討いただけますでしょうか」
「どのくらいの文字数をお考えですか?」
「コラムですから1500字程度かと思いますが、もしご了承いただけるなら特集記事にさせていただきたいと思います。伊豆タウンマガジンの定期購読者層と、先生の読者層は合致していますので、かなりの反響を期待できると踏んでいます」
「なるほど、商売上手な編集長さんのようだ。しかし、特集というほどのボリュームは難しいと思います。でも、コラムというより単発のエッセイのような物で良ければ対応しましょう。それでも5000字が限度かな」
「もちろんそれで結構です。それと、原稿料ですが……」
「そうですねぇ……ページ単価での契約をしたことが無いので、自分では良く分かりません。ですから御社の相場で結構ですよ。内容は? どのようなイメージですか?」
編集長が孝志の顔を見た。
「逆に先生が指定される締切日によりますが、最短と考えるなら11月号に掲載させていただきたいと思います。12月号は年末特集ですので、逆に勿体ない。秋の行楽シーズンが終わり、年末年始イベント前のエアポケット的な11月号の目玉にできたらベストです。だとすると『初冬の伊豆に行ってみたい』と思わせるような内容などいかがでしょう」
「なかなか良い企画ですね」
孝志の意外な仕事ぶりに、徒然は目を見張った。
ただの人間のクズだと思っていたが、どうやら仕事だけはできるようだ。
「わかりました、考えてみましょう。ただ私はその季節の伊豆に詳しくありません。資料を揃えていただけますか?」
「もちろんです」
「いつまでにできますか? できれば早く済ませたいのです。すぐに長編の予定が入っていましてね。それに取り掛かると、他の仕事は全て断りますから」
「明日の夕方までには揃えてこちらにお持ちします」
「わかりました。それでは明日ということで」
徒然が立ち上がると、2人も慌てて腰を浮かせた。
「それでは失礼いたします。急なお願いにもかかわらず、快く引き受けていただき、心から感謝いたします」
玄関まで送り、走り去る車が見えなくなっても、その方向から目が離せない。
あの男とかかわったのは早計だっただろうか。
「少し話を聞いてみるのも、今後のためには良いのかもしれない」
鍵を閉めリビングに向かう。
夕食を準備していなかったことを思い出し、ケイタリングメニューを広げてみた。
「1人じゃ多すぎるな」
徒然は車のキーを手にして立ち上がった。
この別荘地は、最近になって開発が急激に進んだが、以前はぽつぽつと別荘が立ち並ぶだけの閑散とした場所だった。
夏には賑わうが、秋も半ばとなった今では、灯りのついている建物もまばらだ。
ただ、この丘を下って少し走ると漁師町と言うには大きい繫華街がある。
徒然は総菜が充実していると志乃が言っていたスーパーへ入っていった。
「あれ? 先生」
声をかけてきたのは編集長だ。
「ああ、編集長さん。どうされたのですか?」
「私はこの近くの出身なのですよ。今日は実家に泊まろうと思ってここで降ろしてもらいました。まあ、実家といっても、もう誰も住んでいないのですが」
「そうですか。では夕食を?」
「ええ、休みのたびに帰ってきてはいるのですが、さすがに食材のストックは無いので。先生は?」
「私もですよ。いつもなら妻がいるのですが、今回は一人なので侘しく総菜で済ませます」
「先生、もしよろしければご一緒しませんか? 知り合ったばかりの男が二人で晩飯というのもなかなかオツじゃないですか?」
徒然は山﨑孝志の暮らしぶりを聞けるかもしれないと考えた。
「良いですね。編集長は徒歩ですか? 私は車なので良ければうちでやりましょう。泊まったらいい。明日会社まで送りますよ」
「えっ! 良いのですか? 嬉しいなぁ。では遠慮なくお言葉に甘えます」
二人は酒のつまみになるようなものばかりをカートに入れた。
「酒はワインしか置いてないので、それぞれ好きなものを選びましょう」
「では私はビールと焼酎にします」
「おお! 飲む気ですね? 明日の資料が来るまでは時間もありますので、とことんお付き合いしましょう」
年齢的には10歳は違うであろう男が二人、楽し気に話しながらショッピングカートを押す姿はさすがに人目を引いた。
大きな袋をそれぞれが抱えて車に乗り込むのを、数人の買い物客とレジスタッフが無言で見送っている。
リビングに落ち着くと、買って来た総菜を温めるでもなく、そのままテーブルに並べる。
取り皿を数枚手にキッチンから戻った徒然に、編集長の山中が缶ビールを突き出した。
「まずは乾杯といきましょうか」
「そうですね。何やら不思議なご縁ですが、こういうのも悪くはない」
グラスに注ぐこともせず、缶のまま飲むビールがこれほど美味いとは意外な発見だ。
徒然は目の前に座る男に少なくない興味を覚えた。
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