元転生令嬢と数奇な人生を 【書籍化連載中】
かみはら
1.安らぎの場所から
厳しい冬を越え、季節が巡り、結婚式を数ヶ月後に控えていた。
この時には新居も整い、調度品の選定に移りつつあった。式の段取りを確認しながら、コンラートの家で過ごす残り少ない期間を楽しむために毎日を過ごしている。
私にとっては婚約が決まってからが、もっとも忙しい日々かもしれない。穏やかさは、かつて私を助けてくれたコンラート領での日々だけれども、慌ただしいながらも楽しい日々だと断言できるのは、この帝都グノーディアで送るいまの生活だ。
新しい友人、家族達は日常を愛する喜びをくれて、愛する人は日々に彩りを与えてくれる。新しい生活を夢見ていられる毎日は、少なくとも大事な人の安否や内乱に心を痛める必要はない。ざわめく街中に怯えなくとも良いし、理不尽に誰かの死を目の当たりにしなくてもよくなった。当たり前に寝起きできて、人らしい扱いを受けられるのだから平和な生活だ。
……後半に関しては、普通出てくる感想じゃないかも。誘拐時に私が受けた扱いが酷すぎるだけなんだけど、まだ心に残ってるせいかもしれない。
「いまごろハンフリー達はコンラートに到着してる頃かしら」
夕餉に舌鼓を打ちながら感想を漏らした。
口にしたのはコンラート家の使用人の名前だ。彼はいま、隻腕の師と共に、かつてファルクラム王国コンラート領と呼ばれ、滅びた故郷に一時帰省している。
私の疑問に「うん」と頷いたのはヴェンデル。19歳の私とたいして変わらない13歳の少年だけど、関係は義親子でこの子が息子だ。将来的に成人したこの子に当主を譲る予定で私が当主代理を務めている。
最近本の虫に拍車がかかって、さらに視力が落ち、夜更かし禁止令を出したけど、守っているかは怪しい。白身魚のソテーに、たっぷりの溶かしバターをまとわりつかせながらヴェンデルは続ける。
「ベンの遺灰を撒いて、父さん達に報告してるだろうね」
「自分で行きたかったんだけどなぁ」
「やめなよ。いま未来の皇妃様がコンラートに行ったら大騒ぎにしかならないじゃん」
「わかってるわよぅ、だから二人に任せたんじゃない」
彼らに亡き恩人達に婚約の報告と、オルレンドルで亡くなった庭師ベンの遺灰を託している。コンラートの地で眠るご老体の娘夫婦や孫の地に、遺灰を撒いてもらうためだった。
かつてファルクラム王国領だったあの土地はどうなっているだろう。数年前、オルレンドル帝国前帝カールと大国ラトリアの密約で完膚なきまでに滅ぼされ、大国ラトリアに譲られてしまった。復興状況は芳しくないと聞くが、建て直しが決まっている以上はラトリア人たちが彼の地を我が物として闊歩する。
胸が痛まないとは言わないが、いずれあの地は取り戻してくれると婚約者に約束してもらっているから、まだ希望を胸に抱き続けられている。
ヴェンデルは眉を顰めつつ、持っていたスプーンを持ち上げた。
「ていうかさぁ」
「ヴェンデル、お行儀悪い」
「身内だけだからいいじゃん。それより僕としては、せっかくの食事会なのに婚約者を無視する方がどうかと思う」
「無視してないわよ」
「嘘。さっきからチラチラ見てるくせに」
変なところだけよく見てるんだから。
無視してるわけじゃない。今日は久しぶりにライナルトをコンラート家にお招きしたんだもの。宮廷のどこか冷たい雰囲気のある部屋で食べるご飯より、慣れ親み、あたたかみのあるこの家で揃って食卓を囲める日を楽しみにしていた。
「カレン」
「はいっ」
緊張で背筋が伸びた。いい加減慣れたつもりだったけどこの夜は別。
シチュー皿の前でスプーンを動かしていた男性がじっと私を捉えている。
この人こそライナルト・ノア・バルデラス。皇帝の私生児であったものの一介の貴族から成り上がり、前帝を弑逆し、皇位を簒奪したオルレンドル帝国皇帝陛下である。
唸っちゃうくらいに顔が良いこの人こそが私の婚約者だ。
百人中百人がまず“美形”と断言する整った容姿は、観賞に耐えうるほどに造形が神がかっている。鍛えた肉体と、人間離れした精神力は、オルレンドル帝国の君主足るに相応しい佇まいであった。
「心配せずとも、このシチューは美味い。私の口に合っているし、その腕前を褒めたいくらいだから緊張しなくてもいい」
「ほ、ほほほんとうですか」
「嘘を言ってどうなる」
「ヴェンデル、ねぇ、どう思う!?」
「……美味しいって、ほんとだよ」
義息子には呆れられてしまうが、いやいやでも婚約者殿は私のやることなすこと大概肯定するので信用ならない。ヴェンデルに確認だって取ろうというもの。
上流より中流家庭の人々が多く住まう区画の我が家。
わざわざ日程を調整してもらい、事が大きくならないよう、こっそり彼にうちに来てもらったのは他でもない、私の手料理を振る舞うためだった。
基本的に食に拘りのない皇帝陛下に皇太子時代に約束した野兎のシチューを作ったのだ。
素材から選び抜き作った会心の出来だが、私の拘りが発揮された一品だ。兎は皮剥から丁寧に処理をして腑分けを行い、臭みを消すための香辛料から選び抜いた。
味付けも我が家の料理人リオさんに習いながらきちんと作った。それでもなお自信が持てないのは、いつかリオさんがライナルトに振る舞った味からかけ離れてしまったためだ。
……おかしいなぁ、と腑に落ちていない。習いながら香辛料も選んで、彼の覚えのある味に寄せたつもりなんだけど、違う仕上がりになってしまった。それにリオさんが作ったシチューも、ライナルトの記憶にある味に近いだけで、そのものじゃない。
私が披露したかったのはライナルトの思い出の味だったし、ライナルトにも胸を張って招いてしまったので、挙動不審になっている。
我ながら言い訳がましく目線を逸らした。
「でもライナルトが食べたかった味じゃないですよね」
「たしかに違うかもしれないな。だが子供の頃に食べたというだけで、拘りはない。私にとってはカレンが私のために作った、それだけが重要だ」
「嬉しいお言葉ですけど、拘りたかったので自分では満足できません」
お代わり二杯目も嬉しいけど、それとこれとは別。じっくりと煮込まれ、口の中でほろほろと解けていく兎肉はうっとりするおいしさだ。
「そう悩まずとも良い」
「ライナルトはそう言ってくれますけど……」
「再現したい心意気だけで満足だ。それにこれは私の持論だが、家庭の味というのは引き継がれはすれども、同時に作ってくれた者の料理そのものが"家庭"の味だ」
「つまり?」
「カレンが作るこれこそが私の望むものであり、私たちの味ということだ」
……なんか、その。
本当に、求婚の時といい、すっかり私を宥めるのが上手になっている。
まったくもう、彼の言葉で冷静になってしまったではないか。記憶の味よりも、まずは彼に喜んでもらいたい一心だったのを忘れていた。
「……ありがとう。また作るから食べてくださいね」
「喜んで」
緊張から解放され、自然に笑みがこぼれる。
こころなしかライナルトも喜んでいるし、和やかな雰囲気に戻ったところで、ヴェンデルのわざとらしい咳払いが飛んだ。
「ねえ、僕の存在忘れないでほしいんだけど、部屋に戻った方がいい?」
「ごめんごめん、忘れてたわけじゃないってば」
「勘弁してよ。二人になるとすーぐそうなんだから」
ヴェンデルの存在を忘れるのはよろしくなかった。
戻ると言ったのは冷やかしだろうが、ライナルトが引き留める。
「ヴェンデル、お前がいなくてはカレンが気に病む」
「知ってるよ。揶揄っただけ」
「それとも話題の中心になりたいかな。だとすればまず学校の話から尋ねることになるが、この間は宰相の息子と共に、随分やんちゃをしたと聞く。是非仔細を尋ねたいと思っていた」
「あー……二人とも、どうぞ、会話を続けて。僕はいま、とってもお腹が空いてきた」
「待って? ライナルト、何を知ってるんです」
「他愛もない話だ」
この二人、時折こんな風に私に隠し事をする。
「それにしても皮まで剥いだと聞いたが、そこまでやる必要はなかったのではないか」
「いずれ教えてもらいますからね。……で、兎ですか? みんなそう言うんですけど、せっかく覚えた技術なんですもの、腕が鈍ってないか確認したいじゃないですか。あなたの髪結いと一緒です」
やんごとない身分なのに、髪結いの技術を習得しているライナルトと一緒だ。
他にも様々な賑わいを経て、ライナルトの帰宅時間はあっという間に訪れた。帰り間際にもらったのは金剛石が嵌まったブローチだ。
「あ、今度のは鳥の意匠だ。かわいい、ありがとう。ライナルトのは……鷲?」
お揃いを身につけたいと言ったあの時から、私たちだけの装飾品は少しずつ数を増やしている。でも今回のは私たちだけのじゃなくて、ヴェンデルの分も用意してあった。
私のが小鳥だとしたら、この子のは鷲とまではいかなくても、立派な翼を持った猛禽類だ。地味目めになっているのは男の子でも身につけやすくするためだろう。
まだ服飾品よりは趣味に目を向けがちな年頃だ。気に入るか不安でいたら、殊の外ヴェンデルは目を輝かせた。
「学校のダンス集会に使う衿止めを探してたんだ。ありがとう、大事にする」
予想より簡単に仲を深めたのだが、私とライナルトが玄関で話し込む間に、ヴェンデルは姿を消していた。家令のウェイトリーさんもだ。
気を使ってくれたんだな、と気付いたのはライナルトの右手が私の頬に添えられてから。
婚約したのだ。多少私だって、彼限定ではあるけど雰囲気を読めるくらいにはなっている。
瞼を下ろせば唇に柔らかな感触が触れ、口付けが交わされる。ごくあっさりとした触れ合いを終えると、額にもう一度、軽く唇が落とされる。
……よし! 心の準備はしてたからもう照れはしない!
「コンラートで過ごす時間も残り少なくなってきたろう。次はお父上や弟君でも呼んで語らい合うと良い」
「あなたは?」
「私はいい。家族の団らんを邪魔するほど野暮ではない」
「それ、弟が聞いたら怒りますよ。あと父さんだってそんなこと思ったりしません。もちろん私も」
「……そうだな、では次は全員で」
別れの抱擁を交わして、馬車を見送った。
自然に出てくる鼻歌交じりに、きっと戻ってきているであろうウェイトリーさんに、今夜のお礼を伝えようとしたときだ。
いた、と声がした。
「――――え?」
詰められていた。
長い、長い、足元まで伸びた艶やかな黒髪。ほっそりと……むしろあり得ないくらい痩せすぎな、肉を欠いた骨と皮だけのかさかさ肌。そんな中で、伸び放題の黒髪の隙間から目だけが爛々と輝いていて、息の掛かる距離にその“娘”がいる。
覗かれている。私を視ている。観察している。
はぁ、とそれが息を吐いて、頬にかかる。不思議と臭いはないが、生暖かくて、瞬時にぶわりと汗がこみ上げる。
――逃げなさいと本能が叫ぶ。
衝動が使い魔を呼ぼうとした。私に出来る範囲ですぐに出せる防御機構、いますぐこれを引き剥がさないと大変な事になるのに――。
「だめよ」
『それ』の乾いた一声で、紡いだ魔力が霧散する。足先から力が抜け、ぺたりと地面に崩れ落ちると、視界が真っ暗になり……。
目覚めたら、石棺の中で横たわっていた。
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