第6話 アマミキヨの詩

大海は大学での生活にも慣れて、講義を行わない時は、自らの研究の一環として、日本や中国、朝鮮半島など東アジアの古代史と照らし合わせながら、沖縄の歴史について調査・研究を行い、琉球の古代史を紐解く日々を送っていた。


琉球の歴史を知る上で欠かせない文献と言えば、『琉球国由来記』と『おもろさうし』である。前者には、琉球王朝の諸事習わしと、同時代に集められた琉球各地の由来伝承などが記されている。後者には、琉球王朝の万葉集とも言うべき全二十二巻一二四八首にも及ぶ歌謡集が収められている。



「琉球国由来記」の冒頭には、正月の公事として、次のように記されている。


『舜天王。乾道二年丙戌降誕。淳熙十四年丁未、即位 シタマフナリ。夏正ヲ用ヒ、寅ノ月ヲ歳首トスル事、此御宇ヨリ累世相続来歟。粤ニヲイテ、古事ヲ考、左ニ記ス。「通典曰、漢高祖十月二秦ヲ定ム。遂二歳首トス。七年長楽宮成ル。ョッテ群臣朝賀ノ儀ヲ制ス。武帝改テ夏正ヲ用ヒ、寅ノ月ヲ以歳首卜ス。サレ共元日ノ慶賀バ、モ卜漢高祖ヨリハジマル。」中華事始ニ見ヘタリ。』


舜天王とは、初代琉球国王とされているが、実は史記の夏本紀に登場する五帝の一人とされる「帝舜」に准えていると捉えると、「夏正ヲ用ヒ、寅ノ月ヲ歳首トスル事」という記述が、中国の伝説の夏王朝の帝禹(帝舜を助け黄河治水事業を成功させ夏王朝を宣言した帝禹)が即位して、夏王朝を正式に宣言し、三皇本紀の天皇氏が太歳の寅の年を紀元としたという記述と相通ずる。



また、巻八の『那覇由来記』には、以下のように琉球の由来として龍宮とある。

「やはりそうだ。琉球は龍の宮なのだ。」


『琉球神道記曰く。「国土ヲ視ニ、不寒不熱ニシテ、・・・爾バ琉球ノ二字、恐ハ龍宮ノ韻也。・・・」曰ニヤ』



さらに、巻三の『田・陸田』の項には、次のように記されており、アマミキヨ(アマミク)がニライ・カナイ(ギライ・カナイ)より稲種を持ってきて植えたのが始まりとある。しかし、倭国は天照大御神が粟・稗・麦・豆を陸田の種子としたとも記されており、記紀(古事記と日本書紀)の五穀の起源と多少矛盾するが、やはり五穀の起源に天照大御神が関与しているのである。


『当国、田・陸田、昔阿摩美久、ギライ・カナイ ヨリ稲種子持来、知念大川・玉城親田・高マシノマシ カマノ田二、稲植始也。此田之始也。其制未備、景定年間、英祖王、自四方巡狩、効周徹法・而正経界、均井地。五毅豊饒、而万民安寧也。中華ハ、「詩疏云。易繋辞二、神農始テ耜ヲ作トアレバ、即、田ハ神農ヨリ起ル。通典云。始テ歩ヲ立、畝ヲ制ス。然レバ、田ヲ畝ヲ以斗ル事ハ、軒轅ヨリオコル。」倭国ハ、「天照大神、稲種ヲ天狭田及長田二植給ヲ、孝徳天皇二年二、凡田ハ、長サ三十歩、広十二歩ヲ段トシ、十段ヲ町ト定ム。日本紀。天照大神、粟・稗・麦・豆ヲ以、陸田種子トス。是陸田ノ始也。」』



大海は、稲垣と南美に催してもらった飲み会での話をふと思い出した。


「泡盛は昔は『粟』を原料としていた。そして、沖縄には『粟』の付く地名として『粟国島』がある。そして、先日南美と出かけた久高島のイシキ浜には、五穀の種子の入った壺が漂着したという五穀発祥伝説があるという。」


彼は、インターネットで『粟』と『シルクロード』という単語のAND検索を行ってみた。すると、『シルクロードのソグド錦(にしき)』というワードが飛び込んできた。昔中央アジアに住んでいたソグド人はシルクロードを通って中国の絹をローマ帝国などへ売りさばく貿易商人だったらしい。そして、中国の文献ではソグド国を『粟特国』と記していたようだ。


「本土でも四国の徳島は昔、『阿波国』と呼ばれていた。そして、『阿波国』=『粟国』とすれば徳島と沖縄は何か関係があるのだろうか?」


大海は、父親の光一にLINEで阿波国についての情報を確認した。

すると、古事記には四国が『伊豫の二名島』と記されており、阿波国には『大宜津比賣神』というもう一つの名前があることがわかった。

つまり、徳島は『大宜津比賣神』という異名を持っているというのだ。

そして、古事記の神話では須佐之男命に斬り殺され、その亡骸からは『蚕』と共に、五穀の起源と言われる『稲』『粟』『小豆』『麦』『大豆』が生まれるというのだ。


これは、久高島のイシキ浜に伝わる五穀発祥伝説にも通じるではないか。

そして、琉球国由来記に記されているアマミキヨが根付かせた『稲』と天照大御神が根付かせた『粟』『稗』『麦』『豆』を総合すると、『稗』『小豆』『大豆』などの多少の違いはあるものの沖縄と本土でも概ね五穀の発祥伝説が繋がって来るのである。


そう言えば大宜津比賣神の『宜』という漢字が付く地名が沖縄に多数あるのだ。自分が住んでいる『宜野湾』を始め、『宜野座』、『大宜味村』など、少し考えるだけで、実に多いことがわかる。


「もしかすると、琉球の祖霊神とされる『アマミキヨ』とは『大宜津比賣神』のことではないだろうか? そして、『大宜津比賣神』と『天照大御神』とは同一神と言えないだろうか? 『大宜津比賣神』が斬り殺されるとは『天照大御神』の崩御を意味していないだろうか?」


大海は、以前に父親の光一から『卑弥呼』=『天照大御神』だという説を聞かされていた。そして、『卑弥呼(ひみこ)』は魏志倭人伝によると狗奴国との戦闘で亡くなり、その後国内が乱れて『台与(とよ)』がその後を継ぐことで収まると記されている。光一は一度隠れて再び現れる『天照大御神』の天岩戸伝説が『卑弥呼』の死と『台与』の継承を意味していると言っていた。


大海は、古事記の国生みの段をもう一度丁寧に読み返してみた。すると、最初に生んだのが『水蛭子(ヒルコ)』で、次に『淡島』とある。水蛭子はヒルギに象徴される沖縄・奄美地方ではないか。ワダツミの木の歌は奄美の民謡に由来しているとすると、水蛭子=奄美となり、淡島=粟島とすれば、粟国島が教えるとおり、淡島=沖縄ということになる。そして、前述の二つは子としなかったとあるので、倭国の範囲で無かったことがわかる。淡=粟とすれば、淡路=粟の道となる。したがって、次に生まれた『淡道の穂の狭別島』とは、種子島辺りではないだろうか。宮崎の西都市辺りは古事記の記述から狭穂と呼ばれていたことが窺われる。つまり、シルクロード海の道を成す中国福建省辺りから台湾を経て八重山諸島、琉球、奄美と続き、南九州の宮崎(邪馬台国)と鹿児島(投馬国)への分岐点が種子島辺りであったと考えられないだろうか。種子島の浦田神社の縁起によれば、往古伊邪那岐命は、竜城より五穀の種子を求めて当国に渡り農耕の道を定めたので、種子島と名付けられたとされている。やはり、倭国の頃から海の道があったのだ。

そして、倭国が拡大し近畿地方を拠点に全国を平定するに連れて、粟の道は現在の淡路島を介して関西方面へ延伸し、阿波国は関東方面に分岐して安房国となって行ったと考えられないだろうか?


つまり、五穀の発祥と粟の道を大宜津比賣神=天照大御神=アマミキヨ=卑弥呼という最も尊い天孫族の神名に准えて象徴的に表現したのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る