case1.6 日常を愛すべきである

 マルコシアスの羽の刺客を二人退けたあなたたちは、廃ビルで一泊したのち、今度は丸一日かけて探偵の事務所へと戻った。最短ルートで第一廃墟都市から出ると、マルコシアスの羽と再び会敵する可能性があったので、大きく迂回しながら戻ったからだ。そして、移動した理由はと言うと、一度位置が割れているあの場所よりも、探ったことが露呈してるとは言え個人の特定には至ってない探偵の事務所の方が安全だと踏んだからだ。幸い、あなたと探偵は普段から事務所で寝泊まりしている上、もう二人くらいならば寝れるスペースもあるので、寝床には困らないだろう。寝袋も予備がいくつかある。アガーテ氏も、衣類をいくつか持ち込んでくれたので心配はない。


 事務所の中はというと、探偵が探偵用の長机の方へ座り、アガーテ氏がソファーの上にぎこちなく座り、あなたは棚の前でいつも通り書類整理をしている。あなたは基本的に事務所に居るときは書類整理と家事炊事が主な仕事だが、中でも書類整理はいつまでたっても終わらない。出し入れする中で順番が変わってしまうのもそうだが、探偵が何でもかんでも棚に入れてしまうので、たまに買った家電の取扱い説明書なども紛れ込んでいたりするのを分別しておくのもあなたの仕事である。


「……あの、えっと。私を匿っていただくのはありがたいんですが、この後どうするつもりなんですか? それだけ知っておきたくて」


 どうする、と言うのは方針と言うこと? あなたはそう返す。


「はい。マルコシアスの羽の刺客は確かに退けました。だけど、根本的な課題はまだ解決してない。私の命は、まだ狙われたままです。私を匿ってまで行動を起こすってことは、何か勝算があっての事なんですよね? ……って、気になってしまって……」


 ポリポリ、と頬をかきながらアガーテ氏は言う。最初にここに連れてこようと言ったのは探偵だ。今は何か思考に耽っているが、呼んでみるとするか。あなたは探偵を呼ぶ。


「……ん、なんだい? ごめん。話を聞いてなかった」


 あなたはアガーテ氏の言ったことを軽くまとめて伝えた。それを聞くと、ふむ、と言い立ち上がる探偵。そしてアガーテ氏の前までつかつかと足音を鳴らしながら歩く。


「勝算はあるのか、と言ったそうだね。もちろん、勝算はある。あるが、悪いけどその情報は明かせない。万が一外部に漏れたら不味いことになるからね。明かせるのは、キーとなるのは僕の知り合い、と言うことくらい。その知り合いにはもう既に協力要請をして、OKをもらってる。作戦決行は近いよ」


「そうなんですね。良かった……勝てない戦いなんて、するものじゃありませんからね」


「……僕は、勝てない戦いでも、依頼人の利益を守るためならするけどね。ま、時と場合によるってことさ。さて、今日はもう寝ようじゃないか。もう10時だよ。夜更かしなんてするものじゃないからね。ほら! 助手も書類整理はおしまい。また明日に回して風呂にでも入ってきな。一番風呂は譲るよ」


 はいはい、と手に持った書類を棚に戻しながらため息をつく。早寝早起き朝御飯、これが大事なんだと力説する探偵に子供かとツッコミを入れたくもなるが、健康のためにはあながち間違ってもいないのが困る。魔術があり、科学もあなたが知る頃よりはるかに発展したとは言え、自分の健康は自分で守らねばならないと言うところは変わらない。


 さて、さっさと風呂に入って寝る支度でもするか、伸びをしながらあなたはそう呟いた。


 ◆◆◆◆


 時は流れ、朝。昨夜は向かい合うように設置された2つのソファーそれぞれにアガーテ氏と探偵が毛布を被って寝て、あなたは床で寝袋で寝た。初めての経験ではないが、まだ慣れない。体のあちこちが痛む。現在時刻は午前5時半。なので、アガーテ氏はまだ眠っている。探偵はと言うと、今は事務所にいない。あなたが起きるより前にどこかへと外出したのだろう。どこに行ったかは大体見当がつく。おそらくコンビニに朝食を買いに行ったのだろう。言ってくれればいくらでもあらかじめ材料を買ってきておいて作るのに、あなたはそう思う。前世の経験から、あなたはパンをこねることも出来るし、1から米を作ることもできる。土地と時間と職業柄の問題でやっていないだけで、この終末世界での老後は一人で密かに農家でもやってやろうか、と言うのがあなたの考えである。老後がやってきたらの話であるが。

 閑話休題。探偵が出ていってからは軽く見積もって30分くらいだろうか。そろそろ帰ってくると思うのだがどうだろう。

 すると、ガチャリとドアの鍵が開く音がして、探偵の帰還を告げる。蒸し暑い空気が事務所の中に入ってくる。朝で、まだ気温が上がりきってはいないとは言え、あなたが知る頃より気温は遥かに高い。海面が知る頃よりも上昇しているくらいなのだからそれはそうだろう。


「ただいま」


 アガーテ氏がまだ寝ているから小さな声で、とあなたは探偵に言う。


「わかったよ。ほら、今日の朝ごはん。コンビニのサンドウィッチだけどね」


 ドサリ、とサンドウィッチの山の入ったレジ袋をガラス製のテーブルの上に置かれる。たまご、ハムレタス、ツナ……一部は魔術と科学で作られた合成肉だが、味はあなたが知る頃と変わらない。なんでもどこかの島国ジャパンが味にこだわって開発したらしい。土地が沈んでもやることは変わっていないらしい。懐かしいものだな、とあなたは思う。


「……ん、むぅ……。おはようございます……」


 なんやかんやしているうちに、アガーテ氏が起床した。目を擦り、伸びをするアガーテ氏。あなたは朝食の飲み物はオレンジジュースとコーヒーと合成牛乳の内のどれが良いかを尋ねる。


「……オレンジジュースでお願いします……。ふぁーあ、眠いなぁ……」


 もう少し寝ていても良いが、どうする? あなたはそう言う。


「あー……いや、起きます。家事の手伝いとかありますか? 私が出来そうなものなら手伝いますよ 」


 それはありがたい申し出だがあなたは断る。洗濯も《クリーニング洗浄》の魔術で済んでいるし食器も同じく洗浄済。他は後回しで良いのでやることは全て終わっているのだ。


「流石助手さん。ちゃんとしてますね」


 ふふん、どうだ見たか、とあなたは少しだけ自慢げに言う。そして二人で笑い合う。見た目は同じく十数歳。しかし実際に生きた年齢はそれよりも大幅に老いているあなたとアガーテ氏。なんだか共通点を見つけて、少し嬉しい気持ちになる。その共通点を見いだせるのは、あなただけなのだが。そうして暫く談笑していると、


「おや、アガーテさん。起きたのかい。じゃあ朝ごはんにしようか」


 手と顔を洗った探偵が洗面所から戻ってくる。あなたはキッチンへと向かい自分用のコーヒーと探偵とアガーテ氏用のオレンジジュースを用意しておぼんに乗せ、テーブルまで運ぶ。


「じゃあ、食べるとしようか。いただきます! 」


「いただきます」


 いただきます。あなたもそう言い包装を開けると、美味しそうな匂いがしてくる。


 普段と変わらぬ日常。これがどれだけ愛おしいものなのか、あなたは理解している。こんな時間がずっと続けばいいのにな、なんて、普段なら思いもしないようなことまで考えてしまう。


 だからこそ、目下の問題に対処して、平穏な日常を取り戻さなければいけない。あなたは再び決意しながら、サンドウィッチを口に運んだ。



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