X章ep.17『私達が帰るべき場所』

「ただいま、みんな」


 オメガとの戦いから帰還した壬晴は皆に笑顔を向けた。

 それは今までにないくらいの晴れやかな表情だった。


「ミハル……ッ」


 巫雨蘭は壬晴へと駆け寄り、その胸元に飛び込んだ。

 壬晴も巫雨蘭を抱き留めて、腕の中にいる彼女を力いっぱい抱き締めた。戻って来れて良かったと、またこうして彼女に触れることができて良かった、と壬晴は心から嬉しく思う。


「フウラ……信じてくれてありがとう。キミの声、ちゃんと僕のもとに届いたよ」

「私も、あなたを助けることができて本当によかった……」


 巫雨蘭は喜びに涙を流していた。

 本当は少しだけ怖かった。もし壬晴がオメガに敗北し、戻って来れなかったらと、そんな風に弱気になった時もある。

 それでも壬晴はこうして笑顔で戻って来てくれた。それが彼女にとって嬉しくてたまらなかった。

 

「フウラは私から女神の力を継承したよ」


 ルシアの声が聞こえ、そちらへと視線を動かす。

 運営幹部達に寄り添われ、白塗りの床に座る元女神の姿。顔に憔悴の色が仄かに残っている。その治癒上がりの優れない体をムツキとサツキに支えてもらい、ルシアはゆっくりと二人のもとに歩み寄った。


「女神の力……」


 そう呟いて、壬晴は巫雨蘭を見た。

 彼女は壬晴から腕を離すと、その視線から顔を逸らした。


「私はね、ルシアから女神の力を受け継いだの」

「……そうか、フウラが……だから、あの時……」


 『奇跡』を願う壬晴の心に、女神フウラは応えた。

 そして、二人の力で『奇跡』の力は現界を果たし、オメガと災厄を打ち破り、すべての因縁を断ち切った。どちらが欠けても成し得ることができなかったろう。あれは本当の意味で『奇跡』といえる。


「女神の力……フウラはそれでいいの?」


 壬晴は巫雨蘭に囁きかける。

 彼女の決意を聞いておく必要がある。望まむ力は不幸を生むだけ。この世界で壬晴達は嫌という程に味わったことだ。

 だからこそ巫雨蘭にはその是非を問わなければならない。誤ちを繰り返さないためにも。


「……ルシアはもう休ませてあげたい。それに私にはミハル、あなたがいるから大丈夫だよ。あなたは私の傍にいて支えてくれるから……何も怖くないし、どんなことだって乗り越えていける……そうでしょ?」


 巫雨蘭は眼を細めて笑う。

 彼女の想いを聞いた壬晴は頷いて笑顔を浮かべた。

 二人はルシアへと向き直り、伝えるべき言葉を彼女に贈る。


「ルシア……これからの世界のことは僕らに任せてほしい。キミは今までよく頑張った。もう休んでいいんだよ」

「普通の人として生きて、そして幸せになって……。そうじゃないと、みんなの頑張りが無駄になるよ」


 二人の言葉がどれだけ彼女の心を救っただろうか。

 ルシアはまた目尻に涙を浮かべ、迫り上がる嗚咽に肩を震わせた。


「……本当に、何度思い返しても私は女神に相応しくなかったね。ごめんなさい。こんな頼りなくて情けない私で……、それでも赦してくれてありがとう……」


 泣いて、笑って、生きて行く。

 これからの世界に、彼女が笑う風景がたくさんあることを願う。



 女神を継承した巫雨蘭はルシアから託された『新世界の鍵』を手に、祈りを捧げる。両手で鍵を包み込み、彼女が持つ女神の力を注ぎ込む。温かな光が満ち溢れ、祝福が舞い降りんと輝きが強まっていく。祈祷は長く、皆が巫雨蘭を見守っていた。


「その様子だともう大丈夫なのね」

「うん、もう心配はいらないよ。ありがとうミアハ」


 壬晴の隣には美愛羽が立っていた。いつものように腕を組んで悠然と構えている。今度はいつ会えるかわからない。少しでもいい、壬晴も美愛羽と話がしたかった。


「あなたを見付けたのはただの偶然だった」

「……うん、助けてくれたね」

「あなたは自分が厄介者だとか疫病神と思っていたかもしれないけど、私にとってあなたは当たりだったわ」


 美愛羽はそう言って、巫雨蘭を見遣った。祈祷はそろそろ終わりに向かっていた。


「あなたがこの景色を見せてくれた。私は満足してる」

「…………」

「賑やかで楽しかったわね」

「うん」

「終わっちゃうのね」

「……うん」

「少し、さみしいわね」

「うん……さみしいね」


 美愛羽は眼を閉じて、思い出を振り返った。


「また、会いましょう……必ず」

「必ずまた会えるよ」


 壬晴は笑って彼女の言葉に応えた。

 皆に見守られる中、女神の祈祷が終わりを迎える。


「…………」


 巫雨蘭の目の前に巨大な白い扉が現れていた。

 十二個の窪みに十二種の色彩の宝玉が埋め込まれ、それぞれが連なるように線を結んでいる。それは『生命の樹』の絵図に似ていた。我々の願いが宝玉となりて扉に納まっている。新たな世界を構築する源だ。

 白い扉の中央に小さな鍵穴が開いていた。巫雨蘭が持つ『新世界の鍵』がそこに嵌まるのだろう。


「…………」


 皆が息を呑み、その扉を見上げていた。呼吸を忘れてしまいそうになるほどに圧巻な偉容、瀟洒でありながら荘厳な気迫。言葉をなくすのも無理はない。この世ならざる神秘と対面しているのだから。


「……ミハル」


 誰もが黙する中、鍵を持つ巫雨蘭が振り返り、壬晴を見た。

 

「フウラ……」


 壬晴は彼女のもとに行き、その両肩に手を置いた。

 どうなるのかは誰にもわからない。十二人の願いの集大成が本当に誰もが望むものとなるのかも。そして、この世界で出逢った我々がまた新しい世界で再会できるのか。それさえも。

 それでも––––。


「世界が生まれ変わったとしても、必ず僕がキミに会いに行く」

「…………うん」

「だから安心して僕らの世界を、想いが帰るべき場所に行こう」


 壬晴は彼女の背中を優しく押し、扉の前に進ませた。

 彼女を皆が見守っている。

 

「……私は願う––––新たな世界を」


 女神の鍵から一筋の光の道が伸びる。それは扉を開かせ、我々を温かく眩い光の中へと誘った。

 眼が覚めたら、きっと世界は新しく生まれ変わっているだろう。

 偽物でも破滅を迎えた世界でもない。

 誰もが生きていける世界として。

 壬晴が願う優しい人が泣かなくていい世界……そして、今度こそルシアが心から笑える風景があると切に願おう。

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