第17話
017
ニールゲ渓谷を抜けた俺たちは、魔術都市エリュシオンへ辿り着いた。ここは、青い水晶と白い建物で彩られた、この世界の中でも指折りの幻想的な街。
ここには、魔術学院が聳え立っている。住民も生徒と教授と研究員、そして魔女という徹底ぶり。優秀な魔術スキルを持って生まれた人間は、この場所で学ぶことが最大の誉れと言われているのだ。
「一つ、気になったのですが」
「ん?」
人の姿を見かけるようになり、ようやく落ち着いたので俺は渓谷での話の続きを口にした。
「なぜ、魔王は地上にダンジョンを作ったのでしょうか。人間という悪魔にとって共通の敵がいるのに、魔界に魔王を討とうとする存在がいる理由が疑問なのですが」
「それは――」
「……シロウさん」
突然、モモコが消えそうな声で呟いた。道中、ずっと黙っていたのだが、とうとう堪え切れなくなったのだろう。目には涙を滲ませているが、シロウさんは彼女の頭を撫でなかった。
「やっぱり、俺を殺したいか?」
そんな、真っ直ぐに聞かないであげてください。
彼女は、あなたのことが好きなんですよ。
「……少し、一人になりたいです」
そう言って、モモコはエリュシオンの雑踏に消えていった。彼女の背中には、ただならぬ葛藤と哀愁が漂っている。両親の仇である悪魔が、自分の尊敬する、そして恋する男だったのだ。
彼女の気持ちなど、きっとこの世界の誰にも理解出来ないだろう。
「戻ってくるっすかね」
「分からない。でも、後でこっちから迎えに行ってあげよう」
「俺が行く」
シロウさんは、低い声で言った。
「あいつが悩み終わった頃に、俺が探しに行くよ。モモコとは、必ず決着をつけなきゃいけないと思ってたんだ」
「つっても、シロウさんってハーフなんすよね? なら、別によくないっすか? まぁ、僕は例え純粋な悪魔だったとしてもシロウさんのこと好きっすけど」
アオヤは、やっぱりいつも通りのアオヤだった。世界の敵である悪魔に対してもこのマイペースを発揮するとは、本当にいい性格をしていると思う。
とっくに、きみは特別だと思うよ。
「どうかな」
「ふぅん。まぁ、僕はどうでもいいっす。あいつが考えてる間、飯でも食ってましょうよ」
「あぁ」
しばらくして、シロウさんはモモコを捜しに行った。残された俺とアオヤは、宿に戻ってベッドに寝転がり天井を見上げている。すっかり俺たちの同部屋が定番になってしまったが、アオヤのわがままは少し嬉しかったりする。
「気になるっすね」
「なんだ、ちゃんと心配してるじゃん」
「キータさんがソワソワしてんのが移ったんすよ」
「それは、申し訳ないことをした」
ということで、俺たちは二人を探しに行くことにした。あの二人が話すとすれば、一体どんな場所だろう。曲がりなりにも女の子のモモコは、それなりにロマンティックな舞台で慰めてもらいたがるのかもしれない。
俺たちは、少し離れた砂浜の方までやってきた。悩んだら海に来るというのは、昔からのお決まりのシチュエーションだもんな。
「シロウさん。私と、戦って下さい」
……どういう話の流れだったのかはまったく分からないが、モモコは臨戦態勢でシロウさんと対峙していた。
この展開は、ちょっと予想出来なかったな。
「キータさん、なんでモモコは武器持ってんすか? 声聞こえます?」
俺は、アオヤに説明して少し離れた場所にある木陰に隠れ二人を見ることにした。このまま出ていっても、絶対に邪魔になるに決まってるからな。
「私は、どんな理由であれ悪魔を許せません。このパーティに参加した理由だって、悪魔を皆殺しにするからです」
「そうだな」
「だから、例えシロウさんでも同じことです。あなたを許してしまったら、私の想いに迷いが生まれる。優しい悪魔がいるだなんて考えたら、もうイカれていられないから……っ」
震える涙声で呟くモモコ。その声の小ささでは、シロウさんにもハッキリ聞こえていないんじゃないかと思った。
「俺が勝ったらどうするんだ?」
「……あなたが決めることです」
「なら、これまで通り一緒に旅を続けてくれ。俺には、モモコが必要だ」
……そのセリフ、他意が無いのは分かってますがズルいですよ。
「最初に言ったハズだ、気に食わなければ後ろから焼き殺せばいいと。だが、モモコはそうしなかった。それだけで、俺は満足してるんだ」
「……っ」
「お前の気持ちは分かるよ。だから、望み通り戦うんだ」
「分かるワケないでしょ!?」
桃色の髪が逆立ち、全身にオーラのようなモノを纏う。これは、彼女のスキルによる本来の効果を才能によって逸脱した力そのモノ。制御しきれない破壊力が、勢い余って溢れてしまっているのだ。
「シロウさんは悪魔なんだよ!? 人間の気持ちなんて分かるワケがない!! 分かってたら、人に言われたからって理由だけで勇者になるワケがないよッ!! 自分から望まなければ立ち向かえるワケがないんだよッッ!!」
その通りだ。
シロウさんは、人間じゃない。人をやめたのではなく、人では無かった。イカれるイカれないではなく、最初から俺たちとは考え方が違った唯一の生き物なのだ。
……でもね、モモコ。
「来い」
もう半分は、確かに人間なんだよ。
「ああああああああッッ!!」
炎が放たれた。
周囲の空気ごと焼き尽くす、彼女のスキル"フレア"は破壊力だけでSティアに分類されたスキルの常識から外れた最強の攻撃の一つ。それを、本来ならば赤い炎が彼女の才能によって桃色に変質させた特別な代物だ。
悪魔への憎しみが込められた、破壊を超える力"フレア・ネクス"。彼女の全力のスキルが、シロウさん目掛けて一直線に飛来した――。
「フン……ッ!!」
目の前にまで迫った瞬間、シロウさんはガードの無い無骨で一直線のグレートソードを背中からの抜刀と同時に振り下ろし、火の粉すら散らさず一刀両断にフレアを斬り裂いた。
「そうか、退魔の力だ」
半球となったフレアが、シロウさんを挟み通り過ぎると背後の海へ叩き込まれる。着弾した爆炎は、風になるほどの衝撃を伴って水柱を作り上げ、更に海水を蒸発させて生まれた水蒸気が辺りを包む。
瞬間的に作り上げられた塩の結晶と水の粒が、夕日に照らされてキラキラと輝く。その中で涙するモモコを、シロウさんはただ静かに見つめていた。
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