第5話 あやめと兄
「やめて!」
遠くからあやめの声が聞こえてきた。
先ほどまで笑っていたように見えたが、今の声は明らかに拒絶の声だった。
状況は分からないが、放っておけない。
俺はすぐにあやめのところに向かった。
「あやめ!」
「お兄ちゃん!?」
「お‥‥お兄さん!?‥‥し‥‥失礼しました~!」
あやめがこちらに気付くと、男の方も驚いたようで、あっさりと逃げてしまった。
「なんでお兄ちゃんがこんなところに!?」
それはこちらのセリフなんだが‥‥
そこに後から追いかけてきたエミが息を切らしながら声をかける。
「はぁ‥‥はぁ‥‥高橋君‥‥あやめちゃんは大丈夫?」
「エミさんまで!?」
あやめが混乱しているようだ。
なにやら「お兄ちゃんとエミさん」という言葉を繰り返している。
そして、自分の中で何かの結論に至ったのか‥‥
「あ‥‥お‥‥お邪魔しちゃったよ~!」と叫びながら逃げようとしたので、すぐに捕まえる。
「あやめ、ちょっと待て、誤解がありそうなのと、お前の話も聞かせなさい」
多分変な誤解をしていそうなあやめに、優しく、それでいて有無を言わせない笑顔で語りかけた。
☆☆☆☆☆
「なーんだ~ご飯食べに来ただけだったんだね~ てっきり‥‥」
「てっきり?」
「お兄ちゃんとエミさんがお付き合いしてるのかと思っちゃったよ~」
やっぱり誤解してたか‥‥
こんな場所でこんな時間に会えば誤解されても仕方ないんだが。
チラっとエミの方をみると顔を真っ赤にして黙っている。
(怒らせたかな‥‥)
ここはしっかり誤解を解いておかないとエミも気を悪くするだろう。
「言っておくが、あやめが勘違いするような関係じゃない」
「え〜? 違うの? この前は家にも遊びに来てくれたのに?」
「断じて違う! それはお前が料理を教えて欲しいって言ったからだろ? エミにも迷惑がかかるから勘違いするんじゃない」
これだけハッキリ言っておけば、エミも許してくれるだろう。
もう一度エミを見てみると、赤く見えた顔は普通‥‥いや、ちょっと負のオーラを感じる気もするが、怒ってはいないように見えた。
「べつに迷惑とかじゃ‥‥」
エミがなにかブツブツ言っていたが、怒っていない事を祈ろう。
それよりも、もっと気になることがある。
「あやめ」
「はいぃ!」
そんなに強く言ったつもりはないが、あやめはぴーんと背筋を伸ばし、こちらを向いた。
別に怒るつもりは無いから、そんなに緊張しなくてもいいんだが。
まぁいい、とりあえず状況を聞いてみよう。
「なんで、あんな場所にいたんだ?」
「えーっとね~お店探し‥‥かな?」
よくよく事情を聞いてみると、さっきの男の子は同級生の友達らしい。
カフェ巡りが好きらしくて、色々とお店を開拓するのが趣味だとか。
「で、あのあたりにすっごく美味しい店があるって聞いたらしくて、一緒に行く事になったんだよ~」
なるほど。
なんでも特製ローストチキンが美味しいお店らしいが‥‥ん?
「それって私達が行ってたお店の事かな?」
「多分そうだな」
更に詳しく聞くと、お店を探して近辺をウロウロしたけど見つからず。
あやめも疲れてきたと思い、また今度にするかの相談をしたらしい。
すると急に黙って、しばらくしてから「疲れたならホテルで休憩しよう」と誘われたそうだ。
そこからは俺たちが丁度見ていた状況という事だな。
「まぁ‥‥若いから仕方ないか‥‥」
家族のひいき目を差し引いても、あやめは可愛いと思う。
そんな女の子とホテル街をウロウロしていれば、魔が差すのも頷ける。
多分、本人なりの葛藤もあって、勇気を出して声をかけたのかもしれない。
すぐに逃げたところを見ると、計画的では無く、突発的なのだと感じる。
本人も引け目も感じていたのだろう。
その男の子にはなんとなく同情を感じてしまうが、妹を渡したくないという気持ちもあり複雑だ。
うん、ダメ。やっぱりあやめは渡さない。
「あやめも、あんまりほいほいついていくんじゃないぞ?」
「え〜! ほいほいついていってないよ~!」
あやめがブーブー文句を言っているが無視だ。
事情は分かったが、危機感が足りていなかったあやめも悪い。
自分が男からどう見られるか、もう少し理解するように話をするべきなのだろうか。
☆☆☆☆☆
「じゃあ、また明日ね!」
とりあえず、状況も把握して落ち着いたので、エミとは駅で別れて、あやめと家路につく。
そして、二人で歩いていると‥‥
「お兄ちゃん」
「ん?なんだ?」
「ありがとね‥‥やっぱり同級生って言っても、急に人が変わったように見えたから怖かったんだ‥‥」
急に男に迫られたんだから、怖くて当然か。
「いや、ただの偶然だよ」
「そうかな~?」
なんの疑問だ?
俺が不思議そうにしてると
「お兄ちゃんってピンチの時は大体助けてくれるんだよね」
「そうなのか?」
「そうだよ~」
あやめは楽しそうにそう言った。
わざわざ理由を聞くのもなんとなく野暮な気がして、そのまま聞き流した。
その後はたわいもない話をしながら歩いていると、ふとあやめが話を切り出した。
「エミさんってほんとに素敵だよね~ 美人だしスタイルもよくて、料理まで出来るんだもん」
「ああ、そうだな」
それは間違いない。エミは社内でも聖女と呼ばれるほど慈愛に満ちた女性だ。
その上、あの容姿で料理もできるとか、お嫁さんにしたいランキングがあれば社内で1位になるのではないだろうか。
そんな事を考えていると、あやめから質問がとんできた。
「ねえお兄ちゃん、エミさんのこと、どう思う?」
俺は少し驚いて、何を答えればいいのか一瞬考え込んだ。
「えっと、エミか? いい子だよ。 優しくて、誰とでもすぐに打ち解けられるし、仕事もできる。 なんで?」
あやめは少しニヤニヤしながらこちらを見ている。 彼女はどうやらもっと面白い反応を期待しているようだ。
「うん、だってエミさん、お兄ちゃんのことをすごく尊敬してるって言ってたよ。 それにいつもお兄ちゃんの話をするとき、目がキラキラしてるんだもん」
その言葉に、俺は思わず顔が熱くなるのを感じた。
しかし、あやめの顔を見ると、少しいたずらっぽい笑い方に見えた。
ああ、いつものやつか。
「ウソかよ‥‥」
「うん!」
あやめは満面の笑みで答える。
昔からあやめは、こうやって俺をからかうことがあった。
もちろん、表情を見ればすぐに分かるようなからかい方なので、本人もすぐにバレる事を前提としてからかっているようだが。
「いつまでも大人をからかうんじゃありません」
そういって、俺はあやめの額にベシッとデコピンをお見舞いした。
「いたっ! もぅ~冗談だよ~」
あやめはおでこをさすりながら、笑っている。
そして、少し優しい笑顔になってこちらを見た。
「でもね、尊敬しているって言ってたのはホントだよ!」
嘘をついている時の表情では無い、いつもの笑顔だ。
その言葉に少し嬉しくなっている自分がいる。
そして、あやめは続けて質問をしてきた。
「ねえ、もしかしてエミさんのこと、好きとか‥」
俺は改めて驚き、思わず大きく手を振って否定する。
「いや、それはないない! ただの同僚だよ!」
あやめはクスクスと笑いながら、俺の動揺を面白がっている。
更に追い討ちをかけるように話を続けた。
「ホントかなぁ~ 最初の時も顔が赤くなってたし、今も動揺しすぎだよ~ それに、お兄ちゃんがエミさんの話をする時、凄く楽しそうに見えるんだけどなぁ」
確かにエミは仕事の面でもお世話になっているし、性格も好ましいと思っている。
好きか嫌いかと問われれば、そういう気持ちが無いわけでは無い。
ただ、俺ではエミに釣り合わない。
今でこそ、それなりに仕事が出来るように見られているが、入社当初はひどいものだった。
書類作成時のミスは多く、クライアントとのアポを忘れたり、依頼されていた作業が抜けていたり‥
エミがサポートに入ってくれていなければ、今でもまともな結果を出していない可能性がある。
そんな俺を見かねた美香さんが、同期のエミをサポートとして配置してくれた事で、少しずつ成績を伸ばすことが出来た。
つまり、エミは俺の情けない新人時代をずっと隣で見てきているのだ。
さっきあやめから聞いた、尊敬していると言われていたというのも、多分社交辞令だろう。
流石に実の妹に向かって「お兄さんダメダメですね」とは言わないだろうし。
ましてや、エミは優しいから、他人を否定したりしない。
いつまでもエミのサポートに頼り切りの状況で、とても尊敬してもらえるとは思えない。
「俺にはもったいない女性だよ」
兄の威厳を保つという意味でも、あやめに伝えられるのはそれくらいだ。
流石にあやめに弱いところは見せたくない。
「え〜絶対お似合いだと思うんだけどなぁ。 一度告白してみたら?」
「ばっ! そ‥そんな事出来るわけないだろ!」
「なんで?」
あやめが心底不思議そうな顔で聞いてくる。
え?告白ってそんなに簡単にできるもん?俺がおかしいのか?
いやいや、玉砕覚悟で挑むにはリスクが高すぎる。
エミは社内でも、男から誘われたり、告白されたりする事が多々あると聞いた(なぎさ情報)
俺なんかが告白しても成功すると思えない。
それに仕事でずっとサポートしてもらってるんだから、ダメだった時の事を考えたら地獄だ。
「無理なものは無理」
「理由は?」
「だから無理だって」
俺が投げやりにそう言うとあやめが厳しい顔になった。
「そんなのやってみないと分からないじゃん!」
「なんであやめがそんなに怒ってるんだよ」
「怒ってるわけじゃ‥ないけど‥‥」
なぜか、あやめがぐぬぬと聞こえてきそうな表情でこちらを見ている。
そして、急に何か思いついたような表情になった。
「もしかして‥‥他に好きな人がいるの?」
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