第37話 精霊国と精霊の祝福(2)

 竜の眠る谷に、剣のぶつかる音が響き渡る。

 古竜はようやく体を起こしたものの、まだ地面にじっと座ったままだ。


 フィオナは、目の前で繰り広げられる、初めて見る戦いの場面に、目を大きく見開いていた。

 心臓がどきどきして、鼓動が早くなるが、目の前で展開される戦いから目を逸らすことができない。

 体が硬直して、かすかに震えているのが自分でもわかる。


 ユリウスは命令された通り、フィオナの前に立ち、離れる様子がない。

 ドレイクは大剣を軽々と振り回し、1人、また 1人と、黒衣の男達を薙ぎ倒していく。


 すごい力だ。

 どん、と鈍い音が響くと、ドレイクに打ち掛かった男達は左右に投げ出されていく。

 剣が鈍くなろうが、刃先がこぼれようが、ドレイクはお構いなしに、大剣を叩き込んでいき、男達はうめき声を上げて、倒れ込んでいく。

 骨をやられたのだろう、もう立ち上がることすらできない。


 フィオナはドレイクが実戦で戦っている姿を今まで見たことはない。

 ドレイクの体は俊敏で、その剣はとても重い。

 相手の体に大剣を叩き込み、たとえ防具を付けていたとしても、防具ごと吹き飛ばしている。

 その様子は落ち着いていて、危なげがない。


「フィオナ様、こちらへ」


 剣を持ったユリウスがフィオナを竜の背後へと誘導する。


「ドレイク様は大丈夫です。心配はなさらないように。あなたは竜の背後へ。恐ろしいでしょうから、目を閉じていても大丈夫ですよ。我々が必ずお守りします」


 フィオナが竜の体をしっかりと抱え、体を丸くすると、ユリウスは竜の前に立った。

 そこから動かず、ドレイクとアルファイドの剣から逃れてきた者達を着実に仕留めていた。


 アルファイドは、湾曲した不思議な形の剣を振り、ドレイクと背中を合わせるようにして戦っている。

 まるで舞踊を舞っているようにも見える、柔らかな剣筋だったが、その腕は確かなのだろう。

 確実に体の動きを止める箇所を狙い、敵を封じ込めていく。


 気がつけば、あれほど圧倒的な数を擁していた、アルワーンの元王太子の手勢は、すでに無く、青ざめた顔をした元王太子だけが、そこに立っていた。


 夕暮れが近づき、谷は影に包まれていく。


「兄上」


 アルファイドがそう呼びかけた時、元王太子はためらうことなく、アルファイドに斬りかかった。


 アルファイドは応戦したが、一瞬、反撃する手が遅れた。

 その一瞬の隙に、アルファイドの背後から、隠れていた最後の男が斬りかかったのだ。


「アルファイド!」


 ドレイクは素早かった。

 アルファイドの背後の男に体当たりをすると、男はそのまま吹き飛んでいった。

 しかし、元王太子が今度はドレイクに斬りかかっていった。


 ドレイクが防具を着けた腕で剣を弾いたが、湾曲した剣先がかすかに防具から外れ、血が飛んだ。


 その瞬間を、フィオナは、古竜の肩越しに見た。

 まるで血液が逆流するかのような感覚が湧き上がる。


「ドレイク!!」


 フィオナは軽々と古竜の体を飛び越える。


「フィオナ様!?」

 ユリウスの慌てたような声が聞こえたが、フィオナは止まらなかった。


 フィオナの右手が動いて、無意識に右の耳に触れる。

 耳に嵌め込まれた、小さな赤い宝石が光った。


(ドレイクを助けて!!)


 フィオナの声が聞こえたかのように、古竜がバサリと翼を広げ、宙に舞い上がった。


 次の瞬間、フィオナも素早い動きで、宙に飛び上がる。

 瞬時にウサギに変身すると、フィオナはドレイクを飛び越えて、元王太子の、剣を持つ右手に鋭く噛み付いた。


「うあぁっ!」

「フィオナ!?」


 剣を落とし、空中で振り回された手から飛ばされて、白いウサギの小さな体が宙を舞う。

 ドレイクの大きな体が、驚くほどの俊敏さを見せて、岩の上に落ちる前に、ウサギの体を両手でキャッチした。


 一方、古竜は翼を広げて、元王太子めがけて急降下した。

 ドレイクは素早く白ウサギを片腕で抱き込み、アルファイドも引っ掴んで、大きな岩の背後に押し込めた。


 竜の大きな翼が、周囲を薙ぎ払う。

 悲鳴が響いて、ようやく立ち上がろうとしていた黒衣の男達はもちろん、元王太子もまともに竜の翼を喰らって、強烈な力で、岩に叩きつけられる。

 彼らの手から離れた剣が、カランカランと金属的な音を立てて、岩の上を転がっていった。



 久しぶりに胸の中に収まった、柔らかくて、ふわふわした温かな存在。

 ドレイクはウサギの背中を撫で、ぴくぴくと動く耳にそっと自分の頬を押し当てた。


 無意識に、深い息を吐いた。


「……ずいぶん、カッコよく変身できるようになったんだな、ウサギ? 今、人間に戻ろうとするなよ? まずはお前の服を回収しよう」


 ドレイクがウサギを胴衣の中に入れて、地面にはらりと落ちているフィオナの服を拾おうとした時だった。


 赤い光が空中に集まり始め、まるで扉が開くように、そこから1人の女性が現れた。

 そして、女性はゆっくりと地上に降り立つと、あっけに取られた顔で見つめるドレイクとユリウス、そしてアルファイドに優しく微笑んだのだった。


 * * *


「我が子よ、人の国に介入はしないと言ったのに」


 まるで流れ落ちる水のような、美しい銀色の衣装を身に付け、この世離れした美しさの女性が、穏やかな表情で、ドレイクの胸の中に抱えられているウサギを見つめていた。


 女性がそっと指先をウサギに向けると、ウサギは金色の光に一瞬包まれ、次の瞬間には、同じように銀色の衣装を身につけたフィオナがドレイクの隣に立っていた。


「あなたが……」


 ドレイクが言うと、女性はうなづいた。


「わたくしが、精霊国の女王、モルガンだ。オークランド国王、ドレイクよ」


 ドレイクとフィオナの後ろに、大きな体をしているのに、まるで音を立てずに、そっと近寄って来ていた古竜も頭を下げていた。


「アトラス。再び会えて、これほど嬉しいことはない」


 女王が優しく、竜の背中を撫でてやった。


(王女殿下の祝福を受け、再び目覚めることができました。これからは、フィオナ様にお仕えする所存です)


 古竜の生真面目な言葉に、精霊女王は優雅にうなづいた。

 精霊女王は次に、ドレイクに向き合った。


「人の子よ、そなたの国に我が加護を与えよう。ただし、フィオナを生涯かけて守ると誓え。そうすれば、我が子をそなたに預けよう」


 ドレイクの顔が輝いた。


「この身にかけて」


 その時、ドレイクとフィオナの頭上に、強い風が巻き起こった。


「アルディオン!」


 ドレイクが頭上を見上げる。

 1頭の黒竜が旋回しながら降り立った。


(我が君)


 精霊女王が、黒竜の背中も撫でてやり、祝福を与える。

 そして。


「……アルワーン王国国王、アルファイドよ」


 精霊女王が呼びかけた。

 アルファイドがためらいがちに顔を上げた。


「納得したか? 精霊の国は存在する。精霊は存在する。精霊はこうして祝福を与え、生き物や自然は栄えるのだ」


 精霊女王は微笑んだ。


「……あとは、そなたの選択次第。自分が何を信じるか、自分で選ぶのだ」


 アルファイドは呆然として、言葉も出ない。

 そんなアルファイドの様子を一瞥すると、精霊女王はフィオナを抱きしめた。


「お母様……」


「我が子よ。わたくしはもう精霊国に戻る時間だ。そなたは、ここに残ることで、後悔はないか?」


 フィオナは隣に立つドレイクを見上げた。

 きゅっと表情を引き締め、うなづく。


「後悔はありません。お母様、ありがとうございました」


 精霊女王は微笑み、やがて、その体は光そのものとなって、消えていった。


 * * *


「ドレイク! ドレイク! ドレイク!!」


 フィオナはドレイクの胸に飛び込むと、気が済むまでドレイクの大きな体にかじりついた。

 そんなフィオナを、ドレイクは満足げに、その背中をぽんぽん、と叩いてやる。


「アルワーンでは、ひどい目に遭わなかったか? アルファイドは性格が悪いからな」

「やさしくしていただきました」

「何ィ!?」


 フィオナの爆弾発言に、ドレイクの眉間はピキィ! と音を立てそうなほど、深い溝が刻まれる。

 しかし、フィオナの笑顔は止まらない。


「でも、ドレイクがいいの。ドレイクは無口だけど、愛想もないけれど、でも、ドレイクがいい。ドレイクに会いたかった。ドレイクが1番」


 自分の名前を連発してかじりつくフィオナに、あっさりとドレイクは機嫌を直し、嬉しそうにフィオナを抱きしめた。


「……チョロいな」とアルファイドが呟き、ユリウスは黙ってうなづいた。


 ドレイクとフィオナは2人を見守るように座っている、2頭の竜を眺める。

 ほっそりとした、ドレイクの黒竜と、ガッチリとした体の、フィオナの古竜だ。


「ドレイク様、みんなでオークランドに帰りましょう?」


 フィオナがドレイクを見上げて言った。


 竜達も嬉しそうに声を上げて、頭を倒す。

 まるで、どうぞ背中に乗ってください、と言うかのように。


 フィオナは大喜びで古竜の背中に飛び乗る。

 とはいえ、精霊女王が着ていたような、薄いヒラヒラの衣装姿である。

 ユリウスが不安そうに、ドレイクを見た。


「あの格好で大丈夫でしょうか?」

「精霊王女だから大丈夫じゃないか? フィオナ、お前、何だか、背が高くなったな」

「確かに、少し、大人っぽくなられたようですね」


 ユリウスも同意する。

 フィオナは笑った。


「ドレイク様! 早く! あ、そうだ……」


 フィオナがふと、何かを思い出したかのように言った。


「わたしはウサギじゃなかったんですね?」


 その言葉を聞いてドレイクはがっくりとした。


「……そこか?」


 ドレイクは並んで立っているユリウスとアルファイドを見た。


「そんなわけで、俺とフィオナは竜に乗って帰る。ユリウス、お前はアルファイドを手伝ってやれ。その辺に転がっている奴らをまとめるのに、人手がいるだろう」


 ドレイクはアルファイドの肩をぽん、と叩いた。


「ユリウスは貸してやるが、用が済んだら、オークランドまで責任を持って返してくれ」


 そう言うと、黒竜の背に飛び乗った。

 2頭の竜は、お互いに仲間ができて嬉しい、とでも言うかのように、キュイ、キュイ、と高らかに鳴いて、翼を広げた。


 ほんの数歩、助走したかと思うと、一気に空へと上昇する。

 あっという間に、2頭の竜の姿は見えなくなった。


 * * *


 ウサギに変身する、白い髪にピンク色の瞳の少女、フィオナ。

 彼女は、ウサギではなく、精霊国の王女だった。

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