第6話 ウサギの愛の告白(1)

「エマ、昨日は、ドレイク様は来なかったね」


 エマはウサギ部屋の小さなテーブルに、朝の熱いお茶とマフィンを用意して、少女に朝食の世話をしてやりながら、はっと息を呑んだ。


 昨日は、少女は昼寝から目覚めた後、夕方まで、エマが用意した絵本を眺めたりして、大人しく過ごした。

 エマが少しずつ文字を教えてやっているのだ。


 夜は晩ごはんを部屋で食べた後、しばらくは眠らずにドレイクを待っていたが、やがて自然に眠りに落ちてしまっていた。


 少女の言う通り、確かにドレイクは少女に会いに来なかったのである。


「ドレイク様は国王ですし、いつもお忙しいのですよ。お仕事の後も、騎士団の訓練に参加したり、翼竜のお世話をされたりで、眠る時間の直前まで、何かされていることが多いのです」


 少女はしょぼん、と朝ごはんのテーブルを眺めていた。

 今朝は、少女は淡いグリーンのドレスを着て、長い髪には、同じ色のリボンを付けてもらっていた。

 こうしていると、普通に、「人間の」令嬢にしか見えない。


「……ドレイク様は、朝ごはんはどこで食べるの?」


 少女の言葉に、エマは困ったような顔をしたが、すぐ微笑んだ。

「食堂ですよ。居間の隣のお部屋です」


 それを聞いた瞬間、もう止める間もなかった。

 少女は跳ねるようにテーブルから離れると、あっという間に、本当にウサギの姿に変身して、ウサギ部屋を飛び出して行ったのだった。


(早っ! さすが、ウサギ……!)

 エマは目を丸くして、白ウサギの後ろ姿を眺めた。

 そしてはっとする。


「大変!! ブランケットをお持ちしなければ。ドレイク様がーー!!」


 * * *


「ドレイク様!! 申し訳ありません!」


 どんどん、と何かがドアに体当たりするかのような音と、侍女のエマの必死な声に、ユリウスは急いで食堂のドアを開けた。


 すると、次の瞬間、ドレイクの視界に、白くてふわふわしたものが飛び込んできた。


「ウサギか!? こら、何をしている」


 白ウサギは食堂のテーブルに着いているドレイクを見つけると、一目散にドレイクの胸に飛び込んだ。


 次の瞬間、白ウサギは少女の姿に変わってしまう。


「うわぁぁぁぁっ!!」

「ドレイク様! 会いたかったです!」


 動揺するドレイクに構わず、ウサギは服を着ていない少女姿のまま、ドレイクの膝の上に座り、はしっとドレイクの首に両手を回していた。ぎゅうぎゅう、と案外強い力で頭をドレイクの顎に押し付けてくる。


 ようやく追いついたエマが、ばふっ! と少女の頭の上からブランケットを被せた。


「……落ち着け」


 ドレイクはため息をつくと、この大騒ぎで少女が万が一でもケガをしないように、テーブルの上のコーヒーや食べ物の載った皿を遠ざけた。

 そろそろ、と右手を伸ばすと、ブランケットの中から顔を出した少女の頭をぽんぽん、と叩いてみる。


 少女はふんふん、と鼻を鳴らしていたが、ようやく落ち着いたようで、顔をドレイクの胸から離し、ふわりと微笑んだ。


「…………」


 思わず、可愛いな、と思ってしまったドレイクは、少女を隣の椅子に座らせると、言った。


「ウサギ、お前も朝食を食べるか?」


 そして少女が返事をする前に、皿からリンゴを一切れ取ると、少女の口に入れてやった。

 反射的に、もぐもぐとリンゴを食べる少女。


 犬や猫でも、一緒に過ごせば愛着も湧くだろう。

 ドレイクは28歳にして独身だが、既婚者の騎士などに聞くと、子供が生まれたりすると、それはそれは可愛いらしい。


 勇猛果敢な騎士が、男か女かもわからないような赤ん坊を抱えて、目尻を下げているのなど、普通だ。

 娘が年頃にでもなったら、もう大変なことになる。


「うちの娘にちょっかいを出すような男は、容赦しない」と豪語している騎士を、ドレイクは何人も知っていた。

 そう言って、ニヤニヤしながら、自慢の剣の手入れをしているのだ。

 たとえまだ赤ん坊だろうが、こいつの娘のそばには決して近寄るまい、とドレイクは思った。


 それはともかく。


 ウサギは何をしても、ニコニコと楽しそうにしている。

 そして、ドレイクが問うと、「ドレイク様と一緒なら、何をしても楽しい」と言う。


「犬や猫も可愛いらしいし、子供も可愛いと言うな。そうか、ウサギが可愛く見えてきたのも……」

「ドレイク様、それはどこか違うと思いますが」


 心の声が漏れていたようだ。

 背後からひんやりとした声がして、ドレイクはぎょっとして肩を震わせた。


「ユリウス、お前、いたのか」


 ドレイクの言葉を聞いて、ユリウスはむっとした。


「ええ。朝はいつも陛下とご一緒してコーヒーを頂いております。透明人間になった覚えはございませんが、お嬢様のためにドアを開けたのも私でしたけどね。ともかく。お嬢様は犬や猫でも、あなたの子供でもありません。そうそうたる令嬢方が着飾ってあなたの前にやってきても、一切興味を示さなかったあなたが、お嬢様を可愛い、と口走るのは、危ないですね……。やはり少女好み……」


「やめろ」


 ドレイクはため息をついた。


「それにしても、何でこんな無愛想なあなたのことが大好きなんでしょうね? お嬢様、どこが良いんですか?」


 ユリウスの一言に、ドレイクはコーヒーに伸ばした手が震えて、カップを掴み損ねてしまった。


「どこが?」


 少女はドレイクの膝の上に座ったまま、ブランケットの中からきょとんとした顔で、ユリウスを見た。

 そして、ぱっとドレイクの膝から降りると、ユリウスの前に立った。


「そうです。意味はわかりますか? なんでドレイク様のことがそんなに好きなのですか?」


「……はい! よく聞いてくださいました。仔細漏らさずご説明します!」

 なぜか満足の表情で、ミノムシのような姿の少女は、ユリウスを捕まえると、話し始めたのだった。


 * * *


「……初めてドレイク様に会ったのは、わたしがまだ子供の時でした。ウサギ姿で畑をうろうろして、お腹が空いたのでニンジンを食べようとしたら、そこに3人の男の子と、とても優しそうなご婦人がいて」


「それは皆で王妃様の畑に行った時のですね。実は私もその場にいたのですよ」

 ユリウスがうなづいた。


「はい、銀髪の男の子もいたのを覚えています! でも、その子はわたしを蹴ろうとしたんですよ。ドレイク様が止めてくださいましたけれど。ドレイク様は、とても優しいのです。わたしを抱っこして、そっと撫でてくださって。不安だったわたしの気持ちがとても楽になったのです!」


 なんと、ヤブ蛇だった。そのエピソードには覚えがある。

 少女の話を聞いて、ユリウスは苦笑した。


「……驚いたな。失礼しました。確かに、私はウサギを蹴ろうとしましたね。結構、乱暴な子供だったんですよ」


「今もだろう」

 そう言ったドレイクの言葉は、黙殺された。


 「時効にして差し上げます」

 そう言うと、少女は笑った。


「わたしはずっと、その時の黒髪の男の子が忘れられなくて、もう1度会いたいと思っていたのです。それから、また同じ畑に行ってみたのですが、途中でタカに襲われそうになって、足をケガしていた時、またドレイク様に会えたのです。あの時の男の子だとすぐわかりました……!」


 少女はとても嬉しかったのか、ピンク色の瞳をキラキラさせながら言った。

 一方、ユリウスは驚いた顔が隠せない。


「ドレイク様が、白い野ウサギを連れて帰ってきたことがありました。じゃあ、あれもあなただったのですか。びっくりだな……。ドレイク様はずいぶん、ウサギに縁があるな、とは思っていたのですが。どれも同じウサギだったのですね」


 ユリウスは少女の肩越しに、関心がないふりをして、黙々と朝食を食べ進めているドレイクをチラリと見た。


「失礼ですが、よくドレイク様だとわかりましたね。人間の男性はたくさんいるでしょう?」


 少女は柔らかく微笑んだ。


「ええ。でも、野ウサギに優しくする男性は、そうそうたくさんはいません。それに、人って、思っている以上に、動物への触り方が違うんですよ。あんなに、優しく、思いやり深く触れてくれる人はいませんでした。目を閉じていても、あの手の感触で、それがドレイク様だと、わたしはわかると思います」


「……」

 ユリウスは黙って少女の話に耳を傾けた。


「悲しみ……思いやり、労り。あんなに体が大きくて、がっしりとしていても、どんなに無表情でも、ドレイク様の優しさは、彼の手に表れているんです……ドレイク様が厳しいとしたら、それには必ず理由があるのです! わたしは、ドレイク様が大好きです!!」


 少女ははっきりとした声で宣言した。

 ぐほっ、とコーヒーを喉に詰まらせた声がした。

 真っ赤な顔をして、ドレイクがたまらず立ち上がる。


「……はっ! つい、俺まで聞き入ってしまった! 途中で止めようと思ったのに! ユリウス、今聞いたことは忘れろ!! ウサギ、これ以上しゃべったら、お仕置きするぞ! ウサギ鍋行きだ!!」


(ぴきいっ!! ウサギ鍋!?)


 ミノムシ状態の少女がドレイクを見つめたまま、ぴたりと動きを止めた。

 顔色がどんどん悪くなる様子に、ユリウスが慌てて叫んだ。


「ドレイク様! 冗談でもよしてください。お嬢様が硬直しています!」


 そして動揺したせいか、次の瞬間、少女が白ウサギに変身してしまう。

 ばさっと床にブランケットが落ちる。


「ウサギ!?」

「うわーー!! お嬢様!!」


 ぴょんぴょんと脱走するウサギ。

 ウサギは慌てたあまり、方向感覚を失い、外廊下に続くドアに体当たりをした。

 どんどん、という音に驚いた警護の騎士がドアを開けると、その足元を素早く潜り抜ける。

 廊下で使用人達がぎょっとした目で、豪華な絨毯の上を疾走していくウサギを見つめていた。


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