第3部 式典の先
ジィが 住処に して いると いう 王宮に 招かれて、アルバイトは 彼女との 結婚式に 参加させられた。観客は 一人も いなかったし、特別な 装いも 一切 成されなかった。王宮の 内部に 教会が あり、そこで 儀式が 行われた。とは いっても、何だか よく 分からない 石像の 前で キスを 交わしただけだ。周囲には 火が 灯った 蝋燭が 立ち並び、その 明かりが 自分達を 包み込んで いた。
「これで、契約完了です」キスの あとで、ジィが 言った。
アルバイトは 何も 言えない。半分ほど 考えるのを やめて いた。
「今後とも よろしく」そう 言って、ジィが また 笑った。
彼女の 笑顔を 見て、アルバイトは、そうか、これが 自分が 追い求めて いた 世界だったのだなと 思い立った。十年前、詩人に なる ことを 夢見たのも、すべて この 瞬間の ためだったのだ。彼女と 結ばれる 運命だった。そうだったのか、自分の 人生も あながち 捨てた ものでは なかった、毎日 アルバイトと して 働いて いたのも、今日 この ときに 救われる ための 前段階だったのだろう、と 考えた。
王宮の 中には、ほかに 誰の 姿も 見えなかった。その ことに ついて 尋ねると、ジィは もともと そうだと 言った。
「これまで、私一人で ここを 管理して きました」彼女は 話す。「王宮だけで なく、私は この 王国全土を 管理する 立場に あります。だから、貴方の ような 相手が 必要でした。私一人では 心細かったので」
「僕は 何を すれば いい?」
「私の 傍に いて くれれば、それだけで」ジィは 今は 無表情だった。
「僕が 詩人で ある 必要は?」
「私の ために、詩を 作って もらおうと 思ったのです」
「詩が 好きなの?」
「ええ」
今の 自分に 果たして 詩が 書けるだろうかと、アルバイトは 思った。かつて 書いて いた ことは 確かだが、それも 人の 見様見真似で、自分自身の スタイルと いう ものを 確立できた わけでは ない。
「毎日、楽しく 過ごしましょう」ジィが 言った。「私達が そう すれば、きっと 王国も 平和に なる はずです」
「今は 平和じゃ ないの?」
「平和ですが、その 平和を 維持する ためにも」
王宮の 中を 二人で 進む。建物の 構造は シックな 城の ようで、全部で 七階建てだと ジィは 言った。これだけ 広大な 建物なのに、使って いるのは 彼女一人だけだ。だから、ときどき 衣食を 行う 部屋を 変えるらしかった。今は 三階の 西側の 一画に ある 部屋を 使って いると いう。
アルバイトは、好きな 部屋を 使う ように 言われた。好きなと 言われても、人様の 住居の 部屋を 使うと いうのは、少し 妙な 感じだった。どの 部屋も 豪勢な 意匠が 施されて いて、とても 自分に マッチするとは 思えない。全部の 部屋を 見て 回るのは 大変だから、とりあえず、彼は ジィが 使って いるのと 対称の 位置に ある 部屋を 使う ことに した。三階の 東側の 一画。ドアを 開けると、奥の 方に 大きな 窓が あるのが 見える。時間の 関係上、今は 陽光は 直接 入って きては いなかった。
部屋は 居住スペースと なる 一室と、少し 大きめの 書斎の 二つから 成る。書斎には 窓が なく、冷たい 空気が 充満して いた。
居住スペースに 戻って、窓の 前に ある 大きな 机の 前で 腰を 下ろす。どう いう わけか、机の 上には 洋紙と 万年筆が すでに 用意されて いた。これで 詩を 書けと いう ことだろうか。
アルバイトは、すでに この 世界で 一生を 生きて いく 心持ちに なって いた。妻を 得、住処を 得、何一つと して 不自由の なさそうな この 環境を、自分に とっての 一つの 到達点と 定めた。
机の 上に ある 洋紙を 開いて、早速 詩の 執筆に 取りかかる。
気分が 高揚して いる せいか、万年筆を 握った 途端に 次から 次へと フレーズが 浮かび上がって きた。数々の 情景が 頭の 中に ポップアップし、映像が 展開される。これが 自分に 秘められた 能力で、これこそ 自分の やるべき ことなのだと、そう 告げられて いる ように 感じた。
背後で ドアが ノックされる。
返事を すると、ジィが 姿を 現した。
彼女は 着替えた ようで、今は 紺色の ローブの ような ものを 纏って いた。部屋着だろうか。
「お気に 召しましたか?」後ろ手に ドアを 閉めて、彼女が 言った。
「まあ……」アルバイトは 答える。「まだ、慣れないけど」
ジィは 無言で こちらに 近づき、その まま アルバイトの 背後に 腕を 回した。彼は 言葉を 失う。洗った あとの 服の 匂いと、彼女の 髪の 香りが した。
「何?」
「なんでも ありません」ジィは 言った。「しかし、永遠の 愛を 誓った 相手ですから」
耳を 澄ませれば、彼女の 吐息と 鼓動が 聞こえる。
アルバイトは、自らに 予定されて いた 幸福を 噛み締めた。
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