3-1

「あ……」

「……こんにちは、古賀先輩」

 クリスマスが終わると、街の空気は一気に年越しへと変わっていく。

 昨日まで飾られていたクリスマスリースやツリーはすでに見る影もなく、紅白飾りや門松がチラホラと視界に入る。

 そしてそれは和花の家でも同じで、クリスマスに続いて正月用品の買い出しを頼まれた和花は、それらを買い揃えた帰り道、偶然にも秋那と出会った。

(えっと……)

 正直に言って、気まずい。

 真宙のことはもちろんそうだが、出会ってからまだまともな話をしていないのだ。

 和花が秋那について知っている情報なんて、桜良の妹であるということだけだ。友達と呼ぶには関係が浅すぎるため、面と向かってなにを話していいのかわからない。本来ならこのまま一言だけ挨拶をして別れればいいのかもしれないが、それをするには二人の関係は少しだけ複雑だった。

 訊きたいことはある。

 桜良のこと。桜良との姉妹関係。真宙のこと。

 そして、秋那自身の目的。

 だがそれを突っ込んで訊くには、和花には勇気が足りなかった。

「古賀先輩」

「え、あ、はいっ」

 突然に名前を呼ばれて返事をする。その、年下で友人の妹にするような返事でないことに若干の情けなさを覚えた。

「今、お忙しいですか?」

 秋那は和花の手にしていたエコバッグへと視線を向けて問う。

 中には当然、頼まれた正月用品が入っているが、買い物自体はもう終わっている。

「ううん、大丈夫。もう帰るところだったから。どうかした?」

「少し先輩とお話がしたいと思っていて。良かったら、少しお時間もらえませんか?」

「う、うん。いいけど」

 いきなりの、しかも予想もしていなかった秋那の言葉に身構える。和花と秋那の共通点なんて、真宙と桜良のことしかない。だからきっと秋那の話もそういった内容であることは想像できるが、

(でも、それがちょっと怖いんだよなぁ……)

「本当ですか? ありがとうございます。じゃあ……ちょっとついてきてもらっていいですか?」

 半身を翻しながら言う秋那に頷いてみせると、秋那はそのまま歩き出した。小走りで追いつき和花が秋那の隣に並ぶと、ふわりと甘い香りが漂った。

「……」

「……」

 秋那は真っ直ぐに前を見て、隣に並ぶ和花へは視線を向けない。和花もチラチラと様子を窺うが、なんとも話しかけにくい雰囲気で口を開くことが出来なかった。

(見た目は本当に桜良ちゃんにそっくりだけど、雰囲気は少し違うんだな。この香水の香りとか……。確か、チョコレートコスモス……だったっけ?)

 顔も背格好もそっくりな秋那の隣を歩くと、本当に桜良と一緒に歩いているように錯覚する。しかし桜良が和花の隣を歩くとき、彼女はこんな無表情ではなかったし、話が尽きて無言になることなんてなかったし、なにより鼻腔をくすぐる人工的な甘い香りはしなかった。

 だからどうしても変な違和感を覚えてしまって妙に落ち着かない。

 それからも無言で歩くこと十分ほど。秋那に連れてこられたのはとある喫茶店だった。

「ここ……」

 この喫茶店は知っている。

 というよりも。

「知ってるんですか?」

「うん。……桜良ちゃんと、何回か来たことがあるよ」

 桜良がお気に入りだった喫茶店。ただの友人である自分が何度か連れてきてもらったことがあるくらいだ。当然、妹の秋那ならこの喫茶店のことも知っているだろう。

「……どうせなら、少しお茶でもしながら話しませんか?」

 緊張こそしているが、特別、断る理由なんてない。むしろ、話の内容が和花の想像通りなら、誰かにあまり聞かれたくはない話なのも事実だ。

「先輩なら知ってると思いますけど、ここは隠れ家的な名店なので。あまり聞かれたくない話をするには丁度いいんですよね」

 それだけ告げて秋那は店内に入った。和花もその後を追う。

 秋那は慣れた様子で初老のマスターに声をかけ、一番隅っこで目立たない席を指定するとそこへ向かった。

「とりあえず、なにか頼みましょう」

 席に着くと秋那はメニュー表に視線を落とす。そしてすぐになにやら難しい顔をした。

 やっと崩れた秋那の表情を思わず見ていると、その視線に気づいた秋那が顔を上げる。

「なんですか?」

「あ、ううん。そういえば出会ってからずっと真面目な顔してたから。そういう顔初めて見たなって」

「そういう? あたし変な顔してましたか?」

「ううん、そうじゃないの。ごめんね、こっちこそ変なこと言って」

 確かに失礼だったかもしれないと、和花は一言謝ってからメニュー表に視線を向ける。とは言っても、何度か来たことがあるためにだいたいのメニューは知っているし、自分のお気に入りもある。特に新作のメニューなどもなさそうなのですぐに顔を上げた。

「……」

 チラリと秋那の顔を見ると、再び視線を下に向けていた秋那はついさっきと同じように難しい顔をする。

(また見てたら怒られちゃうかな)

 そう思い秋那ら店内へ視線を向けると、タイミングよくマスターと視線が交錯する。マスターはそれを「注文」と受け取ったらしく、カウンターから出てこちらへ歩いてくる。

 しまった、と思ったが静かな店内で大声を出して否定するのも気が引けてまごついているうちにマスターが注文を訊きに和花たちのテーブルの前に立った。

「あ、秋那ちゃん、決まった?」

「……あの、ダメ元で訊くのですが…………昨日まで出していたクリスマスの限定ケーキって、今日はもう……?」

 クリスマスの限定ケーキ。そんなものがあったなんて知らなかった。

 でも今日は十二月二十六日。限定と謳っているだけあって、翌日とはいえさすがに今日はもうないのではないだろうか。

 そしてそんな和花の予想は的中したようで、マスターは申し訳なさそうに秋那に謝罪をしていた。

「あ、いえ……。昨日食べなかったあたしが悪いので……。じゃあ、ショートケーキと紅茶を……。古賀先輩は?」

「あ、私も同じものを」

 注文を告げるとマスターはテーブルを離れ、そして秋那は目に見えてしょんぼりと肩を落としていた。

「……ええと、大丈夫、秋那ちゃん?」

「…………はい。大丈夫です。すみません…………」

 その様子はまったく大丈夫なようには見えない。よほど限定ケーキが食べたかったのだろう。そう思うとなんだか急に年相応な女の子に見えて微笑ましい気持ちになった。

 だがいつまでもそんな光景を眺めているわけにもいかない。先程までと比べて明らかに接しやすさを(勝手に)感じたまま和花は口を開く。

「それで、話ってなにかな?」

「……古賀先輩は、お姉ちゃんと仲が良かったんですか?」

 和花と秋那の接点。それは考えるまでもなく桜良の存在しかない。なので秋那から話があると言われた時点で、その内容は桜良と、もしくは真宙を含めた話であることは簡単に予想できていた。

 だから和花も特に驚いたりすることもなく答える。

「うん……。私と桜良ちゃん、飯塚くん。それに……粕谷くんの四人は中学時代からの付き合いで仲良かったと思う」

 クラスという集団になれば、気の合う人間、合わない人間というものが出てくる。そして気の合う人間同士は自然とグループを結成し、共に時間を過ごしていく。

 真宙、桜良、御調、そして和花。

 この四人は性格も嗜好も性別も違うのに、中学で初めて出会って話をしたときから気が合った。どうして、なんてことはわからない。ただお互いに一緒にいて心地よく、楽しいと感じ、それが当たり前になった。

 学校からの下校も、行事も、休日に遊びに行くときも、多くの時間を四人は共有した。それが当たり前みたいに、当然であるかのように、離れることなど考える隙さえないくらいに。

 だから真宙と桜良が付き合い出したのも必然だったのかもしれないし、それで四人の関係が壊れることがなかったのも当然だったのかもしれない。

「…………」

 思い返せばとても楽しかった日常。

 そして、もう二度と帰ってこない日常。

「……っ」

 目と鼻の奥に痛みを感じた。一瞬、視界が滲み、それを隠すように和花は俯いて目頭を拭う。

 マズイ、と思ったときにはもう遅かった。このままでは泣いてしまう。桜良の好きだったお店の中で、桜良の妹の前で、泣いてしまう。

「――お待たせいたしました」

 グッと涙を堪えたのと同時に、マスターがテーブルの横に立った。

 そして和花と秋那の前に注文した紅茶とケーキを置く。視界の外で秋那がマスターにお礼を言ったのが聞こえ、その隙に和花はもう一度、目頭を拭って、堪えて、顔を上げた。

 目の前には紅茶とショートケーキ。以前、桜良と来たときにも食べたお馴染みのメニューが並んでいた。

「ごゆっくり」

 淡々とそう告げて、マスターはカウンターへと戻る。

「……。美味しそうだねっ」

 気持ちを振り払うようにあえて明るく言った。

「美味しいですよ、紅茶もケーキも。って、先輩も来たことあるから知ってますよね」

 待ちきれないと秋那の顔には書いてあった。

 クリスマスの限定ケーキが食べられないとわかったときは生気の抜けたような顔をしていたのに、普通のショートケーキを目にした瞬間、子供のような無邪気な笑顔を見せる。

 そしてその笑顔は、和花もよく見知った表情にそっくりだった。

 フォークでケーキの端を切り分け、それを口に運ぶ秋那に視線を向ける。

 秋那は和花の視線には気づかずに、一口食べ味を堪能し、

「ん~! やっぱり美味しいなぁ!」

「ケーキ好きなんだ?」

「はいっ。甘いものは好きですね。ここにもよくお姉ちゃんとケーキを食べに来ました」

「桜良ちゃんも甘いもの大好きだったなぁ」

 この喫茶店を最初に紹介してくれたときのことを思い出した。

 無邪気な笑顔でケーキと紅茶を口にし、この世界での幸福を一身に受けているような笑顔をする。その面影が目の前の秋那と重なる。

「……本当に、桜良ちゃんに似てるね」

「よく言われます。ありがとうございます」

 和花は紅茶に手を伸ばしながら返す。

「お姉さんに似てるって言われて秋那ちゃんは嬉しいんだね。嫌だって子も結構いるからさ」

「そうですね。でもあたしはとても嬉しいですよ。だってお姉ちゃんは凄いですから!」

 秋那は次に紅茶で口を潤し、続ける。

「まず、お姉ちゃんは内面が完璧でしたよね。誰にでも優しくて、中でも親しい人たちには特に優しくて。困っている人は絶対に放っておかないし、泣いている人には真っ先に手を差し伸べる。自分のことより他の誰かのことをまず考えているような人で」

「うん、そうだね」

 秋那の言葉で思い出したのは、中学で初めて桜良に話しかけられたときのこと。

 クラスに知り合いなんていなくて、引っ込み思案で自分から話しかけることが苦手で、自分の席でポツンと空気のように座って震えていた自分。

 そんな和花に初めて話しかけて、友達になってくれたのが、桜良だった。

「そして次に顔が良い! 優しく聖母のような眼差しを初めとして、均整のとれた完璧な目鼻立ち。健康的でいて、でも透き通るような白い肌。長い濡羽色の髪には天使の輪が浮かんでいて……いえ、お姉ちゃんがすでに天使でしたね!」

「う、うん。濡羽色なんて、良く知ってるね、秋那ちゃん……」

 感傷に浸っていた和花だが、なんだか秋那の様子がおかしくなってきてそんな雰囲気でもなくなっていた。これが一昨日「自分は死神だ」などと怖いことを言っていた少女には見えない。

 秋那はあれだけ喜んでいた紅茶とケーキを口にすることも忘れ、続けていく。

「スタイルも完璧でした。出るところは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる。でも決して下品ではなく、年相応な健康的な美でした! 脚もスラっと長くてまるでモデルのようで……。なぜお姉ちゃんがファッション誌のモデルじゃないのか不思議なくらい」

「あ、秋那ちゃん? 秋那ちゃーん?」

「声も良かったんです! ゆったりと落ち着きのある声色で、隣で目を瞑ればあまりのヒーリング効果で即寝落ちです。次の日を万全で迎えるために、あたしはお姉ちゃんの声を録音してそれを聴いて寝ていたくらいです!」

「秋那ちゃん、お姉ちゃんのこと……桜良ちゃんのこと、本当に大好きなんだね」

「それは! もちろんです!」

 和花の問いにテーブルから身を乗り出して秋那が答える。その衝撃に紅茶のカップが揺れ中身が零れそうになる。

「うわっと」

 それで秋那も我に返ったらしく、自分の体勢と今までの熱弁を思い出して顔を赤くしながら椅子に座りなおした。

「大丈夫?」

「はい、すみません。お姉ちゃんのことになると、つい……」

「本当に、大好きなんだね」

「……はい。お姉ちゃんは、あたしの理想なんです。歳は一つしか違わないはずなのに、まるで別世界の人間みたいで。あたしもお姉ちゃんみたいになりたくて、いろんなことを真似して。だから例え生まれ持った顔だけだったとしても、お姉ちゃんに似ていると言われるのはとても嬉しいんです。……憧れ、でしたから」

「憧れ、かぁ。……わかるよ、その気持ち。私も、桜良ちゃんに憧れてた」

 中学でできた最初の友達。桜良がいなかったら今も和花は一人だっただろう。真宙とも御調とも友達にはなっていなかった。

 人と人との仲を取り持ち、調和し、育てる。自分には決して出来ないことを当たり前のようにやってみせる。

 それが、中間桜良という人物だった。

 秋那は二つしか歳が違わないと言ったが、和花からすれば桜良は同い年の人間だ。同じ年に生まれたのにこの差はいったいなんなのかと、いつだって思っていた。

 なにも出来ない自分の姿を鏡で見て、そして思うのだ。桜良のようになりたいと。そして桜良に憧れた。

(……そんな桜良ちゃんだから、粕谷くんだって……)

 いつか追いつきたいと思っていた。でももう、彼女の隣に並ぶことは出来ない。

「ありがとうございます、先輩」

「え? なにが?」

「お姉ちゃんのこと。そんな風に想ってくれていて。先輩がお姉ちゃんにとってとても良い友達で良かったです」

「ううん、そんな。私こそ、ありがとうって気持ちだよ」

 本当に桜良には感謝している。でもだからこそ、その桜良がもういないなんて考えたくはないし、その事実がとても苦しい。

 気を抜くとまた泣いてしまいそうになる。和花は堪えるために紅茶を口へ運ぶ。

「でも意外だったな。そんな桜良ちゃんにこんな妹さんがいたなんて」

「おかしいですか?」

「おかしくなんてないけど、びっくりはしたかな」

「お姉ちゃんと似すぎていて?」

「それもあるけど、最初が最初だったから。桜良ちゃんそっくりの女の子がいきなり目の前に現れたかと思ったら、『自分は死神だ』なんて漫画みないなこと言い出して。ねぇ、どうしてあんなこと言ったの?」

 和花の質問に、秋那は紅茶に伸ばしかけていた手を膝の上に戻して言う。

「……連れて行かないといけないからです」

「連れていく……?」

 秋那のこれまでの言葉から連想すれば、その連れていく対象は真宙ということになるのだろうか。

 死神が人間を連れていく。それはその人間の魂を連れていくということだ。殺す、ということだ。

 もしも秋那が本当に死神だったとして。それなら彼女の言葉に一応の納得はいく。

 だが秋那は人間だ。死神なんてものじゃない。一番の友達の妹なのだから。

 じゃあ秋那の言葉の意味とはなんなのか。連れていくとは、どういうことなのか。

 秋那は真宙を連れて行こうとしているのか。どこへ? なんのために? 

 桜良だけでなく、真宙まで自分の前からいなくなってしまう。

 そういうことを、言っているのだろうか……?

(そんなの……)

「…………先輩。粕谷先輩は、お姉ちゃんがいなくなってからずっとあんな感じなんですか?」

 気になることはいくつもある。しかし真宙の名前を出されるとそれら全ての疑問が吹っ飛んだ。

 紅茶へ伸ばした手を、今度は和花が膝の上に落とす番だった。

「……うん、そうだね。……心配? 粕谷くんのこと」

「……あんな状態の人、誰だって心配くらいしますよ」

「……出会ったばかりなのに?」

 と、それを口にして和花はハッとした。

 その一言は完全に余計だった。出会ったばかりであろうが、長年の付き合いだろうが、人が人を心配するのには関係がない。

 ましてや真宙は秋那にとって姉の恋人だった男だ。心配する理由はそれで十分だと言える。

 和花のその言葉は真宙のことも秋那のことも考えていない。ただただ自分の気持ちを優先してしまったがための言葉だ。そんなことを口にしてしまった自分が嫌になる。きっと桜良なら、そんな言葉は発しなかっただろうと、そう思う。

 そして言葉の中に含まれる微妙なニュアンスを、秋那は敏感に感じ取った。

「古賀先輩って、粕谷先輩のこと……」

「……っ」

 誤魔化すべきだろうか。否定するべきだろうか。嘘を吐くべきだろうか。

 それらを口にするのは簡単だ。でもそれは同時に、自分の真宙への気持ちを偽るということだ。本心でない今だけのこととはいえ、それを口にするのは憚られた。

「……」

 結果、和花は俯き、場を沈黙が支配する。

(~~~っ。年下の子相手になにしてるんだ、私は……っ)

 初恋を経験したばかりの中学生ではないんだ。こんな反応、肯定しているのと一緒だ。それも、桜良の妹である秋那を相手に。そして秋那相手というのがなんとも気まずい。

「先輩」

 秋那の声がして和花はゆっくりと顔を上げる。するとそこには和花の目を真っ直ぐに見る秋那の姿がある。

「今日、先輩を誘ったのはこれを言うためだったんです」

「なに……?」

「先輩。あたしに、協力してもらえませんか?」

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