第18話 絶命する星鳴り
転ぶのはゆっくりで、痛みもまた緩い速度で身体に回っていった。
目の前に落ちているバトンを見て、だんだんと自分の状態に気付く。
歓声がわっと背中を押して、慌てて立ち上がるもバトンを掴んだ瞬間に力がふっと抜けていった。
全力とか、必死とか、一生懸命とか、暑苦しい単語が汗と一緒に流れ落ちていったみたいに気力がなくなって、ダラダラとゴールを目指した。頑張る意味とか、何かを目指す尊さとか、理解できる人間じゃないし。
バトンを渡して席に戻ると、クラスメイトが話しかけてきた。
「大丈夫!? 最後の方フラフラしてなかった!? 足首捻ったとかじゃない!?」
煩わしかった。
いっそのこと怒ってほしかった。この役立たず生きてる価値なんか一つもないゴミ屑同然の脳なしが今すぐ家に帰りやがれクソ。全部私の言葉だ。
この人たちはそんな言葉一つも使わない。順位を気にするよりも、私の安否を気にしてくれている。
だからこそ、浮き彫りになる。自分の不完全さが。
体育祭が終わって打ち上げに誘われたけど私は行かなかった。気にしないで! とも言われたけど、別にリレーで転んだから行かないわけじゃない。
頭が、ぼーっとするのだ。
消えたい、消したい。そういう思いに押し潰されそうになる。
あんなに頑張るって言ったリレーで転んだ。
お母さんに靴まで買ってもらって、みかんさんに選んでもらって。それでも私は期待に応えられなかった。なぜってそんなの、私が人より劣っているからだ。
家に帰って、
パソコンなんか落としたくなかった。でも、落ちてしまえとも思った。この手でパソコンを叩き落とす勇気はないけれど、うっかり滑り落ちてくれないかと思ったのだ。
パソコンは床に落ちて、そのまま階段を転がっていった。一回の廊下に着地すると、ガシャン! と音が鳴ってパソコンは破片を飛び散らせながら壊れた。
お母さんがすぐにやってきて、血相を変えて私を睨んだ。
「動かないで! 破片踏んだらどうするの!」
お母さんの怒号が、私は苦手で、いつもビクッとしていた。だけど、どうしてだろう、鼓膜に泥がへばりついたみたいに籠もって聞こえて、ぼーっとして、どうでもよかった。
その代わり、どこか、肩が軽くなった気さえした。
胡桃が帰ってきてから、お母さんと三人で外食へ行った。胡桃にパソコンのことを告げると、胡桃は驚いていたけど特に怒るようなことはなかった。
外食で食べたハンバーグは大好物なのに、何故か味がしなかった。苦味も甘みもない。食感だけが、舌の上で転がっている感じだ。
舌がヒリヒリして、本当の位置が分からなくなる。翌朝、起きると舌から血が出ていた。
ずっと噛みしめていたのだと思う。こんなこと、今まで一度もなかったのに。
翌日は振替休日なので、家でゆっくりすることにした。
ふと、配信のことを思い出す。でも、パソコンは壊れちゃったから、不意の事故で壊れちゃったから、もう配信はできない。
私は布団の中に頭を突っ込んだ。暗闇の先に見える、微かな光。
逃げ道だ。
そこにいけば、私は救われる。
一年前以上続けてきた毎日配信も、今日で途絶える。
なんだ、配信なんか、しなくていんだ。
配信しなければ、傷つくこともない。心穏やかに過ごせる。
その次の日の土曜日も、日曜日も、配信はしなかった。胡桃の話によると、データはUSBメモリに入っているし、2Dモーションは無理だけど、イラストを付けてだけの配信ならスマホでも出来るそうだ。
でも、やらなかった。スマホを窓から投げ捨てようかと思ったけど、それはなんとか踏みとどまった。
月曜日、学校に行くとみかんさんとバッタリ会った。席も隣同士だから、避けようがない。
「ね、ねぇ
おどおどとした様子で話しかけてくる。
「配信って」
「やめたよ」
「え?」
自分でも驚くほどの低い声だった。自分の喉に、禍々しいものが通ったような感覚がある。
「vtuberもうやめる」
悔しさなんて高尚なものじゃなかった。ただストレスを感じたくなくて、自分の感情を波立たせたくないだけで、平坦な日々を求めた結果がこれだった。
「あ、
クラスメイトが通り過ぎざまに挨拶をしてくるけど、無視を決め込んだ。
私は今までずっとそうだった。挨拶しようと脳みそをこねくりまわして、喉元に「おはよう」が出かかる頃にはもう誰もいない。いつも時間切れになって後悔して、自分が嫌になっていた。
でも、そもそも人と関わろうという前提がおかしかったのだ。
「さ、佐凪さん」
青ざめたみかんさんは、珍しく、言葉を探しているようだった。
「努力が報われないと人間ってやる気をなくすんだよ」
「で、でも、あたしは佐凪さんの……
もしかしたら、急に配信をしなくなったことから、薄々感づいていたのかもしれない。でも、それにしては察しがいい。いや、今はそんなことどうでもいい。
「重くって」
「え?」
「応援してくれるのは嬉しかったけど、重いんだ」
教室に静寂が訪れる。
違う、私たちの周りにだけ、空気が存在しないんだ。反響しない空間で、音は伝わらない。みかんさんは震えた声で「そっか」と言った。
「配信って、すっごく大変だよね! うん、自分の身体が一番だもん!」
太陽が滅びる瞬間も、こんな風に、光を放つのだろうか。
切なささえ覚えるその虚勢は、線香花火のように光って、落ちていく。
床に落ちた涙は、どっしりと、重みを帯びてシミを作る。
それからみかんさんは、学校に来なくなった。
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