第一章 マルイーズの穢れた聖女
プロローグ
主よ、今日もどこかで見ていますか?
昨日街角で投げ付けられた石は、私の頭に小さなたんこぶを作りました。でも、悪いことばかりではないのです。家に帰るとプラムが私の真似をして「痛いの痛いのとんでいけ!」と魔法を掛けてくれました。
プラムはもう三歳になります。
おしゃべりも上手で、小さなお姉さんみたいです。
主よ、まだ私を許してはいませんか?
私が裁けなかったあの黒い魔物のことを時々夢に見るのです。あれは悲しい目をしていました。情けを掛けて浄化に手間取った私が悪いことは理解しています。
だけど、どうか……
あの魔物にも穏やかな余生を与えてください──
「ママ!」
どすんっと身体の上に乗る愛娘の声で目が覚めた。
全開にされたカーテンから光が降り注ぐ。
「ママ、おきて!朝だよ!」
「プラム!ごめんなさい、寝坊しちゃったわ」
「わたしパンを食べるの。ママもパン?」
「そうねぇ、時間はあるかしら……」
壁に掛かった時計は八時を少し過ぎたところ。
今からパンを焼いてジャムを塗っている余裕は無さそうだ。こんがり焼けたトーストを噛み締める幸福感を頭から追い出して、私はベッドから飛び降りた。
「ごめんねプラム、ママ遅刻しちゃいそう。貴女のパンを用意するからおててを洗って待っててくれる?」
「わかった!プラムはミルクも運べるよ」
「お利口さんね。じゃあ、ママはパンを焼くわ」
栗色の毛を一度だけ撫でて、私は棚からパンの塊を取り出す。慎重にスライスしたつもりが、やや不恰好な姿になった厚めのパンをトースターに突っ込んだ。
その間にクローゼットまで掛けて行き、白いタイトなスカートと揃いの白のジャケットに着替える。鏡の前でくるっと舞うと、スカートの裾に泥が跳ねているのを見つけた。
(げげっ……洗濯で落ちなかったの?)
前回着たときのことを思い返しながらリビングに戻ると、プラムがせっせと冷蔵庫の前に自分の椅子を運んでいる。小さなアシスタントのために冷蔵庫の扉を開けてあげた。
「お利口さん、ミルクを探してる?」
「そうよ!ママもミルクは飲める?」
「ありがとう、いただくわね」
笑顔を返すとプラムの表情がパッと明るくなる。
もう少しパンが焼けるまで時間があることを確認して、洗面所に急足で向かい、軽く化粧を施した。私は聖女として人々の治癒や魔物、呪いの掛かった呪物の浄化をすることで生計を立てている。聖女なんて言ったら聞こえは良いけれど、収入には波があるし、安定した生活ではない。
三年前までは、自分がこんなその日暮らしの生活を送ることになるとは思っていもいなかった。
聖女の試験に合格して、国が認めた認定聖女になった私の未来は明るいものだった。たくさん活躍していつかは歴史に名を残すような聖女に成りたい、なんて思ったりして。
「ママー?」
台所からプラムの声が飛んできてハッとする。
慌てて食卓に着くと手を合わせた。
「「いただきます!!」」
はむっと小さな口がパンに齧り付くのを見てから私もミルクを喉に流し込んだ。もう残り少ないし、安く売ってくれるところを早く見つけないと。
パンも牛乳も安くはない。
だけど私は母親として、プラムを飢えさせるわけにはいかない。出来るだけ貧しさを感じさせないように、惨めな思いなどしないように、彼女を支える義務がある。
「おいしい?」
「うん!おいしいよ、ママ!」
返ってきた満点の笑顔にただただ頷いた。
弧を描く黄色い瞳にふっくらした頬。
「今日は早く帰れそう。一緒に晩御飯作ろうか?」
「やったー!早く迎えに来てね!」
「もちろん、約束よ」
小さな指に小指を絡めて約束を交わす。
仕事道具の入った鞄を引っ掴んで、見送ってくれるプラムを抱き締めると、すでに日が上った朝の街へ繰り出した。
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