第4話③

 美夜はいつもウィリアムに振り回されっぱなしだ。弱点の一つや二つ、聞き出しても罰は当たるまい。


 女将と男は顔を見合わせた。女将は頬をゆるめ、ニヤニヤとした顔で美夜を見る。


「もしかして、喧嘩中~?」

「喧嘩なんてしてない。そもそもそこまでの仲じゃないって」

「同棲してるくせに?」

「同棲じゃなくて居候。家が遠いから、妖怪ヒト捜しを手伝ってるあいだ世話になってるだけだって」


 余っている部屋の一つを借りているだけだ。食事の時以外はほとんど顔を合わせないから、同じ家に住んでいるという感覚もなかった。


 もう少し顔を合わせる時間があれば、十二単捜しに関して相談もできるのではないかと思う。早期解決に繋がるとおもうのだが、ウィリアムは忙しいのかなかなか部屋から出てこなかった。


 男が落ち着いた様子で酒を飲む。


「あやかしは縄張り意識が強い。自分の家に易々と誰かを入れることはない」

「ウィリアムは半分人間だからじゃないのか?」

「半分は人間だが、半分はあやかしだ」

「ふーん。そんなもんなのか。なら、早く出てってやらないとな……」


 美夜は残った酒を煽った。熱が喉を通り過ぎ、胃をじわりと温める。その感覚が癖になって美夜は女将に空のグラスを渡して「もう一杯」と言う。


「いける口じゃない。ミヤはウィル坊のことが嫌い?」

「嫌いだ。はっきりしないし、つかめない。あいつと話していると雲を掴んでいるような気分になる」


 時折、ウィリアムにとって十二単のオンナなんてどうでもいいのではないかと思うときがある。


 狐に化かされているような、そんな気分なのだ。吸血鬼も人を惑わせる趣味があるのかはわからないが。


「まあ、折角の縁だし、仲良くしてあげて。あの子はちょっと可哀想な子なの」

「馬鹿言え。あいつが可哀想だったら、世界中可哀想で溢れるだろ……」


 生きるのに困らないだけのお金。空に浮かぶ部屋。誰もが羨む容姿。持っていないものなんて一つもない。


 何一つ持たない美夜に比べたら、なんと幸運だろうか。


「あの子はいつも独りぼっちだから」


 女将の呟きに美夜は目を丸めた。


「他と違うモノははじき出される。それはどこの世界も同じであろう?」


 男の声が妙に鮮明に頭に響いた。


 他と違う。その言葉は美夜の心に重くのしかかる。


 ただ、少し違うだけだ。


 他人が見えないモノが見える。たったそれだけのことで、美夜は二十数年苦しんできた。みんなバケモノは見えないくせに、妙に勘が鋭い。自分たちとは違う生き物を嗅ぎわけ、はじき出すのだ。


「独りぼっちか……同じだな」


 美夜は呟いて、そのまま闇に落ちていった。それは沼の底に吸い込まれるような感覚だ。


 心地いいような、悪いような。浮いているような沈んでいっているような。頭のどこかは起きていて、女将と男の会話を理解しようとしている。


 しかし、音はわかるのに内容までは理解できない。


 こんな場所で寝てはいけないことはわかっている。


 朝、道路で目が覚めたりするのだろうか。昔話にあるように、起きたら店は消えているのかもしれない。



 ◇◆◇



 奇妙な揺れに胃の中が揺さぶられる。湧き上がる気持ち悪さに美夜は目を覚ました。


「オハヨウ。ミヤ」

「げ」


 闇夜に火の玉のような二つの瞳が揺れる。金の髪が揺れて、ウィリアムが嬉しそうに微笑んだ。


 反射的に逃げようとしてバランスが崩れる。


「おいっ!? 何がどうなって……」


 美夜は辺りを見回して、血の気が引いていくのがわかった。深夜の新宿で、ウィリアムに抱き上げられているのだから仕方ない。


「お、下ろせっ!」

「ミヤはワガママだな~」


 彼は美夜を地上に降ろす。ふらつく足で着地して、アスファルトの上に尻餅をついた。


「ほら~。酔っ払いは素直に抱き上げられてればよかったんじゃないカナ~?」

「断る。這ってでも自分で歩く」


 深夜ということもあって人通りは少ない。しかし、新宿の街を男に抱かれて歩くなんて屈辱は耐えられそうになかった。少なくとも、店からここまでの道のりをこの男の腕の中で過ごしたという事実が既に許されない。


 美夜は足に力を入れて立ち上がった。しかし、一歩踏み出したところでふらついてよろける。ウィリアムが支えてくれなければ、アスファルトに転がっていただろう。


「ほら、危ないヨ。家まで連れてってあげるって言ってるデショ」

「いやだ。何時間かかっても自分で歩く」

「も~。酔っ払いは面倒なんだから。なら、僕の腕に捕まって」


 腰を支えようとするウィリアムから離れようと逃げる。しかし、足がもつれて逆に彼に抱きつく形になった。


「……もう酒は飲まない」

「アハハ。それがいいネ。ママから連絡があったときはびっくりしたよ~」

「……ママ?」

「覚えてない? 五丁目の狸」


 次第に記憶が蘇る。顔まで毛むくじゃらの女将と爬虫類の尻尾を持った男。思い出すたびにズキズキと頭が痛んだ。これが二日酔いというやつだろうか。


「……いや、覚えてる」

「ミヤが部屋にいないなーと思ったら、黒猫ちゃんが玄関をカリカリしてるんだもん」


 そういえば途中で店を出されていたな、と美夜は記憶を辿る。この令和の時代に黒猫を使いにやるなど、さすがに原始的過ぎるのではないだろうか。


「電話とかで連絡取れないのかよ」

「妖怪の声は人間の作るもののせるのが大変なんだヨ」


 電話ができなくてもメールはできるだろ。と、言いかけて美夜は口を噤んだ。バケモノが平気でメールやSNSで連絡を取り合うような世界は、想像するとあまり楽しくはない。


 SNSで楽しく会話をしていた相手が実はあやかしだったなんて、酒の肴にしかできないではないか。


「まさか、ママのところで飲んでるなんてネ。ミヤは僕を驚かせる天才だヨ」

「あの黒猫にスマホを持って行かれた」

「ああ。ミヤに着いている僕の匂いに気づいたのかもネ」


 ウィリアムは美夜の頭に鼻を近づけた。


「げ。その匂いってなんだよ。バケモノは匂いで判断するのか?」

「なんだろうネ? まとう空気っていうのかな? あやかし同士はなんとなくわかるみたい」

「みたいって、おまえもあやかしだろ?」

「ん~。僕にはあんまりわからないんだよネ。いい匂いか、嫌な匂いか。それくらいカナ」

「吸血鬼の鼻が悪いのか?」

「いや、僕が混ざっているからかも」


 ウィリアムは軽い口調で言った。


『あの子はいつも独りぼっちだから』


 狸の女将の言葉を思い出す。ヘラヘラと笑っているが、誰にも理解できない悩みを抱えているのかもしれない。


「おまえも大変だな」

「んー?」


 ウィリアムが首を傾げる。


「いや、こっちの話。……おまえ、『ウィル坊』って呼ばれているんだな」

「わ! それ、ママが言ったの!? もうずっと昔の話だヨ!」

「へぇ。いいじゃん。ウィル坊」

「ダメ! ノー!」


 ウィリアムの真っ白な頬がみるみるうちに赤くなっていった。まるで朝焼けのように鮮やかに耳まで染まる。


 瞳が空の青を取り戻しても、彼の頬に浮かんだ朝焼けはなかなか消えなかった。

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