第3話①
金曜日の特性なのか、新宿の街は特に混んでいるように感じた。
午後七時。まだ夜が深まる時間ではなかったが、すでにできあがった酔っ払いが多い。
美夜とウィリアムは大きな声で楽しそうに話す男たちの前を歩いた。前にも人。後ろにも人。
人、人、人。
人の多さに息苦しさを感じる。
ほろ酔い気分で会話を楽しみながら歩いているのか、それとも二軒目を探しているのか、進みは遅い。
抜かそうにも狭い歩道には隙間がなかった。
「ミヤ、これからどうするんだい?」
「そうだな……。とりあえず、目撃情報を辿っていくか」
「OK。なんか刑事ドラマみたいでワクワクするネ」
「おまえの探しものなんだから、もっと真剣にやれ」
「怒らない怒らない。ミヤは本当に短気だから困っちゃうヨ。目撃情報が多かったのは、確か一番街?」
美夜はウィリアムの声に頷く。
ショウウィンドウには美夜一人の影が映し出され、ウィリアムの姿はない。あまり一人で喋り過ぎると不審がられるかと思ったが、みんな自分たちのことで精一杯のようだ。
上司の悪口を言い合いながら歩くサラリーマン。一軒目のデザートが気に食わなかった女子大生。みんなそれぞれ自分たちの会話に集中していて、美夜の独り言なんて気にしてはいない。
人の波に流されながら歩くこと十分。一番街の入り口に辿り着くころには、帰ることばかり考えていた。
「水曜にすりゃよかった」
「たいして変わらないヨ」
美夜は赤のネオンで彩られたアーチを見上げる。ウィリアムの瞳よりも明るい赤が点滅するアーチ向かってに、みんながスマートフォンを向けていた。
外国人観光客が多いせいか、日本語よりも外国語のほうが耳に入ってくる。何がそんなに楽しくてここの写真を撮るのかはわからない。しかし、昼も夜もひっきりなしに人が集まり、このアーチに向かって写真を撮っていた。
「こんなところに現れるなんて、十二単も意外とミーハーなんだな」
歌舞伎町一番街は、新宿歌舞伎町と言われて一番に思い浮かべそうな場所だ。
靖国通り沿いにある入り口の大きなアーチが妙な存在感を放っている。
承認欲求が強いのか、はたまたこの場所に思い入れがあるのか。それはあやかし本人に聞かないとわからない。
「目撃情報が多いのはここと花道通りなんだが……とりあえず、ここで待ってみるか」
「張り込みだネ!」
「変なところでワクワクするな」
「ミヤはワクワクしない? あんパン買おうか?」
「何だよ。あんパンって……」
「刑事ドラマ見ない? あんパンと牛乳で張り込みするんだヨ」
なぜあんパンと牛乳なのか。そんな疑問がよぎったが、質問を返したら長い話に付き合わされそうだ。
「さあな。テレビなんてあんま見なかったし」
「オーノー! 人生損してるヨ! 明日ミヤの部屋におっきいテレビ入れてあげる」
「そりゃどうも」
美夜は苦笑混じりで礼を言うと、一番街の入り口にあるカフェに入る。
すぐに店員が「いらっしゃいませ」と大きな声で美夜とウィリアムを出迎えてくれた。
安いアイスコーヒーをクレジットカードで買い、三階の窓際のカウンター席を陣取る。一番街のアーチを見下ろすことのできる特等席だ。
隣にウィリアムが隣に腰掛けた。
後ろでは大学生のカップルが指先を絡めながら愛を語り合っている。そんな甘い雰囲気を出す横で、ネズミ講の勧誘が始まった。雑音の中からうまい話と甘い言葉が混ざって流れてくる。
どこにいても耳にするような流行のBGM。
薄いノートパソコンを開いて必死に仕事をするサラリーマン。ずっとつまらなさそうにスマートフォンをいじる女。
誰もが美夜には無関心だ。だから、つい言葉が口から出た。
「なあ、ウィリアムはどうして昼間だけ人間なんだ?」
アイスコーヒーの中の氷が溶けて、カラリと音が鳴った。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「まったく」
「たいした話じゃないヨ。母親が吸血鬼で父親が人間だったってだけさ」
「へぇ」
聞いておきながら、美夜は適当な相槌を打った。それが凄いことなのか、よくあることなのか美夜は知らない。話を広げようにも広げられそうになかった。
「血が半分ずつだと昼と夜で別れるんだな」
「正確には夜になるとあやかしの血が濃くなるんだヨ」
「ふーん」
「聞いておいて興味なさそうにするのはやめてヨ」
「仕方ないだろ。それ以上の感想が思いつかん」
どうして昼と夜で変わるのか、その理由が知りたかっただけだ。そして、納得のいく理由を聞けたら満足してしまった。
「もう少し興味を持ってくれてもいいデショ。かりにも相棒だよ!?」
「『仮』だからな。そこまで気にならないだろ?」
「僕は気になるけどネ? ミヤがどんな男なのか」
「俺はたいして面白くない」
美夜は苦笑をもらし、ストローをくるくると回した。カラカラと氷同士がぶつかり合う音に、つい何度も回してしまう。
コップについた水滴が美夜の手を濡らした。
人に語れるような面白い人生は歩んで来ていない。人の顔色を伺って、目立たないように影に隠れて生きてきた。
「ミヤは自分が嫌い?」
「ああ。嫌いだ。もし他人だったら殴ってるかもな」
ストローを回す速度が速くなる。狭いコップの中で回り続けるコップをジッと見つめた。
美夜の二十三年という人生は、この氷のようであったと思う。前に進んでいると思って必死に走り続けてきた。けれど、立ち止まって見てみれば、何も変わってはいなかったのだ。
同じ場所をぐるぐると、進んだ気になって走っていただけ。
もし、殴れるのであればもっと早くに殴りたかった。現実を見ろと。必死に走る美夜を周りはこんな風に見ていたのだろうか。
美夜は氷から目を背け、一番街のアーチを見下ろした。
入り口付近にできる人溜まり。写真を撮るために立ち止まるせいだろう。人を避けた先に現れる人。それを避けながらも酔っ払いは二軒目を求めて前に進む。
午後八時を目前にして、人が増えてきた。一番街のアーチの下は歌舞伎町を出る人と、入る人が入り乱れる。
冷房の効いた室内で高みの見物をしていると、神にでもなった気分になるようだ。
美夜はコップを傾けてアイスコーヒーを飲む。口に入ってきた氷を奥歯で噛み砕いた。
もう一口とコップを傾けた瞬間、美夜は目を見開いた。
「いたっ!」
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