第11話 辛い過去

 話し終わりにちょうど担任の宮崎先生が長い髪を靡かせながら入ってくる。先生は、いつものように紺のスーツをビシッと決めていて、生真面目さを引き立たせていた。そのため、注意される前に綾音ちゃんは急いで席に戻った。

 六時間目は道徳の時間だ。他の教科と比べると楽な感じもするけど、たまにグループワークとか強制的な発言を求められるから、地味に面倒くさい。


「では授業を始めます」


 先生は、キリッとした瞳をいつもより鋭く、口調もどこか固くて重い雰囲気を漂わせていて、すごく嫌な予感がした。

教科書を開く前にプリントが配られて、チラッと一番上のタイトル部分を見た。


「いじめについてか……」


的中させてしまった。預言者か未来予知者かな、なんてふざけたことを考えないと、精神を落ち着けられそうになかった。


「今回はいじめについてです」


 その簡潔な言葉から授業の中身へと入っていた。まずは、どんないじめがあるとかその理由について例を出しながら先生が説明していく。わかりやすく皆で無視することや物を隠すといったものだけでなく、あだ名で呼ぶことやからかうこともいじめになると。そして、そのことについてどう思うか手を挙げさせて聞いていった。上がらなければ、ランダムに指していき、発表することになった子は、言い淀みながらなんとか答えていた。運良く私の名前を告げられることはなかったけれど、発表はなくともプリントに書く欄があったので、そこに当たり障りない感想を書いた。


「どんな些細なことでも当人がいじめだと感じればいじめになります。では次に教科書102ページを開いてください」


 その次に教科書に書かれているストーリーを席順に一人一人丸読みで繋いで読んでいくことに。物語は、ある女の子がリーダー格の女子に嫌われて、周りの子を巻き込んで、無視をしたり物を隠したり、聞こえる声で悪口を言ったりする。その状況を見ている主人公は、どうすればよいかというシンプルなもの。私はその主人公に自分を重ねた。


「このような時は、雰囲気に流されず加担してはいけません」


 私の二つ前の席の子が読み上げる。思い出す、教室の中で髪の毛を引っ張られている青葉さんの周りに何人もの子がいて、笑っていた。


「そして、それを見たら先生に報告しましょう。先生は誰が言ったかを公言せず、守ってくれます」


 次の男の子がゆっくりと棒読みで読んだ。あの時、暴力を振るわれている彼女を室内だけでなく、廊下で、遠巻きに見ている子も沢山いた。

 そして私の番に回ってくる。それはあまり読みたくない文章だった。


「最後に、可能ならば勇気を持って手を差し伸ばして上げましょう」


 私の読み上げる声はまるで別人みたいだった。偽物の声と言葉。 

 否応なしに記憶は這い出す。傍観者と参加者の群れから、無抵抗に耐え忍んでいる青葉さんに差し伸ばしたあの瞬間。


「あたしに関わらないでよ! 余計なことしないで!」


 私は彼女の鋭い視線と拒絶的な言葉をぶつけられ、手をはたき落とされた。

 だから、今の私には人を助けるなんて大それたこと、出来っこなくて。

 だってあの行動が正しかったのか今でもわからないから。でも多分、間違いだったんだ。あの日からずっと後悔し続けている。


「では次に、教科書のことを踏まえて、二人組みを作って話し合ってみましょう」


 朗読が終わると、次はいじめる側にならず、見たら助けるにはどうしたらよいか、話し合うことに。席を自由に動いて良いこととなり、私の隣の席が空いたので、綾音ちゃんが来てくれた。 


「今日は中々重いテーマね」

「そう……だね」


 綾音ちゃんにはまだ話せていなかった。結構暗い話だから、言うタイミングとかないし、空気を悪くしてしまうから。それに、思い出してそのことを語るのも負担があって。でもそうやって色々理由を並べるけど、結局一番は綾音ちゃんに拒絶されることが怖いからだ。きっと受け入れてくれると思うのだけど、もしものことがあれば私は立ち直れなくなってしまう。


「お互いの意見をプリントに書き込まないといけないのよね」


 プリントの一番下に二つ大きな空欄があって、そこを最終的な自分の意見と相手の意見で埋めないといけない。


「うーん、自分の意見かぁ」


 過去のことばかに処理に追われて意見にまで意識が回らない。


「これって言葉にすれば簡単だけれど本当にその状況になったら、流されそうになったり、標的にされるのが怖くて助けに入れなかったりしそうだなと思ったわ。現実的には、なんとか加害者側にならないようにして、先生にそのことを伝えるというのが出来そう。だから、自分が出来そうなことをしっかりと想像しておくことが大切なんじゃないかしら」


 綾音ちゃんは、自身の意見をつっかえることもなくサラッと言ってのける。その言語化能力が羨ましい。


「私は……私は」


 一つの明確な答えは持っていて、それを実践したこともある。でもそれを言葉にするのは躊躇われた。


「あはは、全然思いつかないや」

「意外。勇花なら、即答で助けに行くって言うと思っていたわ」

「へ? いやいや、私そういうタイプに見える?」


 聞き返すと、何かを探るように無言でじっと見つめてきた。


「まぁ、なんとなくそう思ったの」

「そ、そっか」


 言い当てられて血が元の場所に引っ込みそうになった。もしかしてだけど、あのことを知っているのかも。


「そろそろ、話し合いを終えて書いてくださいねー!」


 浮かんだ疑念を精査する前に、先生の呼びかけで意識が目の前の紙に浮上した。


「やばっどうしよう」


 何か言わないと綾音ちゃんに迷惑がかかってしまう。別の解を必死に脳内に探す。


「ねぇ勇花。これに書いたからって、やらなきゃいけないってわけじゃないんだから、難しく考えずぱっと思いついたことを言えばいいと思うわ」


 思考に溺れていた私に助け舟が出され、助かろうと何も考えず乗る。


「なら、いじめられている人がいたなら見ないふりをせず手を伸ばす。って感じかな」


 なんとか意見を伝えられ、私と綾音ちゃんはそれぞれ書いていった。

 元の席に戻るよう先生に指示され綾音ちゃんはプリントを持って自分の席に。


「ではプリントを回収するので後ろから回してください」


 埋め終わったプリントを前の席の子に渡す。全員が回し終え先生が回収する。


「これで授業を終わります」

「起立、礼!」


今日日直の男子が号令をして、全員でありがとうございましたと言い、授業が終わった。


「……はぁ」


 精神の疲労が強く、また席に座ると疲れがどっと押し寄せてくる。

 いつまで悩み続けるんだろうか。出口は未だに見つからず永遠とも思える暗闇の中を彷徨っている。

 それは逃れられない苦しみで。だから、私は目を逸らすために妄想をした。

 この気持ちから開放されて青葉さんや水無月くん、綾音ちゃん、それだけじゃない色々な人と一緒にいる光景を。

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