06.09. 23:21:17
もう何もかもがどうでもよくなってしまいます。はなねです。
鬱状態に入りました。もうなにもかもどうでもいいや、って自暴自棄になっています。号泣しながら数日ぶりのシャワーを浴びてきました。今はアイス片手に文字を打っていますが、いつもは美味しいと感じるはずのアイスも美味しいと感じることができません。
鬱の原因は家庭問題と生理。主に家庭問題、進路のことや親のことです。
私は取りたい資格と就きたい職業のために四年制大学への進学を希望しています。就きたい職業というのは福祉職で、私自身が福祉に救われなかった人間だからこそ同じような・似たような立場の人間を支えたい、というちょっと壮大な志を持っています。
でも、現実はお金が全て。
「誰かのため」を実現するためにも、お金が必要です。その壁にぶち当たっています。
また、大学に進学するにあたって一人暮らしをしたい(県内では取りたい資格を取れる大学がないため)と考えていますが、親の意向は「県外の大学に行くなら一人暮らしの生活費は自分でなんとかしてね、親は援助しないからね」「でも自宅から通える大学に進学するなら生活費を捻出する必要はないけどね」という感じです。
おこです。げきおこ。
世間では「親の意見の方が当然・普通」とか「甘えるな」とかの意見がほとんどなんでしょうけど。こういう時、「昔はみんなこんなに苦労したんだ」「今の子どもは苦労を知らなすぎるんだ」なんて言う親や大人は、一体何を伝えたいのだろう。
確かに今の世の中は色々なものに溢れて豊かだし、日本は先進国で様々な分野の基準が高いから、そこで生まれ育った私は恵まれているのだろうけど。
だからといって、みんながみんな幸せなわけではないのです。
私の狭い見聞と学びから昔と今を比べて、変わらないものはもちろんあるけど、そうでないものもたくさんある。それが子どもに与える影響を、きっと親や大人たちは知らないのだろう。『大人たち』というと主語が大きいかな。一部の大人たちは、きっと知らない。
親が経験した苦労を子どもにも味わわせたいなんて考えなら、だいぶ性格悪いと思う。さすが私の親。もはや悪魔だね。
とはいえ、そんな皮肉や冗談で片付けられる感情ならとっくに乗り越えているというもの。だからこそ、言わずにはいられないのです。
なんで、子どもの学費も払えないのに子どもなんて産んだの?
この答えはわかっています。
以前もお話ししたように、我が家は寺。その歴史と伝統を継ぐ人間を必要としていたために、私たちは生まれました。でも、揃いも揃って生まれたのは全員女の子。僧侶となれる男の子は生まれませんでした。
でもねぇ、跡継ぎ問題とか「産み育ててくれた親への感謝はないのか!」どうこうの前に、責任の持てない命をふやすことの方が常識はずれだとは考えなかったのかな。自分たちの都合ばかり考えて、生まれた子どもたちの将来は考えなかったのかな。
私たちが男の子じゃなかったから、幼い頃に暴力をふるわれたのかな。あれは八つ当たりだったのかな。私が男の子だったら、親はもっと優しかったのかな。
もし私が男の子だったら、親はそれ以上子どもをつくろう産もうなんて考えず、妹は生まれず、私と姉のふたり姉弟だったのかな。そうしたら、姉はお金を稼ぐために高校生活も浪人生活もアルバイト三昧になることなく、勉強だけに専念できて、今ごろ大学生活を謳歌できていたのかな。
私が男の子だったら、跡継ぎなんて決まったようなものだから、一家も寺も安泰で、親族も檀家さんもみんな安心できたのかな。
私が男の子だったら。
なんて、自分の幸せを放棄するような考え方を、もう何度繰り返したのかわからない。「私が男の子だったら」以前に、私が生まれていなければ、こんな苦しみを味わうこともなく、不条理に打ちのめされることもなかったのだろうか。
つらくてしんどくて、もう消えてしまいたい。そう思うのに、重い志を持っているせいで死ねない。
私はどうすればいいんだろう。
もうわかんないや。
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