第8話:10体の異形たち
「「ぐおおオォおおオおおぉオぉおおオオアアああアアアアア――――!!」」
咆哮。
辰風の眼前で、身体が黒い外被へ変化を遂げていく10名の男たちは、苦しみ踠くように咆哮をした。辺りに木霊する咆哮は、どこか悲壮感を漂わせていた。
10名の男——いや、すでに10体の異形たちと表した方がしっくり来る外見だろうか。
パキパキという骨が砕けるような奇妙な音と共に、変化をしていく10名をもはや人間とは呼べない。10体分の咆哮は、地響きを起こすほどの共鳴を孕み、煙る砂埃の中心で、瞳だけが怪しく隙間から浮かんでいた。
「「グ…………おオおおオオアあアァァ…」」
人間とは似ても似つかない10体の重低音の唸り声が、幾重にも重なって響く。その内の1人が、失われていく理性の中で、瞳を困惑に濁らせて、こちらを見つめていた。
それはまるで救済を求めるような視線だった。そして黒い光沢を反射する腕を伸ばしながら、
「不死…身ノ……辰風……」
指先はすでに、鋭利な刃のように鋭く尖っている。辰風は、大剣の切先を向けて彼を見つめていた。
「た、助ケて……く…レ…ぇおオおぉォ…」
「…もう助からねぇさ」
辰風の言葉通り、その男もまた全身が黒い外被に包まれていくと低い唸り声を出すようになった。
「…助ケ…て…。……不死…身ノ…辰風……………殺ぉぉォお……ス…殺ス…」
「事前に、身体に鉄鋼黒蟻の一部を埋め込まれていたんだろう。それを解放して、身体を乗っ取った……って所だ。まるで、たちの悪い寄生虫だな」
辰風は、10名すべてが理性を失い、身体が変形したことを確認すると、大剣の柄を堅く握り直した。
彼らは、全身を覆うように、鎧のような黒い外被に包まれていた。
頭部には黒曜石にも似た黒光りの無骨な大きい角が
そして五指の爪は、鎌のように湾曲して分厚くて鋭い。人間1人を斬り裂くことも容易だろう。そう悟らずにはいられない、暴力的な風貌を人間と呼ぶには、あまりにも
それはまさに、異形である。
「「グぅウぅゥゥぅ…」」
10体の異形たちは、前傾姿勢のまま低い唸り声を漏らす。粘性のある涎を垂らして、隆起した額の影から一点に前方を睨んでいた。
そして再度、胸を大きく反らせて、息を吸い込んだ後、
「「おぉオオぉおおオあアアあああアああアアああアぁアアアあ————!!」」
まるで大地が揺れるほどの衝撃である。特徴的な黒い
「…はっ。下腹まで響いてやがる」
劈くような咆哮に、瞬間的に苦虫を噛んだような表情を見せるが視線を外すことは無い。前傾姿勢を続ける10体の異形たちの下腹部に、力が込められて行くことを見逃さなかった。それはまるで大地を大きく蹴って、一気に辰風へ飛び込もうとするかのようである。
辰風は、直に迫り来る脅威を予感して、再度大剣の柄を握り直す。柄と手に巻かれた包帯同士が擦れる音が、小さく鳴った。
「どこまで言葉を理解出来ているが知らねぇが…いいぜ。まとめてかかってきな。もしも人間のままだったら、骨を砕くだけで済ませておいたが、どうやらそれだけでは済まねぇようだ。そして早く終わらせて、瑠璃猫の所へ行かせてもらおうか」
腰を捻って重心を落とし、大地と平行になるように大剣を構える。それは、まるで居合斬りのような構えだった。
「今のてめぇらを例えるならば——
「「殺ぉォオおス…殺オオオオオぉオす…!」」
「だからよぉ…俺が今からすることは、ただの
辰風は、歯を剥き出しにして、不敵に笑う。
「ここは、虱潰しならぬ黒蟻潰しとでも洒落込んでおこうかぁ!さぁ、かかって来い!!」
「「殺オオオオオオおおおおオオオオオぉオおおおおおォおォおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオお」」
それが合図であったかのように、10体の異形たちは、一斉に大地を踏み込んで跳躍した。砂埃を撒き散らせて跳躍する様は、まるで爆発のように突風が辰風へと舞い込んだ。短い黒髪が荒々しく揺れる。
そして月光を背に跳躍する10体の異形たちは、それぞれが鎌のような爪を剥き出して、辰風へと下降していく。
「はっ!全員一斉に同じ動きをする奴がいるかよ!」
辰風は、捻った腰を
岩を彫ったような無骨な大剣は、もはや鉄塊と表しても過言ではない。辰風の6尺3寸(約190cm)の背丈と同等な刀身の重量は、一般的な日本刀とは、全く比べ物にならないだろう。それを裏付けるかのように、大剣が上空で異形たちに衝突すると、鐘を打つような重く鈍い衝撃音が鳴り響いた。
ごぉぉぉん——!
上空という踏み場の無い場所のため、異形たちは為す術なく、回転する大剣に蹴散らされる。しかしさすがは、鎧のような黒い外被と評すべきかも知れない。身体は両断されることなく、大剣の衝撃で体勢を崩されただけだった。しかしその一手は、決定的な一撃とも言える。
大剣は、ただ投擲をされただけではなかった。
柄に巻かれていた包帯の一部が解かれていて、辰風は包帯を握ったまま投擲していた。つまりただ投げっぱなしではなく、繋がれた包帯によって、新たな一手が生まれようとしていたのだ。
「ふん!」
辰風は繋がれた包帯をぐんっと引っ張ると、10体の異形たちを通り過ぎたはずの大剣は、再び舞い戻って来る。そして長身の刃が1体の異形を絡め取ると、峻烈な勢いで地面へと叩き付けられた。
「ァ…グぅ……!」
背に乗る大剣は、まるで岩を括り付けられたかのように、重く外被に圧し掛かる。自重も合わさった衝撃は凄まじく、砂埃を舞い上げて地面に食い込んでいた。
だが、強固な外被には傷一つ無かった。
「さすがの硬さだな…だが、次の一撃はどうかな?日本刀で斬られるとは訳が違うぜ」
煙る砂埃の中、倒れ込む異形の眼前に、辰風の足首が視界に入り込む。そして背の大剣の重みが消失したと思った瞬間、月明かりを背に影となった辰風が大剣を振り上げる様子が視界を掠める。影の中、殺意を孕んだ眼光が怪しく浮かんでいた。
そして「まずは1人目」と呟くと、
「おおおぉぉおぉおおぉぁぁぁぁあぁああああああああああああああああああああ————っっ!!!」
怒号と共に、眼にも留まらない速さの銀色の弧が、背を突き刺した。もはや鎧のような外被も役割を果たさない。戦鎚のような衝撃が駆け巡ると、打ち込まれた背中を中心に、全身が、くの字に折れ曲がった。
「ぁ……ガぁ…」
衝撃で仰け反った上半身に映る最期の光景は、視界を遮るほどの砂埃と、噴水のように湧き上がる自身の鮮血だった。人間らしい赤黒い鮮血ではなく、どこか緑色を帯びていたことが印象的だった。
緑色の鮮血——。
これでは益々、自分自身を人間と呼ぶことは出来ない。男は人間ではなく、人外として絶命して行く虚しさが、無性に情けなく思った。
これが…これが……。
望月堂山様に尽くした人生の結末なのか…。
これこそ、堂山が常に言っている虫のような人生に相違は無い。まさか自分の生命まで理不尽に利用されるとは、夢にも思わなかった。
武士道とは、死ぬこと見つけたり——と聞いたことがある。
しかしそれは、人間として武士の
もはや自問自答する理性すら残っていない。
心の奥底で叫んでいるのは、後悔と無念だけだ。しかしそれも、望月堂山と氷川暁にも届くことは無いだろう。そしてこの想いすらも、身体と共に朽ちて行く運命なのだろう…。
(セメテ…人間…とシテ……死ニた…かッた…)
地面に埋め込まれるように、折れ曲がった身体は、一切動くことはない。背中を中心に、くの字に仰け反った上半身と下半身は、次第に鉄のように冷たくなっていった。全身が浸かるほど流れた鮮血が温かく、不思議と心地の良さを感じていた。
あァ…こレが……死か…。
「2人目!」
薄れゆく意識の中で、辰風の威勢の良い怒号が響いた。そして鉄と鉄が衝突する甲高い音が鳴り響いたかと思うと、緑色の鮮血が飛び散った。
返り血を浴びながら大剣を振るう彼の姿は、あまりにも勇ましい。もはやどちらが、怪物か分からないほどに猛々しい様だった。
しかし男は、微かな違和感を覚えていた。
歯を剥き出しにして、獣が如く戦う彼だったが、どこか慈悲を孕んだような温かさを感じていた。
「3人目!」
……。
「4人目!」
……そウか…。
「5人目!」
…ソうか……不死身ノ辰風……。
お前ハ、私たちヲ数えル時ニ、人間として数えているノだ……。
「6人目!」
こンな化け物の姿ニなった私達ヲ、人間トして、殺してイルのか…。
「7人目!」
命ノ両断ガ、せめてノ救済…ト言ったナ…。
「8人目!」
そノ言葉ノ意味が……分かッた…。
「9人目!」
初めテ出会…ったが、オ前の本質ヲ…少し垣間見タ気ガ…するよ…。
…敵ながら、応援ヲ…したイ。
我ガ主でアル、望月堂山と氷川暁…ヲ……討て…。
シ
そシて………ありがとう。
「10人目!」
緑色の返り血に染まった大剣が、疾風のように闇を駆け抜ける。
最後の1人の胴体に大剣を打ち付けると、ずるりと臓物が溢れ出た。そして異形は、膝を着いて首を差し出すような姿勢を取った。
それはまるで、介錯を乞う武士のような姿勢だった。
「その行動は、鉄鋼黒蟻がさせているのか?それとも、僅かに残った武士としての理性か?」
辰風は、頬に付着した緑色の返り血を拭き取りながら、異形へ問いかけた。
黒光の外被は打ち込まれた剣撃で歪み、生温かい臓物が地面に垂れている。そんな悍ましい光景の最中、異形は不気味な声色で、
「さァな…どっちだろうナ…」
辰風は、表情を変えることなく大剣を振り上げると、迷う素振りなく縦に振り下ろした。
ごとん、と鈍い音を共に首が地面へと転がった。しかし斬り落とされた首から感じる視線は、恨みのそれではない。異形の瞳であるが、どこか穏やかが伺えた。
辰風は、ぶんっと大剣を振って返り血を払い除けた。そして10体——いや10人の異形たちの亡骸を横目に、
「…後で墓を立ててやる。だから今は眠りな」
静かに呟いてみせた。
しかし戦闘は、これで終わりではない。急いで目線を壱吉の家屋側へと運ぶと、鉄が衝突し、火花を散る中で対峙する瑠璃猫と氷川暁が伺えた。
傍目であっても、瑠璃猫の鉤爪と暁の日本刀が、闇夜の中で
「ちっ。仕方なく瑠璃猫を向かわせたが、今から応戦する。間違ってもあの力は使うんじゃねぇぞ、瑠璃猫…!」
辰風は、返り血をそのままに3人の元へと駆け抜けていった。
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