【13】自由で何が悪い

 二人の顔が驚きに固まる。


「ちょっと、何言ってるのよ!」


 〝契約決闘〟とは、事前に魔法で内容、縛りを付ける決闘だ。敗北すれば、決めた縛りが魔法によって強制的に執行される。本来は、勝敗内容を明確にするための用途で行われることが多いが、今回はその限りではない。


「ユズリア、頼む」


「でも……」


 ユズリアは戸惑っているようだ。彼女にはこの件が片付いたら、謝らなければならないな。


「――頼む」


 ユズリアは小さく唸る。


「あー、もう! 分かったわよ! その代わり、後でちゃんと説明してよね!」


 そう言い、彼女は剣の先で地面に魔方陣を描く。魔方陣は足元でぶわっと大きく広がり、辺りを取り囲んだ。


「よし、俺の提示する内容は、どちらかが勝てないと思った時。俺が負けた時の縛りは……コノハ、お前と一緒に死んでやる」


 視界の端でユズリアが頭を抱えていた。さほど心配していないように見えるのは、ちょっとどうなんだろうか。


「何を言ってるでありまする。そんなの受けるはずが……」


「じゃあ、お前の縛りも考えてやる。お前が負けた時は、俺のになれ。里の連中と同じように扱き使ってやる」


 不意に、空気が張り詰める気配がした。


 あーあ、嫌われたなこりゃ。でも、仕方がないじゃないか。戦意の無い者を焚きつけるにはこれが一番手っ取り早い。

 ユズリアが握りこぶしを震わせて、「……浮気?」なんて呟いているのは、聞かなかったことにしよう。



「……後悔しないでありまするね?」


 コノハの瞳が冷たく殺気を帯びた。


「ああ、陽光神様に誓って」


「……陽光神様に、誓って」


 二人の同意が、契約決闘の始まりを告げた。魔方陣がユズリアの魔力を使い、本紫色に輝く。

 瞬間、コノハは袖口から大量の式札を覗かせた。


「手加減など、出来ないでありまするよ」


 札が二枚、ぼうっと光る。


「いらないよ。むしろ、手加減してやる」


「――ッ!? 馬鹿にするなッ!」


 コノハは光る札を勢いよく放った。

 一方の札は大きな火球となり、もう片方の札は目に見えない風を生み出した。息をつく間もなく、火球がすさまじい速度で射出され、俺の視界を埋める。

 迷わず、『固定』だ。


 かざした右手が、火球を弾いて扇状に後方へと流れていく。その熱気に汗がじわりと浮かんだ。

 真冬の空気を焦がす炎のうねりが、白い煙を天に昇らす。

 視界が晴れ、コノハの姿が露わになる。無傷の俺を見て、コノハはわずかに吃驚きっきょうしたが、すぐさま次の札を放った。

 

 氷塊のつぶてが矢のように降り注ぐ。同時に足下から鋭く尖らせた地面が隆起して、身体目掛けて貫かんと迫りくる。

 右腕を振り下ろす。全身と服を『固定』。

 礫は硝子のように砕け、槍のような土くれは先端をひしゃげさせた。

 手加減をしないと言うのは、どうやら本当らしい。確実に殺しに来ている。


「魔法障壁……」


 コノハが呟く。

 まあ、そう思うよな。

 土が巨大な波のごとくうねりを打って、雪崩なだれる。もちろん、『固定』を解除せずに立ち尽くした。

 波が俺を包み込む。

 真っ暗な視界が晴れた瞬間、コノハの姿は眼前に迫っていた。手に持った札が、光を放って短刀に変化する。

 首元目掛けて迫りくる刃。鈍い輝きのそれが、衝撃も無く肌にぶつかってせき止まった。


「物理障壁まで……。珍妙な魔法でありまするな」


 殺気を纏って肉薄するコノハ。まるで、本当に獣のような気配だ。


「諦めるか?」


 コノハは返事の代わり、光る札を俺の身体に貼り付けた。刹那、一拍の余地もなく警鐘が鳴り響く。

 本能が示すままにかがんだ。札が一際強く輝き、同時に、髪の先を切っ裂いて上空を両断する短刀。

 思わず、冷や汗が浮かぶ。

 間髪入れず、向きを変えた短刀が胸目掛けて走る。


 流石、里を一人で守り抜いていただけはあるな。


 札を引っぺがし、刃の横腹と左手を一瞬、『固定』。そして、衝撃を殺して刃の方向を流し、解除。右腕の真横を短刀が突き抜く。

 一歩距離を取り、コノハの草鞋と地面を『固定』。札と手を『固定』。瞬いた瞬間、『固定』。

 札がぼうっと光り、コノハの手と札が離れる。


 やっぱり、『魔法除去』の札だったか。詠唱無しで『魔法除去』を発動できるのは、俺からすればいささか相性が悪い。

 しかし、不意打ちの初撃を躱した時点で、コノハに勝ち目はない。

 再び、札と手を『固定』。


「その札、あと何枚あるんだ?」


「くっ……!」


 解除された瞬間、『固定』。さながら、蜘蛛の巣に囚われた虫のごとく、身じろぎを許さない。

 『魔法除去』の札が無くなるか、俺の魔力が尽きるかの勝負だ。しかし、根競べで負けるはずがなかった。

 詠唱は必要なく、右の二本指を下に振り下ろす動作だけで発動できる。さらに、使用する魔力は微々たるものだ。あと千回使っても、俺の魔力は無くならないだろう。

 なんせ、ただくっつけるだけの単純な魔法だ。コップ一杯の水を魔法で出す方がよっぽど魔力を使う。


「ま、参ったでありまする……」


 コノハの言葉に魔方陣が呼応する。一瞬の閃光を放って、魔方陣が消えた。つまり、契約決闘の終わりを示す。

 俺はコノハの眼にかけた『固定』を解除する。ゆっくりと開けたその瞳に、もう殺意は感じられない。俺は全ての『固定』を解いた。


「流石にちょっとヒヤッとしたな」


 浅くとどめていた肺を空気で満たすと、熱を持った身体が冷めてゆく。


「ちょっとで収まるロアがおかしいのよ」


 ユズリアに冷ややかな視線を向けられる。


「あのなあ、S級同士の決闘なんだから、少しは心配してくれよ」


 実際、油断するような暇は微塵もなかった。それどころか、反応が遅れて危うい場面もあった。

 何にせよ、だけは使わずに済んでよかった。加減出来る気がしないからな、あの魔法。


「結局、私の時と一緒でほとんど無傷じゃない」


「そうだけど……」


 黙りこくるコノハに目を向けると、彼女はじっと自分の手の平を眺めていた。


「どうした? コノハ?」


「気持ちは分かるわよ。可哀そうにね」


 ユズリアはコノハの頭を優しく撫でる。

 どうして、俺が加害者みたいになっているんだ。いや、加害者なのかもしれないけれど。


「……初めて、」


 視線をそのまま、コノハは呟く。


「初めて、負けたでありまする……」


 それはそうだ。コノハの強さはS級冒険者の中でも相当なものだった。少なくとも、俺の知る限りでは彼女に勝てそうな者は数人しか思いつかない。ユズリアも、多分彼女には敵わないだろう。

 『異札術』は事前に魔法を札に封じ込めて使用する魔法だ。一見、理不尽な魔法に思えるが、そもそも封じ込める魔法を覚えていないと意味が無い。

 コノハは俺との決闘だけで、火・風・氷・岩の四属性に加え、物質変化まで使って見せた。さらに石化の状態異常すらも使うことが出来る。紛れもない天才というやつだ。

 俺なんて固有の魔法を除いたら、『生活魔法』をいくつか使えるくらいだぞ。


「でも、負けは負けだ。縛りを受けてもらうぞ?」


 コノハの表情が怯えを浮かべる。

 相変わらず、ユズリアは何てことなさそうにコノハを宥めながら、周囲の警戒に意識を回していた。


「……分かったでありまする」


 ぎゅっと目をつぶるコノハ。

 おい、俺のことを何だと思っているんだ。

 でも、彼女はそういう環境で育ってきた。無理もないのかもしれない。


「よし、じゃあ、好きに生きろ!」


 きっぱり言いのけた。

 ユズリアがくすっと笑う。


「えっ……?」


「どっか行きたけりゃ、行けばいい。何したって、所有者の俺が許してやる。ただし、死ぬことだけは許さない」


 コノハの顔には色んな思いが入り混じって見える。困惑、安堵、後ろめたさ、その全てを俺は許した。


「ど、どうして……」


 全く、不器用なやつだ。


「最初から言ってるだろ? 自由で何が悪い。自分の生き方を誰かに決めつけられる必要なんて無いんだ」


「ぁ……ぁぅ……」


 ユズリアと目が合って、思わず俺も呆れた笑みが漏れる。


「でも、コノハが生き方を決められない、分からないって言うのなら、仕方がなく俺が決めてやる」


 コノハの頬を一筋の涙が音もなく伝う。

 ずっと我慢しやがって。全く、こんなところまで俺と一緒なのか。


「コノハ、自由に生きろ! 全部、俺が認めてやる!」


「っ……、ぅ……っ!」


 堪えるような嗚咽が崩壊し、コノハは声を上げて啼泣ていきゅうした。

 いつまでも止まらない涙と叫びが、彼女の自由を体現していた。


「さあ、帰るかっ!」


 ユズリアが俺の腕に抱きつく。そして、コノハに手を差し伸べた。


「行こ、コノハ!」


 どんよりした薄暗い森の中、小さな月狐族の少女が流す涙は宝石のように輝いていた。


「――はいっ!」


 俺のスローライフにまた一人、同居人が増えるらしい。

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