S岳のこと
ぱのすけ
S岳のキャンプ場
Nさんの同僚のAさんはキャンプが趣味だったという。
週末になると同好の士と集まってはどこかの山に行き、キャンプを楽しむ。筋金入りのキャンパーだった。
ある日、Aさんと共に出先を回り、遅めの昼食を取っている時のこと。
心なしか顔色の悪いAさんがおもむろに1枚の写真を取り出した。
見て欲しいという深刻な様子と裏腹に、写真にはこの間行ったキャンプの盛り上がっている様子が切り取られていた。
赤々と燃える焚火を囲んで数人の男女が楽しそうにコップを掲げて乾杯している。これと言って何もない、普通にキャンプを謳歌している写真だったという。
「何? これがどうかした?」
写真を返そうとすると、Aさんはここを見ろと、男女の後ろに写っている闇の間を指差す。
微かに震えるAさんの指先が指す所。焚火の灯りを受けてカラフルに際立つテントとテントの合間から見える木々の間には白い靄がかかっていたという。
「何が見える?」
「うーん? ……白い靄?」
曖昧に首を捻って、写真をAさんに渡す。彼は受け取らなかった。
Aさんは左手でよく汗のかいたお冷のコップを握り締めて、ぽつりと言った。
「……初めは白い靄なんてなかったんだ」
「は? ないってどういう事? だって写ってるじゃん」
「確かに写ってなかったんだよ」
目を伏せたAさんは力なくぼそぼそと、プリントしたその日から日を追うごとに背後の木々の間に白い靄が浮かび上がって来ると訴えた。
その口調は真剣そのもので、Nさんを担いでやろうというイタズラ心がないことは一目瞭然だった。Aさんの真剣さの前にNさんは黙ってしまったという。
「ま、気になるならさ神社でお祓い受けるとかしてみたら?」
しばらくしてようやく絞り出したNさんに、Aさんは黙ったまま小さく頷いた。
そのAさんからもう一度、写真の話をされたのは1ヶ月程経過してからだった。
仕事を終えて帰宅し、缶ビール片手にナイターを楽しんでいたところに不意にAさんから電話が入った。
「違う。あれは靄なんかじゃなかった」
「どういうこと?」
早口で語るAさんは、何かに追い立てられているかのように捲し立てた。
「……あれは人だった。大勢の人間が近付いて来るんだ」
「落ち着け、どうした? 例の写真か?」
「白い靄に見えたのは服が白いからだった。どんどん大きくなって、はっきり見えるようになって……もうどうしたらいいか分からなくて」
「待て、お祓いは? 行ったのか?」
「行った! 何ヶ所も行った! でも駄目だった!」
「分かった。分かったから落ち着け。お前、少しおかしいぞ。いいから落ち着くんだ」
電話の向こうでAさんが微かに呟いた。
「駄目だ……やっぱりもう一回S岳に行くしかない……」
その一言を最後に、電話は一方的にぷつりと切れた。
慌てて掛け直してみるも、Aさんに繋がることはなく、翌日Aさんは会社を無断欠勤した。
Aさんがあれから本当にS岳に行ったかは分からない。彼はそのまま会社を辞めてしまい、今でも連絡は取れていないという。
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