3.青白い顔
いきなりカタカタと震えだした幼な子の姿に、少年は驚き慌てる。
ピンク色だった可愛らしい唇が、気づけば紫色に変色し、やわらかな頬からは血の気が失せ始めていた。
その痛々しい姿に、少年はもう少しで悲鳴をあげるところであった。心臓が恐怖ですくみあがる。
少年はためらうことなく自分の外套を脱ぎ、ばさばさと水滴を払いのけてから青白い顔のイトコ殿を素早くくるむ。
そして、そのまま軽々とイトコ殿を抱きあげた。
このままではいけない。
これ以上、幼いイトコ殿を、冷たい雨の中に置いておくことはできなかった。
ふたりっきりの『おさんぽ』はこれで終わりだ。
離れた場所で控えている護衛を呼ぼうと少年が口を開けた時、イトコ殿がいきなり暴れ始めた。
「わ、わ、わっ! イトコ殿! 急に、どうなさったのですか!」
まだ成人していない少年は、とっさのことに対応できず、バランスを崩して枝から転がり落ちそうになる。
「いやで――ちゅ! わたくちは、まだ、オヤチキには、もどりたくありまちぇん! お兄たまとのおちゃくちょくでは、たいようさんがしずむまでは、おでかけです! クチュン!」
「イトコ殿……。太陽さんは、隠れてしまったよ」
腕の中で悶えているイトコ殿を必死に抑えながら、少年は優しい声で反論する。
イトコ殿と「おでかけは、太陽が沈むまでの間」と約束していたのを思い出す。
「お兄たま、ちがいまちゅ! たいようさんは、くもにかくれただけなのでしゅ! やまのなかにかくれてはいません! まだ、おでかけでちゅぅ! はじめてのおでかけは、まだおわってまちぇん! クチュン! クチュン!」
「イトコ殿……」
雨天中止、悪天の場合は途中で切り上げもあり、という条件をつけなかったことを少年は心底悔やんだ。
メチャクチャに暴れて嫌がる幼な子を、少年は全身でもって必死に抱きしめる。
予想外の激しい抵抗に、少年は驚き戸惑う。
ついには立っていることができなくなり、少年は身をかがめ、幹に背後を預けてその場に座り込んでしまった。
幹に背中をぶつけてしまったが、腕の中で暴れているモノだけは落とさないよう、必死に守る。
こんなにも抵抗されるとは、少年は思ってもいなかった。
いや、幼児にこんな強い力が秘められているなど、予想もしていなかった。
こうなるとわかっていたら、もっと念入りに、しっかりと外套を巻きつけて、縄で縛りつけて、拘束しておけばよかった……と、少年は心の中でぼやく。
と同時に、この『おでかけ』が終わったら、睡眠系と拘束系の魔法レベルを最優先で上げなければ……と少年は強く心に誓った。
なぜなら、先程から両方の呪文の発動を何度か試みているのだが、ことごとく抵抗されて失敗しているからだ。
帰りの魔力を温存しておかなければならないので、使用できる魔法にも限りがある。なのに、魔法が不発に終わり、無駄に魔力を消費するだけになってしまった。
不敬とか、畏れ多いとかそんなのはこのさいどうでもいい。
この先、絶対に必要となる……というか、切り札になる魔法は、高火力の攻撃魔法ではなく、高レベルの睡眠系と拘束系だ、と、少年はこのとき思い知った。
もがいているうちに外套がするりとはだけ、幼な子が少年の腕の中から逃げようとする。
(逃がすかっ!)
枝から飛び降りようと暴れる小さな存在を、少年は必死に抱き寄せる。
「わたくちひとりでも、おでかけをつづけるでしゅ! たいようさんはまだおそらにいまちゅ!」
「イトコ殿!」
枝から滑り落ちそうになったイトコ殿を、少年が間一髪ですくいあげる。
「いや――! や――だ! おでかけ――!」
「落ち着いて! イトコ殿! 落ちます! 落ちるから! 落ち着いてください!」
「や――だ! や――だ! おでかけ――!」
「わかりました! まだおでかけはつづけましょう。だから、おちつ……」
少年の言葉が終わらないうちに、幼な子が急に大人しくなる。
「お兄たま、おでかけでちゅね?」
期待を込めた蒼い瞳が、少年をじっと見つめている。
雨に濡れた身体は冷え切り、唇は紫色で、頬も青白くなっているのに……。寒くて歯をカタカタといわせているのに……。
それなのに、幼な子はまだ帰りたくないと言い張るというのか。
(しまった……)
少年の裡に苦々しいモノがじわりと広がっていく。
己の失言と失態に後悔するが、すでに手遅れだった。
ひとりではなにもできない小さな子どもだと、心のどこかで侮っていたようである。
期待のこもった目、いや、言質はとったぞ、というような目で見られては、少年は反論できない。
そもそも、少年はイトコ殿に仕える者であり、イトコ殿は少年に命令を下す者である。
この主従関係は一生、覆ることはない。
つまり、少年はイトコ殿には生涯、なにがあっても逆らえないのだ。
「はあ……」
少年の口から溜め息がこぼれ落ちる。
「仕方がありません。おでかけは続行ですが、この雨の中での移動は無理です。もう少し、雨をしのげる枝に移りましょうか」
少年が頭上を見上げた瞬間。
大樹がぶるりと震え上がり、枝がざわざわと揺れ動いた。
ザァザザザ――ァッ!
バタバタバタ――ッ!
ピピピィ!
チチチィ!
枝で休んでいた小鳥たちが一斉に飛び立つと同時に、頭上から大量の水がバタバタと音をたてて落ちてくる。
「きゃ――っ! きゃ――っ!」
「うわあっっ!」
ふたりの口から悲鳴があがる。
小鳥たちも混乱したように、大樹の周りを飛び回っている。
枝が大きく揺れたことにより、大樹の葉に溜まっていた雨水が一気に落下してきたのだ。
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