第三話
「眠宿」(第三話)
堀川士朗
朝食はムシ屋の宿で済ませたが、散策している内に腹がすいた。
小さな商店街の喫茶店モゾビーに入る。お昼はここで済ませよう。
するとやはりこの店のマスターも、ムシ屋の宿の旦那さんなのだった。どこも人が足りないのだろう。
奥さんの姿はなかった。
『気紛れマスターの更に気紛れコーヒーセット』を注文した。
千七百リュウト。
出てきたそれは、コーヒー、サラダ、ゆで玉子、トースト、ホンビノス貝だった。またホンビノス貝かよ!
あれこれ夢だっけ。
何だっけ。
現実だっけ。
現実って何だったっけ。
食べ終わった。
皿を下げに来たマスターの旦那さんは私にこう言った。
「お客さん、オロロには気をつけて下さいね。刺されるととても痛いですから」
オロロ?この地だけに棲息する何か虫のようなものだろうか?
ともかく気をつけよう。ありがとう。良い事を聞いた。
モゾビーを出る。
しばらく歩くと草っぱらに出た。
これはダンチョネ草だ。
葉のこすれる音が、ダンチョネ~ダンチョネ~と聴こえる事からその名がついた。
そしてハンベラの花が咲き誇っていた。
強烈な花の蜜の香りがする。
その花に、空中から半透明の清水がダバダバと大量に降り注いでいる。
『幽霊滝』だ!
ネルネ共和国に来てこれが拝めて良かった!
今は初夏だが、冬にも訪れたいなと思った。
幽霊滝は凍るのだ。
喉が乾いていた私は滝の水溜まりに手をすくって口に運び、喉を潤した。甘露甘露。
と、その時私は後ろから電流を当てられたようなショックを受けた!
「アビィーッ!アビバァーッ!」
い、痛い。これがオロロか。
オロロの痛みか。
背中を刺された!
奴はでかいサイズのハエくらいの大きさで、私を刺すとどこかに飛んでいった。
「ワ、ワクチンをくれ!ワクチン、アテンションプリーズ!」
意味の分からない言葉が口に出た。そのくらい痛かった。
痛いなあ。
酷いなあ。
宿に帰って眠ろう。
命を甦らせてくれる眠りに。
まだ昼だと云うに横になった。
しばらくムニムニしていると、何だか布団がモゾモゾと大きなムシがいるみたいに動いた。
何だ?
私は布団を引っ剥がした。
隣に宿の娘さんが寝ていた。
な。
な。
何と云う事だ。
花も恥じらううら若き乙女と同じ布団にあろうとは?
娘さんは例の小悪魔フェイスを浮かべ、
「作家の先生、いつになったらアタシを東京に連れて行ってくれるんですの?」
と甘やかに言った。
えんと。あの。その。
「アタシもうこんなとこやです。まるで地縛霊みたいにどっこも行けやあしない」
でもね。私には妻があるのだよ。と言おうとしたら娘さんは私から遠く離れ、
「お茶菓子、ザ・ネルネで良いですか?お客さん買ってましたよね」
「ああうん」
「今持って来ますね。お茶はザンパノ茶です…………早く東京に連れて行って下さいね。でないとアタシ、もう消えっちまいます」
と言った。
しばらく経ったが娘さんはお茶を持って現れず、そのまままんじりともしない夜を迎えた。
夕飯も出なかった。
おお。夜よ夜。
くしゃみ。
鼻みじゅるが出た。
続く
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