5/1 南島
本日はほんのり暗めのお話です。
中学2年生の時の担任は、非常に私への当たりが強かった。
今ならば、ハラスメントというぴったりの言葉によって、相手を責めることができるかもしれない。
しかし、当時の自分は困惑するばかりであった。周りの友人が親に伝えるくらい、その教師の自分への当たりは異常だった。
その一年ですっかり性格が変わったと思う。
あの毎日の息苦しさ、日々募る教師への恐怖心、抱いていたことは覚えているが、もう感覚はすっかり忘れてしまった。
もう許した、そう思っていた。
しかし先日、どういう訳だか年会費を払っていないのに届く、同窓会の冊子に、その人間を見つけてしまった。
嫌な笑顔、そう思った。
私の知らないところで、どう生きていても構わない。しかし、生きている姿を見たくなかった。
もう許せていると思っていたのには理由がある。
私立の中高一貫校だったので、高校2年生の時の弁論大会の担当がその教師だった。
また執拗に口撃があった、理科の教師も一緒になって私への中傷をした。
中学3年の担任も産休に入る前に、クラスと部活の仲を散々な状態にしていった、田舎の中高一貫あるあるの教師の質の低さだったのだろう。
我慢の限界だったので、スクールカウンセラーに相談し、当時の担任に母から連絡を入れた。
中学の頃からどういったことをされたのかをルーズリーフに書いてまとめた。
何回かカウンセリングに行った。カウンセラーに、あなたは辛い話を笑顔で話すのねと言われた。
確かに私の口角は上がったまま、目からは涙が流れていた。
母からの電話は一発で効き目があり、そのあと一度校舎ですれ違った際の、そやつの怯えたダサい会釈のような挙動はよく覚えている。
卒業後、見かけた。何の感情も湧かなかった。
それ以来のこの冊子の姿だったのだ。
許せてなかったぜバカヤロウ。
何で中高そんな学校に通ってしまったのだろうとも思うのだが、そんなことどうでもよく思えるほど、素晴らしい友人に出会えた場所である。
巻き戻してもきっと同じ選択をすると思う。
その地獄のような時を支えてくれたのは、今職業に選んだ世界であった。自身を生かしてくれた経験があったからこそ、ある意味執着に近い、仕事への思いが生まれた。
自分が生きてきた道が全て、今の仕事に繋がっていると思っている。
そういう意味ではあの最悪な時代にだって感謝している。
中学の頃の世界って、どうしたって狭いし、まだ私は友人への頼り方も知らなかったし、家族への相談の仕方も分からなかった。
本気でちょびっと自分が悪いなんて思っていた。
高校で自我がかなり芽生えて、母に相談できたし、自分は間違ってない、相手がおかしいと気づけた。
願うことは、その教師が同じようなことを別の生徒に行っていないことだ。どうか若い芽を潰さないでほしい。私は踏み潰した靴の隙間からにょろにょろ伸びたけど。
そんなわけで、タイトルの名字の国語教師には気をつけてね、なんちゃって。
また、許せたなって思ったらこそっと消します。
ここまで読んでくださった方、ちょびっと汚い言葉とちょびっと反骨心に嫌な気持ちをさせてしまっていたらごめんなさい。
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