第22話 大手企業との打ち合わせ
展示会の翌朝、奏多は気分も軽く、少し早めの時間に自転車で出勤した。
「コーヒーを買ってくか」
オフィスがある建物には、学食よりも少しおしゃれなカフェ「P’sカフェ」が入っている。朝だけ、コーヒーを買うとミニクロワッサンが無料でついてくるので、早めに出勤した日には、カフェで朝食代わりに一服してから仕事を始めることにしていた。
カフェの扉を開くと、カラン、カランとドアベルが鳴って、カウンターの向こうで作業をしていた店員が、控えめに「いらっしゃいませ」と言った。
「あ」
店内を見回して、奏多は思わず、入り口のところで足を止めた。
片隅の席には、どっしりと貫禄のある男性が、豪快にサンドイッチを頬張っている姿があった。
サンレンの室長、河内である。奏多はとっさに踵を返そうとしたが、その前に河内が顔をあげて、ばっちりと目が合ってしまった。
「おう、永瀬か。おはようさん」
河内が片手にサンドイッチを持ったまま、にっと笑みを浮かべる。それが、何かを企んでいる笑みに見えるのは、偏見か。
「室長、おはようございます」
ここで出ていくのもおかしいので、奏多は諦めて挨拶を返し、カウンターでコーヒーを注文した。
「永瀬、ちょっとここに座り」
奏多が離れた席に腰をおろそうとしていると、河内に手招きされた。
ぎょっとして「えっ」と声が出てしまう。
「えっと……はい、お邪魔します」
一瞬迷ってから、大人しく河内の向かいの椅子を引いて、浅めに腰をかけた。
サンドイッチを食べ終わった河内は、今度はたっぷりクリームの挟まった練乳パンを食べている。意外と甘党なのだろうか。
「永瀬、最近はどないや? こないだは、真方に厳しく絞られとったが」
河内は三口で練乳パンを平らげると、コーヒーをすすりながら奏多に訊ねてきた。
「市場性について、再調査をしています」
「昨日は、展示会に行っとったらしいな。足を動かすのは、ええことや。パソコンの前に座ってばっかじゃ、見えへんこともあるからな」
河内の言葉に、奏多も大きくうなずいた。
「そうなんです。実は、展示会でいい出会いがありました。先日のエチレンの件で、連携先が見つかるかもしれません」
本当はもっと意気揚々と報告したいところだったが、ここは気持ちを抑えて、控えめにそう言った。河内が「ほー」と感心したように声をもらす。
「ええな。フットワークが軽くなってきたやん。初めのころは『営業なんて』って、ビビっとったのにな」
「今でもビビってますが」
奏多は真面目な顔でそう言った。
実のところ、今でも代表電話に電話するときは手が震えるし、展示会のブースで声をかけるときも、心臓はバクバクいっていた。だが、最初のハードルを乗り越えて技術の話をしていると、そんな緊張も忘れてしまうから、不思議だった。
ビビっている、という奏多の言葉を冗談と受け取ったのか、河内は「はっはっはっ」と大きな声で笑った。
「俺も、初めのころはビビり倒しとったもんや。まあ、場数やな。永瀬のその様子やったら、じきに慣れるやろ」
「そうだといいのですが。少し、おもしろくはなってきたところです」
「ええな。永瀬はこの仕事、向いてるんとちゃうか」
河内の言葉に、奏多はとっさに返事をできなかった。
企業の研究職をしていたときは……なかなか成果が出ず「自分は向いていないのでは」と悩んでいたし、上司からも暗に、そんな意味合いの言葉を何度もかけられていた。
それが――消極的に選んだこの産学連携の仕事で、「向いている」という言葉をもらえるとは。
苦い思いと嬉しい気持ちがないまぜで、複雑な心境だった。
「精進します」
そんな胸の内は露わにせず、奏多はあくまでも生真面目な返事を返すのだった。
*
「おはようございます」
奏多はオフィスに入ると、まずはパソコンを立ち上げて、メールを開く。
昨日は展示会からそのまま直帰したので、午後に来たメールはまだチェックしていなかったのだが、一件、見覚えのない連絡先からのメールがあった。
メールを開いて、最初の数行を読んで、奏多は「おっ」と声を上げた。
「日環ケミカルの吉岡と申します。弊社のホームページよりお問い合わせをいただき、ありがとうございます」
それは、エチレンの技術について問い合わせた企業からの回答メールだった。
日環ケミカルという、大手化学メーカーで、脱炭素を目指した技術開発を積極的に行っている企業だ。バイオプラスチックの開発などもやっている。
実は、この企業には最初の調査の時に問い合わせたのだが、そのときすぐには返事がなかった。だから、連絡をスルーされたのだとばかり思っていたが……今になって回答があったことが、意外だった。
奏多は気持ちを落ち着けて、メールの続きを読んだ。
「ご回答が遅くなり大変申し訳ございません。
社内の関係部署と協議をしていたのですが、ぜひ一度、オンライン会議で詳細を伺えればということになりました。下記の日時でご都合のよろしいときをお知らせください」
とあって、三つほど打ち合わせの候補日時が提示されていた。
「いきなりオンライン会議か……」
メールや電話で担当者と話したことはあるが、オンラインでの打ち合わせは初めてだった。奏多は自分のスケジュールをチェックして、一番直近で空いている日、明後日の朝九時を指定して、返事をした。
その後、日環ケミカルの吉岡と何度かメールのやり取りをして、アポイントが確定した。
「さあ、よい方向に転がればいいが」
奏多はミーティング用の簡単な資料を作成して、打ち合わせに備えた。
「はじめまして。P大学の永瀬と申します。本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」
オンライン会議の冒頭で、奏多は画面に映っている中年の男性に向かって、頭を下げた。緊張していて心臓がバクバク鳴っていたが、それを表には出さないよう、淡々とした表情を作る。
本当は真方のように、にこやかな営業スマイルをできればいいのだろうが……奏多には少々、ハードルが高かった。
「日環ケミカルの吉岡です。よろしくお願いします」
吉岡と名乗った男性は、縁の太い眼鏡をかけていて、スーツではなく薄いブルーの作業服を着ている。他にも何人か会議に入っているようだが、画面がオフでどんな人物がいるのか、わからなかった。
顔ぐらい出さないのか、と心の中で思ったが、そういえば研究所時代のオンライン会議では、発言時以外は画面オフにしている人も多かったな……ということを思い出した。
「それでは早速なのですが、今回お問い合わせした技術について、簡単にご紹介させていただきます」
奏多は簡単な資料を表示しながら、西崎陽の「エチレン生成」の技術について、詳細を伏せながら概要を説明した。
話しながら、相手の反応がわかりづらいオンライン会議の特性もあって、奏多は緊張のあまり、手のひらにじっとりとした汗をかいていた。
「簡単ではありますが、ご紹介したい技術の説明は、以上になります。ご質問などあれば、お願いします」
説明が終わっても、しばらくは沈黙が流れた。画面の向こうの吉岡や、顔の映っていない人々の反応がわからなくて、奏多は乾いた口を湿そうと、つばを飲み込む。
「ご説明ありがとうございます。興味深い技術だと思って、聞いておりました」
やっとのことで、吉岡がそう話し出した。
「まずは、研究所のメンバーから、質問ありますかね」
吉岡の司会で、画面がオフになっている参加者からいくつか技術的な質問があった。ひと通りの質問に回答すると、吉岡が「ありがとうございます。こちらからは以上です」と締めくくる。
それで会議を終わられては困る……と焦った奏多は、逆に質問を投げかけた。
「あの……今回、なぜ本技術にご関心をお持ちいただいたのか、教えていただけないでしょうか」
吉岡が画面の向こうで、くいと眉を上げたようだった。
「ご存じかもしれませんが、我々はバイオプラスチックの開発に力を入れております」
「ええ。ホームページで拝見しました」
奏多が相槌を打つと、吉岡はひとつうなずいた。
「その原料のひとつにエチレンがありますが、今は主に、バイオエタノール由来のエチレンを使用しています。ただ、エタノールを重合させてエチレンにする反応のところで、まだ効率やコスト面で課題があり、食料にもなるサトウキビやトウモロコシから製造することにも賛否があって、他のエチレン源も検討していたところでした」
吉岡は同社の抱えている課題について、そう説明した。
なるほど、そういった背景があって、話を聞きたいと連絡してきたわけか、と奏多は合点がいった。
「それでしたら、今回の技術は廃棄されたパンや野菜くずなど、食品ロスを活用してエチレンを作る技術ですので、貴社のニーズにマッチするかもしれません」
「そうですね。まあ、コストやエネルギー効率次第であり、その辺りは、詳細を伺わないとなんとも言えませんがね。微生物を利用する、とおっしゃいましたよね?」
「はい、そうです。微生物を介した酵素反応だと考えています」
「なるほど。微生物はメリット・デメリットありますからねぇ」
吉岡の言う通りで、微生物は生き物である分、扱いに難しさがあるのは間違いがなかった。ただ、その言い方に何か嫌味な響きを感じて、奏多はむっとした。
「そうですね。その辺りは今後検討が必要ではあります」
「特許は出願されていますか?」
吉岡から鋭い質問が飛んできて、奏多はぐっと言葉に詰まった。
「現在、出願を検討している段階になります」
そう答えると、吉岡がくっと眉を上げた。
「出願前に相談に来られても、なかなか協議が難しいですね。出願予定はあるんですよね?」
「……はい。そのつもりです」
奏多は苦しいながら、そう答えた。本当は、まだ会議を通っていないので、出願できると決まっていないが……。
「では、出願されたら、ぜひ詳細をご紹介いただけますかね。そのときは、研究者に直接話を伺いたいものですね」
「はい、ぜひお願いします」
そうして、日環ケミカルとの打ち合わせが終了した。
会議アプリの画面を切り、奏多は大きく息を吐きだして、椅子の背にぐったりともたれかかった。この仕事では初めての大手企業との面談で、かなり脇汗をかいていた。
「もっと話を聞きたいということだったし、特許のことも意識しているみたいだったな。これはたぶん、悪くはない、ということか……」
奏多はすっきりしない気持ちを残しつつも、収穫はあったからよしとしよう、と自分を納得させた。
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