第8話 わたしはレイヴン様の従者になることになったんです。決定しました

 垂れた目の中にある薄いブルーの瞳孔は白い世界に広がる湖みたいに大きくて、通った小さな鼻の下にある薄紅の唇は儚げで、近づくことすら躊躇ってしまうような純真無垢な雰囲気を身に纏っている。



(嫌われ者の僕ならなおさら近づけない)


 

 呆然としてレイが固まっている前で、少女は頭を振って髪を整え、気怠げに両手でピースサインを作ると、目元に当てる。



「きらりーん。レイヴン様の性奴隷。ネフィラ・スパイダーです」


「……………………え何言ってんの?」


「レイヴン様のせ……」


「言いなおさなくていい! というか、二度と言うな! 僕の未来を破滅させたいのか!」


「何を言ってるんですか。レイヴン様の未来は破滅しません。だって、レイヴン様はわたしが守りますから。たとえ火の中水の中、わたしが起こした不祥事の中でも」


「君が起こした不祥事に僕を巻き込むな」



 何をかっこいいことみたいに言ってんだ。

 苦難の公私混同はやめろ。

 誰も得しないマッチポンプだろそれ。



 純真無垢に見えた少女の口からいかがわしい台詞が飛びだして全然無垢じゃないのが判明した。



 なんなんだこの子は。



 いや、ネフィラの事なら知っているし、ハーピィ家に捕まっていたことはこの時点でレイも解っていたけれど、それはあくまでというだけで自分は関係ないと思っている。



 レイが認識しているのはネフィラがゲームで低レアキャラだということと、自分を攻撃する存在だということ――ただ、突然の登場と突飛な発言でその印象が完全に崩れてしまって、いつもなら「殺しに来たんだろ!」と叫ぶところをレイは完全に足並みを乱されていた。



 被害妄想よりも困惑が勝る。

 これはレイにとってかなり珍しい状況だった。



 そんな彼を差し置いて無表情のネフィラは、



「と言うことで、わたしはレイヴン様の従者になることになったんです。決定しました」


「何が『と言うことで』なのかわからない。論理を置き去りにするな」


「わたしじゃなきゃ見逃してしまいますね」


「説明すっとばしただけで強者ぶらないで。僕は君の主人になった覚えはないし、それに、そもそも、僕なんか守らない方がいい。きっとろくなことにならない。最悪、追放されるかもだし……」


「わたしを押し倒して手込めにするからですか?」


「……違う」


「ご安心ください。わたしはノリノリなのでレイヴン様は罪には問われませんよ」


「違うって言ってるでしょ! 黙って!」



(今この瞬間にもメイドちゃんたちが聞いてるかもしれないんだよ!? あの二人の辞書にプライバシーって言葉ないんだから! もし聞かれて、ふしだらな生活してると思われて父上に報告されたら僕追放される!!)



 レイは頭をかきむしって、



「とにかく、僕は君の主人になった覚えはない。メイドちゃんたちに救われて家に戻ったんでしょ? 自分の人生を歩みなよ」


「実を言うと、わたし死んだことになってたんで戻る場所もないんですよね。家には戻れても地位までは戻らないって感じです。お墓まで作られてましたし」


「……そっか」


「一足早い終活というわけです」


「早すぎるだろ」



 同い年くらいに見えるし。


 

「別に親が冷たいというわけではないんですよ。そもそも常に死の危険と隣り合わせ家系ですんで、切り替えは早いんです」



 スパイダー家ってそんな危険な家系だったっけ――だったな。


 

 レイの魔族としての知識ではスパイダー家は服飾系の家系と言うことになっているけれど、ゲーム知識ではそうではない。



 スパイダー家の有する特殊部隊。

 そこにネフィラは所属していたはず。



 たしか……、

 


「隠密戦闘部隊『一縷いちる』の所属だったんだっけ?」


「……よく知ってますね。そうですよ。やっぱり色々知ってるんですね」


「そうでもない。……あれ? その若さで戦闘部隊なの? というか、ネフィラいま何歳?」


「十二歳ですが」



 その年齢で性奴隷とか言ってたのかよ。

 おませさんとか言うレベルじゃない。



 事案だろそれ。

 誰だ教えたの。



「ああでもそれは肉体的な話でして、精神的にはもう少し上ですよ」


「……どういうこと?」



 まさか同じように転生してるんじゃないかとレイは思ったが、違った。



「アラクネ族はですね、五日に一度の睡眠で事足りるんです。それはつまり他の種族に比べて覚醒時間が1.4倍くらい多いってことですね。それだけ学ぶことができて、それだけ活動できて、それだけ精神年齢が進むんです。いまのわたしは精神年齢で言えば十七歳ってところですよ」


「ああ……そういうことね」


「わたしは性に奔放なのではありません。年相応なんです」


「それは違う」



 一般の女子高生は日常会話で性奴隷とか言わない。



 ネフィラは無表情のまま両手を腰に当てて胸を張る。

 


「と言うことで、わたしは頑強です。そもそも監禁生活後にすぐ復帰できていることからそれはお解りでしょう。レイヴン様のおそばにいるのが危険でもまったく問題ないんです」


「頑強ねえ」


「レイヴン様に殴られても平気です。そのあと抱きしめてくれれば」


「僕をなんだと思ってるんだ」



 DV彼氏かよ。

 自分から依存しに行くな。



「そのくらい恩を感じているんです。なので従者としてそばに置いてください。まあぶっちゃけ、『一縷』に戻れそうにないので、序列一位のヴィラン家で働けないかなっていう下心も一割くらいありますけど」


「ぶっちゃけたね」


「てへ」



 無表情で舌を出し、片目を閉じるネフィラ。



(ゲームでは絶対そんな表情を僕に向けなかっただろうな。たとえ僕が救ったと勘違いしてたところで、僕の事を心底嫌ってるだろうし、従者になるくらいならゴブリンの靴を舐めるとか言いそうだ――あれ? でも僕、何もしてないのに、なんでゲームとこんなにも違うんだろ)



 あれだけハーピィ家を引っかき回したのに自覚がないレイは不思議だと思いつつも、



(僕はきっと誰からも裏切られるんだから、隅の方で細々暮らせるようになるまで、手伝ってもらえる間は手伝ってもらった方が良いよね)



 そう考えて、



「うん、解った。じゃあきっと、僕たちは結ばれる運命だったんだね」



 そんなことを口走った。


 

 前世の反省を全く生かし切れていない――というか被害妄想でまみれた前世で反省なんてした事がないから、いまも被害妄想にまみれているとも言える。



「…………」



 ネフィラは無表情のまま固まって、目だけが微かにキョロキョロとさまよって、そして、もう一度レイの方をじっと見ると、その頬は少しだけ赤らんでいた。



「レイヴン様。それではわたしは従者にしていただけるんですね?」


「うん。末永くよろしく」


「では……あの、従者になるに当たって一つお願いがあるんですけど」


「何? 出来ることなら何でもするよ」



(なるべく裏切られるまでの期間を延ばしたいからね!)



 なんて、悲しい勘違いを続けたレイはどんな願いが来てもすぐに「いいよ」と答える準備をしていた。目の前のネフィラが、無表情ながら少し言いにくそうにもじもじとして、さっきより少しだけ頬が赤らんでいるのにも全く気づいていない。



「じゃあ、あの……」


「うん、何かな?」



 レイが首を傾げると、ネフィラは息を吸い込んで、一気に言った。










「わたしのことを定期的に殴ってください。虐めてください。抱きしめなくていいんで」


「いいよ――――え?」






 ちょっと何言ってるか解らない。

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