第34話 ご褒美のお弁当
決闘騒ぎから数日。月を跨ぎ六月になった。入学からもう三ヶ月目だ。
あっという間だったような、イベント盛りだくさんで長く感じたような。そんな二ヶ月間ではあったが、大変であったと言う点は変わらない。
というわけで、今日も今日とてセレスティア魔法学園は平常運転。
決闘後は事件の影響でほんの少しの臨時休校を挟んだものの、過ぎてしまえばもはや誰も覚えていないかの如く、いつもの平穏な日々が待っていた。
「こちらは古代エルフ語になりますね。私よりもルナーリアさんの方がお詳しいのではないかしら」
「『成長』『加速』かしら? 古代エルフ語は古すぎて、私も全て読めるわけではないわ」
「それでも、これが読めるというだけでも凄いことだわ。エルフの方でも全く知らずに育つ方がいらっしゃるというお話だもの」
現在は魔法言語の授業中。担当教師はおっとりとしたおばあちゃん先生で、この分野に関しては俺も学ぶことがそれなりにある。
特に、今話題に出た古代エルフ語なんてのは、今までの人生で触れる機会すらなかった。
「古代エルフ語による魔法は、精霊魔法に類するものとされているわ。現代で広く使われている魔法言語とは、成り立ちからして全く違うものなのです。一方でこちら、教科書の38ページに一覧がありますね。ルーン文字や神話文字を始めとする五種は、現代魔法の礎となったものです」
魔法言語とは、汎用、固有問わず行われる詠唱や、魔法陣に深く関連する分野だ。
詠唱そのものは言わずもがなだが、魔法陣には、緻密にして多大な魔法言語が集約されている。
現代において広く普及した魔法言語であれば、俺やリリ、ルナーリアも当然修めているが、古代に使われていたようなものは話が別。つい今しがた先生の口からあったルーン文字や神話文字なんかも、古代エルフ語と同じく俺が生まれるよりも大昔に使われていた魔法言語である。
「古代エルフ語に関しては、二年生から選択授業で学ぶことができます。今日からはルーン文字について学んでいくとしましょうね」
前世にもあったな、ルーン文字。フィクション御用達の魔法言語だ。
この世界でも前世と大して変わらないものらしく、現代日本人からすると記号にしか見えない文字一つで、魔法を発動させられるもの。
誰でも扱える汎用魔法であり、文字を一つ書くだけなのだから速効性に優れている。
ただし、効果のほどはお察しだ。なにせ現代魔法とは、ルーン文字を始めとした複数の魔法を混合させ開発された、先人たちの歴史の結晶だ。
より便利に、より強力に、そうして積み重ねた努力の果てに、現代の魔法が出来上がった。
しかし繰り返すようだが、ルーン文字も現代魔法を構成する要素の一つに間違いはない。学ぶ意味は十分にあるといえる。
「ルーン文字の優れている点といえば、その速効性にある。みなさんはそう認識しているかもしれませんね。けれどその真価は、隠匿性にこそあります。元々が暗号のように使われていたのよ」
「でも、こうしてルーン文字を広く学ぶ環境ができてしまえば、隠匿性なんてあってないようなものなんじゃ?」
「いい質問ですね、ニュアージュくん。では、はい。リリウム殿下、こちらのルーン文字は読めますか?」
先生は黒板ではなく、宙空に魔力で文字を描いた。それ自体は俺や他の生徒たちでも知っているような、有名なルーン文字。『燃やす』意味を持った文字だ。
しかし、リリだけは首を傾げる。
「読めない、というよりも、ぼやけて見えてしまいますわね。まるで、景色と溶け合ってしまったように」
「その通りです。これは先生が、リリウム殿下の魔力だけを選び、共鳴しないように細工をしたからです」
と、このように。ルーン文字とは、目で見ているものではない。魔力で視るものだ。
味方の魔力を識別して、特定の人物だけが視えるようにする。ルーン文字それ自体が持つ機能であり、現代でも廃れず、代表的な古代語の一つとされている理由でもある。
それにしたって、リリの魔力を欺くのは相当な技量が必要なはずで、やはりこのおっとりおばあちゃんもセレスティア魔法学園に相応しい実力の持ち主ということなのだろう。
「もちろん、欠点はあります。私の技量を上回るほどの魔法師であったり、魔力で力押ししてしまえるような相手であれば、通用しませんからね」
と、そこでチラと俺とルナーリアを見やる。
ヤベッ、俺たちにも見えないようにしてた? まさかこのおばあちゃん、俺の正体察してる? さすがは年の功、ってところか……いやそれにしたって、そうと気づかせないのも中々に凄いことだが。
「ではまず、基本的なルーン文字から教えていきますね」
微笑みを絶やさない先生は、何事もなかったかのように授業を続ける。
俺が冷や汗を垂らしていることに、見て見ぬ振りしながら。
◆
昼休み直前の四時間目は、実技の授業だ。
魔法師であれば誰にとっても重要となる、身体強化魔法。
これは前衛であれ後衛であれ、最低限は使えるようになっていなければ話にならない魔法でもある。
なにせ、人より余程優れた身体能力を持つ魔物が相手となるのだ。獣人であっても例外なく、この授業は二年、三年になっても必修授業となる。
とはいえ、身体強化は基礎も基礎の魔法だ。今更使えないやつなんてこの学園にいるはずもなく、基本は生徒同士の組み手がメインの授業となる。
「よっ、ほっ、と。さすがだなエル、やっぱ獣人は身体強化と相性がいい」
「全部避けられながら言われても納得できないなー!」
今日の俺の組み手の相手は兎獣人のエル。
兎の獣人とだけあって、その脚力はかなりのものだ。そこに強化で倍率ドン。
驚異的な跳躍力と、そこから繰り出される蹴りは、一撃貰えば俺でも怪我しかねない。
「ガルムこそ、さすがは新学園最強!」
「それやめてくれ!」
決闘騒ぎから変わった点と言えば、これか。
俺がレオナルドにボロ勝ちしてしまったせいで、学園最強の名があのイケメンから俺に移ってしまった。
その後のリリとルナーリアによる大立ち回りがあったのだから、俺を最強に持ち上げないでもらいたいのだけど。既にS級の称号を持つあの二人は、どうにも別枠扱いらしい。
とは言え、そこから俺の正体に気づくようなやつなんているわけもなく。しかし冒険者資格もC級でしかない俺は、果たして何者なんだとほんの少し話題になったり。
しかしそんな話題も、今は下火と言える。
学園最強に勝った謎の一年は一体何者なのか、ではなく。
あのS級ソロ六位白薔薇の心を射止めたあの一年は何者なのか、に生徒たちの関心が移ったから。
いや、別に心を射止めたとか、そんな事実は全くないんですよ。
ただレオナルドの求婚から逃れるために、その場にいた俺を生贄にしたってだけで。
だけどまあ、あの決闘でルナーリアのことを賭けていたのは事実であり、俺はそんな決闘に勝ってしまったわけだ。当のルナーリアはそんなこと忘れてしまったと言わんばかりに、いつも通り俺に罵声を浴びせてくるけど。
つい気になって、離れたところで組み手をしてる銀髪を目で追ってしまう。
毎度リリの相手をさせられているルナーリアは、中々に苦い顔をして皇女様の拳打を捌いていた。まあ、リリは強化魔法のエキスパートだし、インファイトのみであればルナーリアはかなり不利だ。
それでもあそこまで食らいつけるのは、彼女の努力の賜物としか言えない。
「よそ見!」
「おっと」
「って、あれ?」
隙をついて一際強力な蹴りが。思いの外いい蹴りだったもんで、躱した動きそのままに懐へ潜り込んで一本背負い。
何が起きたのかいまいち分かっていなさそうなエルは、顔いっぱいにハテナが浮かんでいる。
「え? あれ? あれぇ?」
「残念、惜しかったな。でもいい線いってたと思うぜ?」
「余裕綽々で言われても納得できない! しかもルナーリアさんの方見てたでしょ! 余計に納得できない! もう一回!」
「へいへい」
飛び起きたエルが強化魔法をかけ直して、再び組み手が始まる。
迫る蹴りを捌き続けて、一緒にこんな質問も飛んできた。
「それで、実際ガルムとルナーリアさんってどういう関係なの?」
「どういう、って聞かれてもな」
「だって、レオナルド先輩とはルナーリアさんを賭けて決闘したんだよね? 実はもう婚約してるとか!?」
「んなわけねえだろ、っと」
「危なっ! でもでも、普通のクラスメイトとか友達より、距離が近いよねっ!」
んー、どういう関係、なんだろうな、今の俺とルナーリアって。そういや考えたことなかったかもしれない。
友達ってのはまず違うし、婚約なんぞした覚えがない。クラスメイトであるのは間違いないが、しかしそれだけで済ませるのも違うだろう。
ガルム・フェンリル伯爵としてなら、後見人とその庇護者って関係ではあるが。俺もルナーリアも、そんなもんあんまり意識したことないしなぁ。
この期に及んでだらだらと偽っても仕方ないのではっきりさせるが、たしかに俺は彼女に対して好意を抱いている。
ならばあちらからはどうなのかと聞かれると、これがサッパリ分からない。特段女心に疎いわけじゃあないのだけど、ルナーリアの場合マジで分からん。
恋だの愛だのに現を抜かしてる場合ではない、とは彼女の言だが、最近のルナーリアは割とこちらに心を開いてくれてるようにも思える。
が、しかし。だからってこっちから無理に近づこうとすると離れていってしまうのがルナーリアだ。これに関しては前科あり。猫かな?
「ま、今は俺が口説いてる最中ってことで」
「えー、なにそれ。あたしから見たらルナーリアさんってもう既に結構……って寒っ!」
「ほい隙あり」
「ぎゃふんっ!」
サッと足払いですっ転ぶエル。女の子が出したらダメな声ですよ。
もう既に結構、その先にどんな言葉続くのか、分からないわけではないが、それは本人から直接聞きたいもんでね。
◆
「ちょっと付き合いなさい」
昼休み、開口一番有無を言わせぬ圧を持ってして、俺はルナーリアに連行されてしまった。
噂の二人が連れ立ってどこぞへ行こうと言うのだから、周りの視線を集めまくって。
それを厭ったルナーリアが軽く認識阻害の魔法を掛けて辿り着いたのは、中庭のベンチだ。意外と人気の少ないそこは、ルナーリアと二人の時に何度か使ったことがある。
「はい、これ」
「はい?」
座るなり突き出されたのは、布に包まれた弁当箱。まあ、もちろん、ここまで来る道中、彼女が普段一つしか持ってない弁当箱を二つ持っていたのは気づいていたけれど。
今日は腹ペコなのかな? とか思ってた俺はいっぺん死んだ方がいいのではなかろうか。
「言ったでしょう。決闘に勝ったらご褒美をあげるって。変なことを要求される前に、私の方で勝手に準備したわ。異論は受け付けないわよ。そもそも私の手料理を食べられるのだから、文句なんてあるはずもないでしょうけれど」
「ああ、うん。はい」
あんまりに早口で捲し立てるもんだから、ちょっと引いてしまった。それが良くなかったか、お姫様はムッと不満顔。
「なによ、まさか不満があるとでも?」
「んなわけあるかよ、喜んでいただくよ」
というわけで、ご開帳。
おそらく手ずから握ってくれたおむすびが三つ。いつぞや彼女の弁当にも入っていたタコさんウインナーや、猫の形に切り取られたミニハンバーグ。レタスがそれらの下敷きになっていて、ミニトマトとブロッコリーが端の方でちょこんと居座っている。
全体的に可愛らしく、栄養バランスも考えられたお手本のようなお弁当だ。
箸も受け取って早速猫のハンバーグを食べようと摘み上げるが。
「……そんなに見られると食いづらいんだが?」
「っ……気にしないで」
「つってもなぁ」
ぷいとそっぽを向いたが、目だけでこちらをチラチラ見ている。
別に普段から自分の弁当を作ってるわけだし、腕の方に関しては不安があるわけでもないのだけど。
これはあれか、人に振る舞うということに慣れていないのか。
改めまして、ハンバーグをパクりと一口で頬張る。
おお、これは中々。前世の日本なら冷凍食品で済ませるのがミニハンバーグだけど、こいつは間違いなく手作りだな。
「うん、美味い」
「そ、そう? まあ当然よね」
言葉の上ではそう言ってるが、赤く染まった耳はぴこぴこ動いてる。可愛いじゃん。身体の方は正直ですねぇ。
「しかし、綺麗に切ってるよな。猫の形にするの大変じゃないか?」
「慣れればそうでもないわ。ていうか、そう言いながら一口で食べるのね……」
「なんていうか、変に齧ったらちょっと可哀想じゃね?」
「気持ちは分からないでもないけれど」
「あと前から思ってたんだが、帝国で米ってのも珍しいよな。うちはパンが主流だと思うが」
「師匠のところにいた頃は、お米ばかりだったのよ。その名残りみたいなものよ。パンも嫌いではないけれど」
「あー、そういやあのババア、変に米料理が好きだったな。お、おむすびも塩がいい感じだ。俺の好きな具合じゃん」
「サラに聞いたのよ」
「いつの間にか結構仲良くなってるよね、君たち……」
なんて、のほほんとした昼下がり。
毒にも薬にもならないような会話が繰り広げられる。否、ルナーリアの口からは時たま毒が飛んでくるけど。
そんな平和な時間を堪能していると。
「ねぇ、ガルム。そう言えば──」
「ようやく見つけたぞ、後輩くん。おや、ルナーリア嬢も一緒だったか。これは丁度いい」
邪魔者が現れた。
金髪のいけ好かないあんちくしょう。レオナルド・フリーデンは俺を見てルナーリアを見て、一瞬言葉を失くした後に、肩をすくめた。
「どうやら、お邪魔してしまったかな? いやすまない、悪気はなかったんだがね」
「おう分かってんならさっさとどっか行けや。今ルナーリアさんがなんか大事そうなこと言いかけてただろうが!」
「ハハハっ! そう恥ずかしがることはないさ! 君たちはすでに学園公認のカップルと言っても過言ではないのだからな! お揃いの弁当箱を持ち仲睦まじく二人きりで過ごしていたとしても、誰も文句は言うまい! ……ルナーリア嬢、魔力を落ち着かせたまえ。ほんの冗談だろう?」
バカがバカなことを言ってくれたおかげで、周囲の気温が一気に下がった。
耳を真っ赤に染めたルナーリアは、このままだと大鎌を出しかねない勢いだ。
「どうどう、落ち着けルナーリア。あのバカの言うことは真に受けるな」
「君の発言にも一因はあると思うのだがね、後輩くん」
なんのことっすかねぇ? だってマジで大事なこと言いそうな雰囲気だったじゃん!
「はぁ……それで、なんの用事かしら? ガルムを探してたみたいだけれど」
「朗報だ、連中に動きがあったぞ」
連中、すなわちクリフォトを名乗る集団が、ここに来て更なる手を打ってきた。
なるほどたしかに、そいつは朗報だ。こちらからは中々手を出せずにいるのだから、あちらさんから動いてくれるのならそれを逆手に取る。現状唯一俺たちが取れる択である。
ニヤリと、やけに嫌な笑顔を浮かべたレオナルドは、果たしてどこからその情報を得たのやら。そんな疑問は、すぐに解消される。
「生徒会長殿からのタレコミだよ。どうやら、君たちのクラスに転校生がやって来るらしい。入学から二ヶ月しか経っていない、この時期にな」
「なるほど、そいつはたしかに……」
「怪しんでくれ、と言っているようなものね」
どうやら、束の間の平穏は終わりを告げるらしい。そろそろ本気で解決して、学園ラブコメに集中したいもんだ。
「で、さっきなに言いかけてたんだ?」
「知らない」
「いやでも」
「凍らせるわよ」
「すんません」
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