16. 飲み込む言葉

 ぐぁぁぁぁ!


 ついに両腕を失った筋鬼猿王バッフガイバブーンは絶望の悲鳴を上げる。


 飛びのいたソリスは肩で息をしながら、絶望の淵に立つ筋鬼猿王バッフガイバブーンを見つめた。


 筋鬼猿王バッフガイバブーンは砕けた両腕をだらんとたらしながら、うつろな目で宙を見上げている。


 胸を狙っていれば筋鬼猿王バッフガイバブーンが勝っていたはずだった。筋鬼猿王バッフガイバブーンは『なぜ顔など狙ってしまったのか……?』と、最後の最後で慢心があったことに悔やんでも悔やみきれず、ギリッと奥歯を鳴らし、さめざめと涙をこぼした。


 ソリスは、すっかりワンピースみたいに長くなってしまったチュニックのすそをたくし上げ、結んだ。


「さぁ、そろそろエンディングにさせて……」


 筋鬼猿王バッフガイバブーンに向けてファイティングポーズをとるソリス。勝利は確信しているものの、慣れない子供姿に心中穏やかでなかったのだ。


 筋鬼猿王バッフガイバブーンは絶望の笑みを浮かべながらソリスを見る。


「お前……、この世界のモンじゃねーだろ……」


 は……?


 ソリスは何を言われたのか分からなかった。自分は孤児として孤児院に育ち、冒険者になった、れっきとしたこの世界の人間である。


「こぶしを交えてわかった。お前にはこの世界の者にはない、訳わからない情念がある。この世界の人間ってのはもっとシンプルなんだよ」


「シ、シンプル……?」


 ゴスロリ少女には『女神と会ったはず』と言われ、筋鬼猿王バッフガイバブーンには『この世界の者ではない』と言われる。一体これはどういうことなのだろう? と、ソリスは渋い顔をして首をひねった。


「まあいい、お前の勝ちだ。このザマじゃもはや勝負にならん。また、鍛えなおしだ」


 筋鬼猿王バッフガイバブーンはため息をつき、首を振った。


「悪いね、良い戦いだった。お前のことは忘れない……」


「俺も! 忘れんよ!」


 筋鬼猿王バッフガイバブーンは忌々しそうにギロリとソリスをにらみ、そして相好を崩した。


 セイヤーッ!!


 ソリスは助走をつけ、跳び上がると、目をつぶって棒立ちになっている筋鬼猿王バッフガイバブーンの頭を思いっきり蹴りぬいた。


 子供とは言えレベル120を超える人間離れしたすさまじいパワーが、筋鬼猿王バッフガイバブーンの顔面をまるで豆腐のように吹き飛ばす――――。


 ガクリと力を失った身体が床に転がった。


 ソリスは大きく息をつくと、その偉大だった骸に手を合わせる。


 やがて筋鬼猿王バッフガイバブーンだったものはすうっと消えていく。きっと別世界でまた人差し指で逆立ちして鍛えるのだろう。


 後には赤く輝く魔石がコロコロと転がっていく。


 強敵だった――――。


 紙一重の勝利にソリスは身体の力が抜け、床にペタリと座り込んだ。


 これで前人未到の四十階制覇。それは歴史的偉業だったが、ソリスにはその実感がわかなかった。


 それよりも――――。


 ソリスは手近に転がっていた大剣の破片を手に取り、鏡のようにして顔を映してみる。


 映っていたのはシワもシミもそばかすも全て消え去り、ツヤツヤでプルンプルンの子供の小さな顔だった。


「何よこれぇ……」


 続いてステータスウィンドウを開いたソリス――――。


ーーーーーーーーーーーーーー

ソリス:ヒューマン 女 十歳

レベル:124


 :

 :


ーーーーーーーーーーーーーー

 

 表示された【十歳】の文字にソリスはガックリとこうべを垂れた。


 ついに明らかになった呪いの効果。それは生き返るたびに1年近く若返るというものだった。上手く使えばよい面もありそうだったが、将来に反動が来るかもしれないし、どんな副作用があるか分かったものじゃない。この呪いの得体の知れなさに思わずブルっと身体が震えてしまう。


 そもそも、こんな小娘になってしまって、周りの人に何と説明するのだろうか?


「うわぁぁぁぁ……どうしよう……」


 ソリスは頭を抱え、思わず宙を仰いだ。


 せっかく歴史的快挙を成し遂げたのに台無しである。


「ゴスロリーーーー!!」


 ソリスは地に伏し、少女の可愛く澄んだ高い声で叫んだ。



         ◇



 ソリスはブカブカになってしまった青いチュニックを、何とかひもで結んで身体にフィットさせると、がっくりと肩を落としながら地上を目指す。


 今頃四十階のポータル前ではきっと多くの人が自分の帰還を待ってくれているだろう。前代未聞の偉業を成し遂げたのだ。その盛り上がり具合は相当なものに違いない。


 だが……。


 こんな十歳のチンチクリンの小娘が出てきたらどうだろうか?


 失望と落胆のため息が渦巻く様子が目に浮かんでしまう。


 華年絆姫プリムローズの名を上げるためにここまで頑張ってきて、その結末が失望ではとても受け入れられない。


 ソリスはポータルを使わず、一気にダンジョンを逆走していった。


 レベル124のすさまじいまでの俊足の機動力を生かし、一回も戦うことなく、全てのモンスターをすり抜け、一時間ほどで入口へとたどり着く。


 外の様子をそーっと確認し、シレっと入口から外へ抜け出すソリス。


 案の定、四十階のポータル前には多くの人だかりができてひどく盛り上がっている。


「やっぱり華年絆姫プリムローズだろうね」「ソリスさんのソロってこと? 本当かなぁ?」「一体四十階のボスってどんな奴なんだろう?」


 ソリスはぎゅっと胸が痛くなる。


 今すぐ名乗り出たい。


華年絆姫プリムローズはやりましたよぉぉぉぉ!』と、両腕を高く掲げながらみんなの前に出ていきたかった。


 しかし……。こんな子供が出ていって受け入れられるわけなどない。ソリスはノドまで出かかった言葉をグッと飲み込み、ギリッと奥歯を鳴らした。


 なんとか解呪をして、その時に改めて名乗り出よう。すぐに名乗り出られなかった理由などいくらでも後で考えればいいのだ。


 ソリスはキュッと口を結ぶと足早に街を目指した。


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