:第29話 「別れ:2」

 夜が、いつものようにふけていく。


 これが、最後になるだろう。

 そう思うのに、時間は淡々と過ぎ去っていく。


 自ら捨て駒となることを選んだ兵士たちは、特に普段と変わった様子もなかった。

 ルッカ伍長とミュンター上等兵の二人が見張りに立ち、後の者は塹壕の中に各々の好みの姿勢で休んでいる。


 もう機会もないだろうから、と、あらためて会話をするようなこともなかった。

 他の分隊では、志願して残った者たちの間で名残を惜しむように互いのことを話し合ったり、誰かがこっそりと持ち込んだウイスキーを回し飲みしたりしているのに。


 B分隊は、素っ気ない。

 今さら感傷に浸るようなことはしたくない、というスタイルであった。


 アランは、静かに紙にペンを走らせていた。

 隣ではG・Jが悩ましそうな顔で同じことをしている。


 いわゆる遺書を書いている。

 職業軍人たちはあらかじめそれを書き記してあり、王立軍が厳重に保管していて、万一があれば自動的に遺族に送付される手筈となっているのだが、徴兵で兵隊になっただけの二人はその用意をしていなかった。


 幸い、紙と鉛筆は持ち合わせがあった。

 家族に手紙を書く、家族から手紙をもらう、というのは兵役についている者たちにとって心の支えとなっていることであり、その道具はあまりかさばらないこともあって普段から持ち歩いていたりする。


 といっても、それがきちんと届くかどうかはわからない。

 先に去って行った仲間たちに持ち帰ってもらえれば良かったのだが、時間がなく、そして遺書を書いておかなければならないと気づいたのは、彼らが離れて行った後だったからだ。

 誰も、そこまで気を回していられる精神的な余裕がなかった。


(まぁ……、誰かが生き残れば、その人に届けてもらおう)


 アランは、気楽に考えていた。

 別に今さらあらためて家族に言いたいことなど、あまり多くもなかったからだ。


 結婚もして子供もできて、となっていたら、話は違っていただろう。

 書きたいことが多すぎて、とても語り尽くせない程だろう。


 だが、アランにとって、残していく人々への懸念は少ない。

 両親は元気で健康に不安はなかったし、牧場の経営は順調で弟も妹たちもいるので、長男である自分がいなくなっても心配はいらない。

 仲良くしていた家畜たちも、楽しく快適に暮らしているのに違いない。

 それに近況報告を兼ねて手紙のやりとりを何度も行っていたから、あらためて伝えるべきことがないのだ。


 せいぜい、自分を生み、育ててくれたことへの感謝と、彼らがこれからも幸せに暮らして欲しいという願いを、精一杯の言葉で伝えるだけだ。


 文章量は少なかったが、その内容にはかなりこだわった。

 遺書は、自分の気持ちをただ書けばいいというものではない。

 それを読む者のことを考えなければならないからだ。


 捨て駒になることについての悲憤や、死への恐怖を書き連ねたところで、読む者は辛い気持ちになるだけだろう。

 だからそういう部分を排して、良い感情だけが伝わるようにしたい。


 自分の選んだ事柄について、家族をあれこれと悩ませるのは嫌だったのだ。


 便箋びんせん一枚だけで足りるのか、と書き始める前にはそう思っていたのだが、十分だった。

 出来上がった文面は簡潔で素っ気ないようだったが、その分、伝えたい気持ちだけがストレートに出せたと、アランは我ながら満足、といった心地になった。


 自分の遺書を折りたたんで風に入れ終えた時、ふと、まだ必死にペンを走らせる音が聞こえて来るので振り返ると、G・Jはまだ書き終えていない様子だった。

 便箋びんせんも一枚では足りず、両面に書き連ね、二枚目に入っている。


 残る、と決めたのは彼女の方が先であった。

 それに半ば触発される形でアランは志願したのだが、やはりいろいろな思いを飲み込んだうえで、家族を助けることができるかもしれない唯一の道を選んだ、ということらしい。

 知って欲しい、忘れないで欲しいという気持ちが、たくさん残っているのに違いない。


「G・J。よかったら、これも使って」


 思わずアランは、自分が使わなかった紙を差し出していた。

 G・Jは少し驚いた顔をして、じっとこちらを見つめていたが、すぐに唇を引き結んだままうなずいて便箋びんせんを受け取り、三枚目を書き始める。

 そうしてその裏面の半ばまで埋めて、ようやく書きたいことが無くなったのかその手が止まり、しばらく涙をこらえるように見つめた後、丁寧に折りたたんで封の中に納めた。


 それから二人は、短く約束をする。

 もし、どちらかが生き残ったら、どちらかが必ず、それを持ち帰るのだと。


 遺書を書くという行為は悲しく、寂しくもあった。

 しかもこの手紙は、届かない可能性だってあるのだ。

 どちらかが生き残ったら、などとは言うものの、二人とも帰れないことだって十分にあり得る、というよりも、その可能性の方が遥かに大きい。


 だが不思議と、サッパリとした心地だった。

 やるべきことは済ませた、という気持ちだったからだ。


 これで、後は連邦軍とどんなふうに戦うかだけ、考えればいい。


 そうなると、できる限り大きな戦果をあげてやりたい、という気分が盛り上がって来る。


 そもそも王国は永世中立を宣言し、その立場を順守して来た国家だった。

 それなのに、敵は侵略をして来たのだ。


 彼らには彼らの事情や主張があるのに違いない。

 王国の方にこそ原因があるのだと、そう言うのかもしれない。


 しかしアランには、連邦はもはや敵だった。

 敵になってしまったのだ。


 あまり印象にもない、関係の希薄な、遠い外国でしかなかった国家。

 そこに住む人々。

 どんな顔をしているのか、どんな声で話すのか、どういった暮らしをしているのか。

 なにも分からない、知らない、恨んだり憎んだりしたことのない者たち。


 それが今、自身の命を脅かし、家族を危険にさらし、故郷を破壊する、恐ろしい存在になった。


 そんな彼らに、自分たちがなにをしているのかを分からせてやりたい。

 それがどれだけ卑劣な行いなのかを、示してやりたかった。


 みっともないことはできない。

 王国を、アランの生まれ育った場所を滅茶苦茶にしようとすることへ、代償を支払わせなければならない。


 そしてその教訓は、高くつけばつくほどに、いい。

 自分たちのいない未来にもし、こんな侵略をしようと考える輩が生まれた時に、それを躊躇ちゅうちょさせることができるほどに。


 そうすれば、自分と同じ目に遭う者もいなくなるだろう。

 彼らは、自分が手にできなくなった、平穏で、幸せな一生を送ってくれるだろう。


 そのために、戦う。

 そう信じるからこそ、命を捨てることを受け入れられる。


 万全の戦いをするには、体調を整えておくべきだろう。

 それには、休息だ。


 そう思って目を閉じたのだが、———誰かが近づいて来る足音が聞こえて来る。


 咄嗟とっさに小銃に手を伸ばしながら顔をあげたアランは、すぐにそれを引っ込めていた。

 そこには、ヴァレンティ中尉が立っていたからだ。

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