:第5話 「出撃命令」
急に出かけて行ったままなかなか戻ってこなかった小隊長、アルヴァロ・ヴァレンティ中尉は、午後の一時過ぎになってようやく戻って来た。
どういうわけか、行く時にはなかったはずの、王立陸軍の二トン半六輪トラックも一緒だ。
やれやれ、やっと戻って来なすったか。
食事の配給も一緒とは、なんともありがたいことで。
分隊の面々はエンジン音を聞いて顔をあげ、戻って来る中尉の乗ったジャンティと、それについて来るトラックの姿を目にしてほっとしたものだったが、しかし、すぐに違和感に気づく。
それはいつも見慣れた
いったい、なにごとなのか。
普段と違う出来事が重なって起こっていたために、誰もが緊張に身を固くしていた。
「ベイル軍曹! すぐに出発の準備を整えてくれ! 」
アランたちの分隊はちょうど進路上に位置していたから、あらためて伝令を送るよりついでに用件を伝えてしまった方が効率的だろうと思ったのだろう。
運転していた下士官に命じて近くでジャンティを停車させたヴァレンティ中尉は、後部座席から立ち上がるなり険しい表情と厳格な口調でそう言った。
もしも生まれが旧貴族の家系ではなく、[高貴な者が背負うべき
アルヴァロ・ヴァレンティ中尉はそう人々に言われるほどの、いわゆるイケメンであった。
百八十センチある見栄えのする身長に引き締まった体躯。キリッとした精悍な印象の眉と目元を持つ面長な顔立ちは、軍服よりもシャレたスーツの方がよく似合う。
見た目だけではなく、性格も良い。
真面目で清廉潔白、規律にもうるさいが、公明正大で誰かをひいきをしたり差別をしたりすることはない。
それでいて、きちんと部下の意見を聞き、合理的だと判断すれば受け入れてもくれるし、軍務に差支えがなく、他に支障もないと分かれば、多少のことは大目に見てくれる。
たとえば、時間を持て余した時にパガーニ伍長などが人を集めてカードで賭け事をしていても、度を過ぎていなければ顔をしかめるだけで済ませてくれる。
生まれも育ちも顔立ちも良く、しかも人望もあって、士官学校での成績でも、その後の勤務でも優秀と認められる結果を残している。
将来を
「おかえりなさい、ヴァレンティ中尉! ようやっと、移動になりますかね? 」
その場に立ちあがり、軽く敬礼をしてみせたベイル軍曹に中尉も敬礼を返したものの、すぐには用件を切り出さなかった。
(小隊長にしては、珍しい)
アランは意外な思いと共に、その姿をそっと横目でうかがう。
いつもならこんな風に言いよどんだりせず、よく通る凛々しい、軍曹曰く「聞いているだけで背筋が伸びる」厳格な印象の声ではっきりと命令を下すのだ。
奇妙な沈黙。
分隊の面々が期待と不安の入り混じった視線を向ける中、中尉の背後を
どうやら荷物を満載しているらしい。
———そして、ようやく告げられた言葉は、誰もが耳を疑わざるを得ないモノだった。
「軍曹。それにみんなも、よく聞いてくれ。……戦争が、始まった」
「……はっ? えっと、中尉殿? それは、どういうことでしょうか? 」
「王国は、戦時下に突入したということだ」
理解が追いつかずみながきょとんとしている前で、ヴァレンティ中尉はこれまでに見たこともないような強張った表情、感情を必死に抑え込んでいる淡々とした口調で、言う。
「本日、正午、王国は公式に、連邦、および帝国から、宣戦布告の通知を受けた。王都・フィエリテ市周辺の空軍基地は開戦と前後して航空機による奇襲攻撃を受け、すでに東西の国境地域には敵軍が雪崩こみ、我が方の部隊が応戦中だ。残念ながら詳細な状況は、通信妨害と指揮系統の混乱のために不明瞭だが、戦争が始まってしまったことは確かだ」
その言葉には
起こった事実だけが
それでも、それに反応を見せた者は、なかなかあらわれなかった。
中尉の言っていることが理解できなかったわけではない。
理解したくなかったのだ。
みなが呆然自失としている間に、ジャンティの背後でトラックの一台が停車し、
重そうに荷台から引きずり出されてくるのは、木箱。
それに見覚えがある。
基地の弾薬庫に厳重に保管されていた、実弾の入った弾薬箱であった。
「我々、第二一七独立対戦車砲連隊・第二大隊には、出撃命令が下された。私は大隊長から戦争が始まったことを伝えられ、はっきりと命じられた。……出撃せよ、と」
連邦と帝国が、王国に攻めて来た。
片方ずつではない。
双方が、同時に。
知らない間に、国家存亡の危機が訪れていた。
自国よりも圧倒的に強大な勢力が、それも、一度に二か国も攻めてきている。
王立軍では様々な事態を想定して防衛のためにいくつもの作戦計画が準備されていたが、その中に、連邦と帝国が同時に侵略してくる想定をしたものは存在し無かった。
なぜなら、対処は不可能であると見なされており、考えるだけ無駄であったからだ。
永世中立を基本に、外交によって、連邦と帝国の二か国を同時に相手にして防衛戦争を戦うような事態は絶対に避ける。
それが王国の基本方針であったのだが、なにかしらうまく行かないことがあったらしい。
最悪の事態が現実になった。
すでに王国の首都、フィエリテ市の近郊に所在していた主要な空軍基地は敵機の攻撃を受け、国境地帯には、[敵]となった連邦と帝国の部隊が侵攻中。
昼食がなかなか到着しなかったのは、当然だった。
誰もが「王国は永世中立国なのだから」と思い込み、開戦を予期していた者などいなかったのだから、突然激変した状況に混乱し、それどころではなかったのだ。
だが、とにもかくにも、命令は下されたらしい。
アランたちが所属する大隊には出撃命令が与えられ、目の前に実弾が運び込まれている。
すなわち、これから自分たちが向かうのは、戦場、ということだ。
そう理解した瞬間、アランの喉はカラカラに乾き、ヒリヒリとしだす。
唾を飲み込もうにも、出てこない。
代わりに、嫌な冷や汗が全身から吹き出してきていた。
身体も小刻みに震え出し、指先はもちろん、手足も思う通りには動かせず、硬直してしまっている。
「ベイル軍曹! 」
知らない間に王国が戦時に突入し、自分たちがこれから戦地に向かわねばならないという現実にショックを受けていた分隊の面々に、ヴァレンティ中尉が鋭い声をあげる。
「直ちに出撃準備を成せ! 我々は連邦軍を迎撃するために西へ十キロメートル前進し、そこに
開戦の報を受け、呆然自失としたのはきっと、中尉だって同じだっただろう。
だが、少しだけ先にそれを知ったおかげで、彼の中ではもう、気持ちに整理というか、感情の抑制ができているらしかった。
「みんな、聞いた通りだ! 荷物をまとめろ! 砲を移動できる状態にし、弾薬運搬車に弾薬を積み込め! 急げっ!! 」
断固としたヴァレンティ中尉の言葉に弾かれたようにベイル軍曹が声を張り上げ、それでようやく、分隊の仲間たちは、慌ただしく出動の支度を整え始めた。
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