2-3.儀式

 高千穂宮の中庭に設けられた祖神を祀る祭壇。神棚を大きくしたようなその祭壇の前の舞台を、大勢が取り囲んでいる。兵も民も、興奮した様子で舞台の上で行われる儀式を注視していた。


 はやてが妹の救出を心に誓ってから幾ばくかの日数が過ぎたこの日、颯は高千穂の長となった。一族の祭祀に通じた沙々羅が儀式を執り行い、彦五瀬から長い緒に繋いだ大ぶりの勾玉を受け取った。この勾玉は彦五瀬や薙の祖母のトヨが女王の鬼と戦う際に用いたものだ。


 首から勾玉を提げた颯が、舞台の中央で天之尾羽張を天に掲げる。一族の末弟として英傑スクネの別名でもある彦火火出見尊ひこほほでみのみことを名乗り、彦五瀬や沙々羅の考えた台詞で東征の成功を誓うと、兵と民が沸き立った。


 颯は内心では、ぽっと出の自分が長となることは受け入れられないのではないかと不安を感じていたが、天岩戸あまのいわとに降臨して鬼を討ったという事実と神剣・天之尾羽張の存在は大きく、彦五瀬や沙々羅が颯こそが日の神の御子だと告げれば、疑う者はいなかった。


 民衆の大歓声の中、颯は安堵すると共に天を見上げ、改めて真菜の救出を心に誓ったのだった。






 その夜、高千穂宮の外で盛大な祭りが催された。もちろん新たな長の誕生祝いと東征の成功を祈願するためのもので、主役は颯だ。とはいえ、今この時だけはその主役の座は颯の元を離れ、多くの人々の視線は一人の少女に集まっていた。


 煌々と篝火かがりびで照らされる中、沙々羅が舞っていた。


 現代の神社で見る巫女装束に通じるような装いで流れるように踊る沙々羅は、神秘的であり、また、どこか妖艶でもあった。


 颯は沙々羅の舞を見つめながら、ふと、いつか読んだ古事記の漫画の一場面を思い出す。神話の時代、天岩戸に引きこもった天照大神あまてらすおおみかみを連れ出すために、岩戸の前で胸をはだけて踊った女神がいたはずだ。


 真菜がいればその女神の名を知れたのだろうかという思いが脳裏に浮かび、颯の胸中に暗い影が落ちた。颯は沙々羅から視線を外し、僅かに顔を伏せる。火照っていた頬が急速に冷えるような気がした。


「颯。楽しんでいるか?」

「え、ええ」

「それは良かった。それで、吾平津媛あひらつひめと話してみてどうだった」

「あ、その、魅力的な方だとは思いますが……」

「そうか。邪に取り込まれた薙を救ったそなたならばと思ったのだがな。まぁ、わかった。颯に無理強いはできぬし、嫁ぎ先が決まるまで私が世話をするとしよう」


 鬼と化した薙を殺したことを彦五瀬が“救った”と言ったのは、今際いまわきわに薙が正気を取り戻し、彦五瀬に一族の繁栄と東征を託したことに起因している。あの瞬間、仲の良かった昔に戻ったようだったと、彦五瀬は颯に感謝していた。


 颯としては、いくら鬼とはいえ彦五瀬の弟を討ったことに罪悪感を覚えていたのだが、そう言われてどこかホッとしたのだった。


 ちなみに、吾平津媛というのは高千穂の一族の有力者の娘で、薙の婚約者だった女性だ。彼女は徐々におかしくなる薙にいろいろと忠言した結果、館に幽閉されることになり、あの鬼の騒動の折に助け出され、一族の結束のために長たる颯に嫁ごうとした。


 しかし、颯は初対面の女性との結婚を受け入れられなかったし、そもそも妹を助け出して元の現代世界に戻ることが目的である以上、この時代の人間とそのような関係になるなど考えられないことだった。


 彦五瀬は非常に残念そうだったが、もし仮に二度と元の時代に戻れないとしても、すべては真菜を助け出してからの話だ。颯は胸の内の影を無理やり脇へと追いやり、再び沙々羅に目をやった。彦五瀬も颯に釣られるように視線を動かし、舞い踊る巫女を見つめた。


「そうか。サルメの孫娘も一族の者と言えるか。まあ、誰を選ぶかは颯の心次第か」


 訳知り顔の彦五瀬は颯の肩をポンっと叩き、立ち上がって酒を片手に去っていく。それと入れ替わるように伽耶が五十鈴媛と一緒にやってきた。二人の両手には土器の皿やお椀が載っていた。


「お食事をお持ちしました。お、お――」


 どこかソワソワとした様子を見せる伽耶に、颯は首を傾げる。五十鈴媛が颯の前に屈んで料理を並べると、立ち上がって伽耶の背をそっと押した。


「お、お、お兄ちゃん……」


 頬を朱に染めつつ、伽耶が窺うような視線を送ってくる。颯が目を丸くしていると、五十鈴媛が「何か言うべきことはないのか」と視線で訴えかけてきた。颯はハッとし、伽耶に手を伸ばす。一瞬、伽耶がビクッと肩を揺らすが、颯の手が伽耶の頭に置かれると強張った両肩を脱力させた。


「伽耶ちゃん、ありがとう」


 伽耶が、ふにゃっと表情を崩す。決して真菜の代わりというわけではないが、颯は新しくできた小さな妹の頭を優しく撫でた。胸に温かな感情が生まれた。それは光となって颯の心を明るく照らした。


「さあ、颯。伽耶も。一緒に食べましょう」

「うん。そうだね。五十鈴もありがとう」


 颯が伽耶から料理の載った食器を受け取りながら笑顔を向けると、五十鈴媛は何のことかわからないとでも言うように肩を竦めた。


「颯様!」


 直後、呼ぶ声が聞こえてそちらを向くと、頬を上気させた沙々羅が早足で近寄ってくるところだった。


「颯様、ご覧になっていただけましたか?」

「う、うん。もちろん。その――」


 沙々羅の期待と不安の同居したような瞳は、言うまでもなく颯に感想を求めていた。沙々羅の顔に浮かぶ汗が艶やかに輝き、颯は口ごもる。


「颯様……?」

「あ、その、すごく、綺麗だったよ」

「颯様……!」


 沙々羅の顔に笑みが浮かんだ。颯は答えを間違えなかったことに安堵すると共に、自分の台詞に恥ずかしさを感じた。女性に対して使うのは人生で初めての台詞だった。


「ええ、そうね。まるで天細女命あめのうずめのみことのようでしたわ。いっそ、胸をはだけて踊ればよろしかったのに」

「それは、この上ない誉れですね」


 五十鈴媛と沙々羅が面と向かって微笑み合う。二人は笑顔なのに、颯はなぜか背筋に冷たいものを感じた。


「お、お兄ちゃん。天細女命というのは天照大神が岩戸にお隠れになったとき――」


 颯はまだ慣れない呼び方に照れた様子の伽耶の解説を聞きながら、そういえばそんな名前の女神だったかと、先ほどの疑問の答えを知った。古事記の漫画で見たシーンが脳内にほんのりと描写され、胸を露出させて舞い踊る女神の姿と目の前の沙々羅が重なった。


 自然と、ある部分に視線が吸い寄せられるが、それは思春期の男子にとっては仕方がないことだった。


「お兄ちゃん?」


 颯の隣に座った伽耶が小首を傾げる。颯は慌てて視線を外し、誤魔化すように小さな頭を撫でたのだった。

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