1-6.知恵者

「なるほど……。その三輪山という山から出たら、なぜか禁足の岩戸にいたというのだな」

「はい」

「そして、天より剣が降り立ち、手にしたら縮んでしまったと」

「はい」


 はやてがたどたどしく説明を終えるまで、彦五瀬は口を挟むことなく沈黙を守っていた。その間、若武者の澄んだ瞳が、真実を見極めようとするかのように、じっと颯の目を捉えていた。最後に彦五瀬は確認するように問い、そして、颯の答えに満足したかのように大きく頷く。


「ふむ。わかった。貴公らを客人として我が館に招こう」


 あまりにあっさりした物言いに、颯は呆気にとられ、口を開けて彦五瀬を見上げた。


「不満か?」

「い、いえ! ただ、簡単に信じてもらえるとは思っていなかったので……」

「ふむ。確かに貴公の話には我々に理解できないものも多い。見たこともないような衣服を纏い、禁足の地より突然現れ、天より剣を呼び寄せた。およそ常人には思えぬ。だが、貴公は嘘を言っていない。それは目を見ればわかる。それに……」


 彦五瀬命の視線が颯から外れた。その視線を追うと、そこには真菜の姿があった。


「それに?」

「美しい娘に、悪い者はいない」

「は、はぁ……」


 急に気が抜けた気がした。


 正直、賢明な人で良かったと思った。目を見ればわかると言った彦五瀬は、かっこよかった。凛々しい姿は、男の颯でも惚れてしまいそうなほどだった。雲の上の存在であるかのように思えた。だが、最後の一言を口にした彦五瀬は、人懐っこい微笑みを浮かべていて、仁は恐れと過度の警戒心を手放す。いつの間にか隣に並んでいた真菜が、ほんのりと頬を桜色に染めていた。


「颯、どうかしたか?」

「いえ、何でもありません……」

「そうか。ならばさっそく我が館に参ろう。誰か!」


 彦五瀬が叫ぶと、兵士と思しき男の一人が進み出て跪いた。


思金おもいのかねを至急、我が館へ」

「はっ!」


 彦五瀬のめいを受けた兵士が颯爽と走り去る。兵士に命じる彦五瀬は、やはり凛々しかった。彦五瀬は兵士たちの手前、念のためにと剣を預かろうとするが、颯から剣が離れると双方共に言葉が理解できないことが発覚し、剣を常時傍に置くことを許した。


「兄さん、兄さん!」


 彦五瀬の後に続く颯の耳元で、真菜が興奮した声で囁く。颯が真菜の方を向くと、熱い視線が彦五瀬命に注がれていた。


「あの人、彦五瀬命ひこいつせのみことだって!」

「そうだけど、それが?」


 真菜が何を言いたいのか、颯には理解できず、首を傾げる。


「兄さん、わからないの? あの彦五瀬命だよ! ああ、あんなにカッコいい人だとは思ってなかったなぁ」


 これからどうなってしまうのか考え込んでいた颯は、真菜のあまりの能天気さに溜息を吐いた。


「どの彦五瀬命さんだよ」

「ほら、兄さんも古事記読んだことあるでしょ。神武東遷じんむとうせんのところに出てくる神武天皇のお兄さんだよ。モデルになった人はいたと思ってたけど、まさか本人が実在したとは思ってなかったなぁ」


 そう言う真菜の瞳は、お気に入りの玩具を手にした幼稚園児のように爛々と輝いている。


「なんだって!」


 颯は思わず叫んでいた。


「ん? 颯、どうかしたか?」

「あ。い、いえ、何でも……」


 突然の大声に振り返った彦五瀬は、首を傾げながらも再び正面を向いた。颯はそれを確認すると、小声で真菜に話しかける。


「それ、本当?」

「うん」


 颯は頭をフル回転させた。彦五瀬が古事記に登場する彦五瀬命その人であるならば、ここは神話の世界ということになる。いや、古事記は神話であると共に、歴史書の一面も持っている。だとするならば、ここは過去の日本だろうか。颯の脳があらゆる仮説を次々に生み出していくが、どれもにわかには信じ難いものだった。


「とにかく、ここがどこなのか確認しないとなぁ」


 再び頭を抱える颯。その横では、真菜がいつまでも楽しそうに微笑んでいた。






「おそらく、その剣は天之尾羽張あめのおはばりではないかと推察いたします」


 彦五瀬の館に到着すると、思金おもいのかねと紹介された白髪の老人が、颯の持つ剣をまじまじと見据えながら言った。


「今は縮んでいるようですが、元は柄が拳十個分にも相当する長剣だったとか。それに、この刀身の付け根の形状は、まさしく伝承のそれと同じ。天から舞い降り、光輝くなどの神がかり的な現象を鑑みるに、私めは、この剣こそが伝え聞く神剣・天之尾羽張かと存じます」


 颯らは堀と木の柵に囲まれた彦五瀬の館の中心に位置する高床式の建物の中にいた。現代で言う応接間に相当するであろう八畳ほどの広さを持った板張りの間に集まり、この土地一番の知恵者であるという思金に、ここに至った経緯を事細かに説明した。


「それでは、颯と真菜がこの地に連れてこられたのは神のおぼし召しだと?」

「そこまでは何とも……。ただ、東を目指そうというこの時期に、颯殿と真菜殿が我が君の祖神であられる天照大神あまてらすおおみかみ縁の地より現れたことは、偶然ではございますまい。それに、何の前触れなく訪れた昼の夜は、伝え聞く天照大神がお隠れになった時の状況と酷似しておりました」

「そして、天に日が戻ったとき、二人は現れた」


 彦五瀬が頷き、颯を見た。颯には二人が話している内容がさっぱり理解できなかった。


「兄さん、すごいじゃない!」


 縋るように妹を見ると、真菜は満面の笑みを浮かべていた。


「なぁ、真菜、どういうこと?」

「その剣、天之尾羽張なんだって! それに……。あぁ、あの洞窟が天岩戸だったんだぁ」


 説明になっていないと思った。真菜は憤慨する颯に目もくれず、うっとりとした表情を浮かべていた。颯は一人だけ置いて行かれたような気がした。


「だからー、その天之何たらっていうのは何なんだよ!」


 颯は彦五瀬や思金の前であることを忘れて真菜に叫んでいた。


「それは私めが説明いたしましょう」

「あ」


 颯が我に返って声のした方を向くと、思金が老人特有の優しげな笑みを浮かべていた。




 かつて、夫婦である伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いなざみのみことの二神が国土を創り、多くの神々を生んだ。しかし、火の神である火之迦具土神ほのかぐつちのかみを生んだとき、伊邪那美命は女陰みほとに火傷を負い、それが原因で死んでしまった。


 その時、伊邪那岐命が、愛しい妻をただ一人の子に代えようとは思いもよらなかったと嘆き、腰に付けていた十拳剣で火之迦具土神の首を斬り落とした。その十拳剣が天之尾羽張である。




 颯は、わかったような、わからなかったような、複雑な表情を浮かべた。思金はそれを見て取り、微笑む。


「簡単に申しますれば、神の剣ということでございます」


 あまりに簡単な説明に、颯は苦笑を浮かべ、頭をかいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る