旅館の休憩所にて

大将

旅館の休憩所にて(一)


 学校を卒業して数ヶ月。

 大した職に付けなかった俺は、母が勤めていたとある旅館に番頭として入る事になった。

 番頭と言っても、中居さんの手伝いや客室の布団敷き。最後に夕飯で使った数百人分の皿を洗うのが仕事。

 正直、頭よりも体力を存分に使う仕事だった。


「おーい、そろそろ一回休憩するべ!」


 お客が宴会場でご飯を楽しんでいる間に、俺達番頭が部屋に行って布団を敷いていく。

 個人客であれば少ないけど、団体客となると二十から四十人分の布団を一気に敷かなきゃならない。

 いくら若くても体力的にしんどくなる。まして人生初のアルバイトだから尚更だ。


「はーい!」


 休憩の提案をして来たのは番頭ではないが、布団敷きだけを手伝いに来てくれる松本と言う六十代のおじさんだった。


「井上さーん!ちょっと休憩しましょうって!」


 俺は松本さんの言葉を部屋の中で一緒に布団を敷いていた同僚の井上さんに声をかける。

 同僚と言っても、こちらの井上さんも俺より2倍近く歳が離れた人だ。


「了解!いやぁ腰にくるねぇ〜」


 作務衣に丸坊主の井上さんはそう言いながら腰をとんとんと叩く。服装と背が低いせいか、お寺の小坊主さんにも見える。

 そんな松本さんと井上さん、そして松本さんと組んでいる通称ヤッちゃんの四人で休憩する事になった。


 場所は旅館の4階にあるパントリーと呼ばれる場所。そこはお客のお茶盆やお茶菓子を用意する給湯室のようなものらしい。

 だが休憩所はそこじゃない。


 4階のパントリーには更に奥に部屋があった。

 しかも4階のパントリーだけに。


「失礼します〜」


 先頭の松本さんはパントリー奥の扉を開けると真っ暗な空間にそう告げて中へ入る。パントリーからの明かりで僅かに見える電気の紐に手を伸ばし、数回カチカチとその紐を引く。

 瞬くように電気が点くと、そこは六畳半ほどの小さな部屋だった。


 ガラス製の大きな灰皿が置かれた麻雀台をテーブル代わりにして、囲むように四脚のパイプ椅子。小さなテレビも置かれているが、古すぎるのか色合いが少しおかしい。


「よっこいしょ。はぁぁ今日はお客が多いねぇ」

「そうですねぇ、ゆうちゃんキツくない?」


 俺の向かいに座った井上さんが心配そうな顔で話してくる。

 ゆうちゃんとはここに務めた時に井上さんが付けてくれた愛称だった。最初は子供みたいで恥ずかしかったが、今は気に入っている。


「あ〜ゆうちゃん!ちょっとタバコ吸ってもいいかい?」


 そう言って俺の左隣に座るヤッちゃんが自分のタバコを取り出してもう既に火をつけていた。


「ほれぇヤッちゃん、聞いたんなら先につけたらダメだべぇ。まったく……」


 松本さんもそう言いながらタバコをふかし始める。

 どちらも同じようなもんだと思ったのは明かさないでおく。


「あれ、そう言えばゆうちゃんは怖いの苦手?」

「え?いや、大丈夫っすよ?」


 休憩から数十分。観ていたテレビがCMに入った所で急に井上さんが話しかけて来た。

 怖いものは好きではないが苦手でもなかった。

 そう答えた瞬間、井上さんは子供のような笑顔を浮かべ始める。




「それならさ、この前聞いたんだけど教えてあげよっか。この旅館の怖い話し」


 そう言って井上さんは観ていたテレビの音を小さくすると、普段より声を少し低くして話し始めた。

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